第五章 3


 今年の年越しの祭は、一層賑やかなものになるらしい……ツ・クウァン卿は、届いたばかりの申請書を見て微笑んだ。城下の広場で、花火を打ち上げる為の申請書に、承諾の印を入れると彼は、ゆったりと座り直した。
 オリヴィエ王子……彼の事は、あっと言う間に城下に知れ渡ってしまった。金の髪を持つ者がもう一人いた、しかもそれはモンメイの王子で、ジュリアス王に負けず劣らずの容姿をしていたとあっては、誰もが彼に一目逢いたいと思い、例年に比べてより盛大な催しをして、彼を持てなそうとしているのだった。

“モンメイに金の髪の者がいるらしい……と、モンメイ侵攻の前にジュリアス王から聞いた時は、またただの噂か、偽物かと思っていたが、本当にいたとは……モンメイ王族の血は入っていないとは言うものの、彼がモンメイの王族の一員であることは確かであるし、何よりもあの金の髪……申し分ない。本当に申し分ない……”
 ツ・クゥアン卿は、目を閉じて、オリヴィエの顔を思い浮かべた。彼の頭の中のオリヴィエの顔が、だんだんとジュリアスに変わっていく。

“ジュリアス王……ジュリアス……”
 ツ・クゥアン卿は、無意識のうちに拳を造る。そして思い出していた。ジュリアスの産まれた日の事を……。
 
 八の月、十六日早朝、ジュリアスは産まれた。生まれたてのジュリアスを一目見る為に、ツ・クゥアン卿は、ジュリアスの眠る部屋に、駆けつけた。小さな寝台の上で、ジュリアスが眠っていた。
“可愛いものだな……”と微笑もうしたその瞬間、ジュリアスが目を開けた。
 その瞬間……ツ・クゥアン卿……当時はまだ、ただ兄君様と呼ばれていたのだが、は、自分が決して王にはなれない事を覚悟した。青く澄んだ瞳が、彼を、じっと見ていた。頭部の髪が、まだほとんどないように見えるのは、その赤ん坊が産まれたてという理由だけではない。この地の大半の者のように、黒や茶の髪をしていないからだ。 素肌に溶け込むほどの淡い色合いの髪は、やがてふさふさとした金の髪になるのだろう……父親に似たならば、栗色の髪と瞳を持っていたはずだが、ジュリアスは、母親のものをそっくり受け継いでいた。誰もが、金の髪の王子の誕生に沸き立ち、まだその資質さえ判らないと言うのに、未来の クゥアンの王と、ジュリアスを決めつけた。
 その時、病の床にあったクゥアン王、ツ・クゥアン卿にとっては父である……は、孫の誕生に、豪王と謳われたかっての面影もないほどに手放しで喜び、その幸福の中で、ひとつき後に他界した。次代の王を、ジュリアスの父に譲ると言い残して。
 その時から、兄君様と呼ばれた彼はいなくなった。ツ・クゥアン卿……二番目の、傍流のクゥアン王族を意味する称号で呼ばれることになった。
 
 ツ・クゥアン卿は、ジュリアスの父より年上であったが、正妃の子ではなく、寵妃の子であった。だが、正妃、寵妃の生まれの区別なく、兄君様、弟君様と、回りの者に呼ばせるなどの父の配慮の元に育てられ ていた。学者肌の弟に比べ、ツ・クゥアン卿は、父親譲りの闊達さを持ち 、武術にも優れていたから、次期国王になるのは彼だろうと噂されてもいた。
“実力主義のあの父上ならば……と期待していた……だが……結局は、ジュリアスの金の髪に魅せられたわけだ……金の髪の持つ未来の王ジュリアス、その父が、王ではないのはしっくりしないからな……”
 父の国葬が盛大に行われた後の、弟の戴冠式で彼は一人そう呟いた。
 もし自分が正妃の子であったなら?
 もし父が拾った赤子……ジュリアスの母親を拾ったのが一月早かったら、私にはまだ許嫁が決まっておらず、その赤子が私の許嫁になったかも知れない……そうすれば……ジュリアスが私の子だったなら、その父親である私が王座に就いただろう……。幾つもの虚しい仮説が、ツ・クゥアン 卿の中に通り過ぎる。
 だが、賢く優しい気質の弟を支えて、クゥアンを守っていくのも悪くない……と彼は思い直した。そして、王の死後もクゥアンは、幾つかの小国を併合しながら 大きくなり、安定した治世を送っていた。ジュリアスの母が、流行病で他界したことを除けば、至って穏やかな時が流れた。
 ツ・クゥアン卿は、窓際の小さな肖像画を見た。今は亡き弟……前クゥアン王の。まだ若い王の死は、突然やってきた。ちょっとした風邪をこじらせた後のあっけない死に、城内の者は 騒然となった。ツ・クゥアン卿もまた弟の死に動揺しながらも、自分がしっかりしなければと心を奮い立たせた。ジュリアスはまだ十歳。となれば、成人するまでの間、自分が一旦、王位に就くしかない……降って湧いたような考えであったが、正論であることは間違いなかった。今まで、弟と供に政を執っていたのは 自分なのだから。
 だが、国葬の後、誰かがポツリと言った一言が、それをうち砕いた。
 
『ジュリアス様……万歳……』

 ぞくり……とあの時、背筋が寒くなった……と、ツ・クゥアンは思い出す。あの時の、何とも言えない気持ち。
 次代を祝う声が、ひとつ、またひとつと増えていき、大きな声となる。誰もが幼いジュリアスが王位に就くことを望み、それが当然だと思い、ツ・クゥアン卿のことなど気にも留めない。
 ツ・クゥアン卿のに隣にいた、小さなジュリアスが呟いた。
「父上が身罷られたというのに、何故、万歳と言うのだろう?」
 じっと悲しみを堪えていたジュリアスが、彼を見上げて、涙を溜めた目で、そう問うた。
「前王の死に対して言ってるのではない。新しい王の誕生を祝っているのだよ……お前の為に……」
 乾いた喉の奥から絞り出すように、ツ・クゥアン卿はそう言った。

“二度も……王座を逃した……。何故、期待させておいて運命は私を見捨てる? ジュリアスさえいなくなれば、次は私しかいない、私しか! いっそジュリアスを亡き者に……”
 だが彼はそんな事はしなかった。心に巣くう暗い気持ち……それを振り払うことが出来たのは、ツ・クゥアン卿もまた、誇り高き金の髪を持つクゥアンの太祖の血を引く者であったからだった。
 
“もう野望など消えていたと思っていた、ジュリアスは、立派な王になったし、私の子どもたちも健やかに育った……息子は、地方の領主として、その土地をよく治めているし、 孫も産まれた。三人の娘のうち上の二人は、良い所に嫁ぎ幸せそうにしている。隠居を考えるにはまだ早いが、良い人生の後半を迎えることが出来たと思っていたのに。……オリヴィエ王子、もしも 、末の娘が彼の子を宿すことが出来たなら……。そしてあの……オスカーの故郷、ホゥヤン国内の動き……。手駒が揃っていく……。三度目の正直となるのかも知れない。天が私に、事を成せと微笑んでいるのだろうか……?“
 
 ツ・クゥアン卿は、それ以上、過去に思いを馳せるのを辞め、再び、書類に目を移す。と、彼の執務室を小さく叩く音がして、腹心の文官のうちのひとりが入ってきた。
「ホゥヤンから新しい報告と嘆願書が来ました。やはりかなり状況は悪い様子です」
「うむ……その後、どうなっている?」

 ホゥヤンは、クゥアンからの代表領主と、元ホゥヤン王族のホゥヤン領主、そしてホゥヤン軍の最高責任者であるロウフォンの三人の執政官が政を取り仕切っている。
「ホゥヤン領主とクゥアン代表領主の対立はますます悪化している様子。それをロウフォンがなんとか取りなしている様子ですが、このままでは議会も開けない有様のようです」
「そうか。このことはジュリアス王の耳には、もちろん入れてないだろうな」
 ツ・クゥアン卿は、小声で言った。
「もちろんです。最近のホゥヤンからの報告は、全てこちらで改ざんしてから回してあります、ご安心を」
 クゥアン代表領主の不正についての報告が上がってきたのは、半年ほど前のことである。本来ならば三人で行うべき事を、勝者国代表であるクゥアン領主が独断で決めてしまい、私欲に走っている、規模こそ小さいが、内乱すら起きている……と、ロウフォンから、訴状が届いたのである。
 片方の意見だけ聞くわけには行かない、早急に調査するので、なんとか良い方向に導いて欲しい…と返事をした矢先に、モンメイ侵攻が決まり、他国の諍い事が後回しになった。そして、オリヴィエの存在が明らかになった……。
 オリヴィエの存在と、ホゥヤンの内乱……ツ・クゥアン卿は、その二つが符号に思えた。だから、ジュリアスには、ホゥヤンの事は告げずにいた。

「それと……オスカーが南部の領地に視察に行きました。やはり、これはまたとない機会かも知れませんよ」
 文官はさらに声を潜める。
「……」
「どの道を通るにせよ、帰路には、ホゥヤン手前のクゥアン軍駐屯地に立ち寄ることになるでしょう。そこで、ホゥヤン内乱の事を耳に入れれば、必ずオスカーは、ホゥヤンに……あのお方の計画通りに……」
「本当にオスカーはそうするか? ジュリアス王への報告を優先するのではないか?」
「ジュリアス王からの命だと聞けば従うでしょう。ホゥヤンで内乱の兆しがあるので、道すがら調査するようにと急遽、連絡が届いたと言うことにならば」
「ばれさえしなければ悪くない手だが」
「ばれやしません。オスカーは、生きてはホゥヤンから出しません。それについては、例の案を煮詰めれば……きっと上手くいきます。すぐに、あのお方に連絡を取りましょう」
 文官は笑いを口元に浮かべた。
「お前、前から聞こうと思っていたが、オスカーへの恨みとは何なのだ? それほどオスカーが憎いのか? 出世に差を付けられたことに対する恨みか?」
「……私だってかっては騎士候補だった。文官にならざるを得なかったのは、オスカーとの試合で足を痛めたからです。ご存じでしょう」
 彼は悔しそうにそう言った。
“それはお前の腕が未熟だったからだろう……。愚かな……陳腐な理由で、そこまで卑屈になれるものだな……”と、ツ・クゥアン卿は思いながらも、この手を利用することにした。自分として もオスカーには、煮え湯を飲まされた覚えがある。

“昔……、末娘との婚姻を進めてやったのに、あの男は、それを蹴った……ふっ…それこそ些細な理由だと笑う者もいるかも知れないがな”

 ツ・クゥアン卿の脳裏に、オスカーとの縁談が流れて、涙する娘の姿が甦った。まだ十五の娘にとっては、初めて持ち上がった縁談が相手方、それも騎士の身分さえもない他国の若者から断られたことは、かなりの痛手となったようだった。若いオスカーが、まだ結婚の事など考えられず、騎士の称号を得るために専念したいと言った気持ちは、ツ・クゥアン卿にとっても判らないことでもなかったので、その場は、一旦収められた。
“……それだけのことなら、忘れてやってもよかったのだが……娘は……まだオスカーに未練があるらしい……”
 ツ・クゥアン卿は微かな溜息をついた。体の具合が良くないだの、相手の身分が低すぎるだのと適当な理由を付けて縁談を断り続けている。
“あなた、今なら、オスカーも断る理由がないのではなくて? 娘が婚期を逃すことを案じて、 妻はそう言った。そうだ……考えてやってもよい。ただし、あの男が、頭を下げてぜひにと願うならば! なのに、おの男は、未だ館も持たず、城下の町の娘たち相手に浮き名を流しているという噂さえあるというではないか!  いや……今となっては、その方が有り難い。茶会でオリヴィエ王子と娘を引き合わせた時、よい雰囲気だったではないか。もしオスカーが亡き者になってしまえば娘も、諦めざるを得ない……”

「ツ・クゥアン卿……どうかされましたか? オスカーのことで何か?」
 急に考え込んでしまったツ・クゥアン卿を懸念して、文官が尋ねた。
「いや、何でもない。……判った。この件については、私の館で、夜にでも、じっくりと話し合おう。他の者も呼び寄せておくように」
 文官が去った後、ツ・クゥアン卿は、再び椅子に深く座り直して瞳を綴じ、ジュリアスを思い浮かべた。

 “……そしてオスカーの存在が、ジュリアス王を潰す鍵になるだろう……。ジュリアス……私は幼い時からお前をよく知っている。母の死、父の死、その他にも……困難な事に出逢えば、立ち向かわずにはいられないお前の気質。だからこそ、お前はそこまでに完璧な王になったのだ。父の葬儀の翌日でも、お前はいつもと変わらぬ様子で、勉学に励み、剣の稽古をしていた。いや……いつも以上にな。父の死後、幾つかの他国が、幼少のお前を舐めて攻めてこようとした時のこと。……まだ少年の域を出ないのに、お前は、他国の王を切り捨てた……顔色も変えずにな。あの冷酷さ はどこから来たものか、私には判るぞ。反動だ。張りつめた糸ほど切れやすい……。もし、お前の腹心の部下であり、かけがえのない友であるオスカーが、お前を裏切った末に死んだとしたら、お前 はどう変わるだろう? 回りを省みない冷酷な王になるだろうか、それとも一切に嫌気がさして引き籠もってしまうだろか……。 いずれにしても、いくらお前でも平静ではおられまい……。あの男……ホゥヤン領主の作った筋書きに賭けてみるか……」
 
 ツ・クゥアン卿は、それ以上思案するのを止め、瞳を開けた。開けた目の先に、文官の残して行った報告書が目に入った。律儀なロウフォンの筆跡が、事は急を要すると記している。早くジュリアス様のご決断をと迫っている。
 
 ロウフォン……正義感あふれるホゥヤンの執政官。自堕落な前ホゥヤン王に、よく仕え、軍人でありながら、ホゥヤンの執政を代わりに行っていたという人物。クゥアンとの戦いで敗者となったホゥヤンは、彼が居たから、単なるクゥアンの一部になってしまうことを免れた。支配下に置かれたというものの、ホゥヤン領という名を残し、一部の自治権さえ得られたのは、彼の存在があったからだ。
 
“ロウフォンか……いい父親を持ったな、オスカー”
 
 ツ・クゥアン卿は、その報告書を引き裂くと立ち上がり、窓を開け放った。一気に、冷気が入り込んでくるのも構わずに。
 
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