第四章 1


 オリヴィエが、モンメイを出て初めての夜。一行は、小さな村さえもなく、荒野が続く地帯に入った。夕暮れになると、兵士たちは一斉に、野営の準備に取りかかった。 中央に大黒柱を建て、回りに六本の短い杭を打ち込む。繋ぎ合わせたなめし革や布を、その上から被せて、杭に括り付けていく。ホウヤ……包家と呼ばれる移動式の小屋が、荒野のあちらこちらに、たちまちのうちに出来上がった。やがて陽が 完全に沈み、月が出る頃になると、それぞれの包家の前では火が焚かれた。その様子を、オリヴィエは、ずっと見ていた。
「オリヴィエ様、どうぞこちらへ」
 騎士の一人に声をかけられ、案内された処は、他のものに比べて一際大きく立派な革の天幕が張られた包家だった。
 入り口に掛けられた金色の織物を掻き上げて中に入ると、簡易式ながらも木枠のついた寝台が二つ並んで入れられている。
 直に敷かれた織物は豪華な分厚いもので、食卓代わりの大きな盆の上に酒と食事の用意が既に調えられている。その前で、ジュリアスがくつろいでいた。
「今日はずっと馬に乗っていて、さぞかし疲れたであろう。私と共の包家で許せ」
「体が強張っているよ。疲れたけれど、外の世界は面白いね、兵士たちが包家を作る様子が面白くてずっと、見ていたんだ。ここも……」
 オリヴィエは、座りもせずに柱や天幕の造りを眺めている。
「包家が、そんなに珍しいのか?」
 ジュリアスは、興味深げに見回しているオリヴィエに言った。
「包家がどんなものかは話には聞いていたけれど、実際に組み立てるのを見たのは初めて。よく出来ているね……あっと言う間に組み立ててしまうんだね」
「兵士たちは手慣れているからな。さあ、そなたもこちらへ座るが良い。このような場では、大したものはないが」
 ジュリアスがそう言うと、ようやくオリヴィエは彼の前に胡座を組んで座り込み、差し出された杯を取った。
「ありがとう」
「そなた、野営は初めてか?」
 ジュリアスは、何かしら楽しそうに尋ねた。
「もちろん。城の自室以外で夜を明かしたことなどない。ちょっとわくわくしてる。あ、このお酒はクゥアンのもの?」
 オリヴィエは素直に答え、杯の中の酒の味に興味を示した。
「そうだ。軽めのもので、女性なども好んで飲む一般的なものだ。モンメイの酒は、昨夜、リュホウ殿と酌み交わしたが……」
 ジュリアスの眉間に皺が寄る。
「兄様の勧めた酒なんかきつくて飲めなかった?」
「ああ。私にはちょっと。後で、もっと飲みやすい物を頂戴したが……」
「兄様が飲めば、このクゥアンの酒は、水だ……と言うよ」
 それから二人は、モンメイとクゥアンの生活様式や風習の違い、あるいは、共通点を、酒瓶が空になるまで次々とあげては語り合った。そして、どちらからともなく、話しを切り上げ 、寝台に入って、ほんの少ししてから、オリヴィエがポツリと言った。
「西はどんな処だろうね……」
 だが、ジュリアスは答えない。既に微かな寝息を立てて眠っている。
「なんて寝付きがいいんだろう。こっちは興奮して寝られやしないって言うのに」
 オリヴィエはそっと起きあがり、寝台を離れた。上衣を肩から引っかけると、包家の外に出る。松明の灯りの側にいた騎士が慌てて振り向いた。
「オリヴィエ様、どうかなさいましたか?」
「外で寝るのは初めてなんで、寝付かれないんだ。風に当たりたい。少し歩いて来るから」
「なら、私がご一緒しましょう」
 ふいにオリヴィエの背後から声がした。オスカーである。
「オスカーか。貴方もまだ眠ってなかったの?」
「ジュリアス様の警護は第一騎士団の仕事なんです。今夜は私も当直なので、眠りません」
「当直って、貴方は第一騎士団の騎士長なんだろう? それでもそんな風に働くの?」
 オリヴィエはモンメイの騎士の事を思い浮かべて言った。部隊の長は、そんな仕事はしない。夜通し見張りの為に起きているのは、騎士ではなく、兵士たちの仕事である。
「第一騎士団は別なんです」
「……もしかして、ワタシがいるから、仕事が増えたのではない? 警護も二倍になっているから貴方も借り出されているとか」
 オリヴィエは、オスカーの顔色を見ながら言った。
「お気遣いありがとうございます。ですが、そんなことはありませんので」
「そう、ならいいんだけれど」
 オリヴィエはそう言うと歩き始めた。オスカーは一歩下がって付いてくる。騎士や兵士の眠る小さな包家が荒野に点在している場所から、やや離れた所まで来ると、オリヴィエは 、夜空を見上げながら、オスカーに言った。
「ねぇ、オスカー」
「なんでしょう?」
「貴方は、ジュリアスの前だと、俺と言うよね。どうして?」
「い、いえ、そんなことは。お聞き違えになられたのでは?」
 突然のオリヴィエの質問に、明らかに焦りながらオスカーは答えた。
「この前……ポロッと言ったよ。注意して聞いてると、他に人がいる時は、きちんと私と言ってるようだけれど」
「……実は私は、ホゥヤンの出身なのです。ジュリアス様とは、まだホゥヤンが、クゥアンの配下に置かれる前からの知り合いで……」
 オスカーは、オリヴィエにジュリアスとの出逢いを語った。
「そういう理由で、職務から離れた時は、儀礼にこだわることなく話しても良いと仰ってくださっているのです」
「なるほど……。では、ワタシの前でも、俺でいいよ。いや、むしろそうして欲しいのだけれど」
「いえ、そういう訳には参りません」

「ねぇ、いずれ西に行くって話、これは、皆、知っていることなの?」
 オスカーの態度が頑なと見るや、オリヴィエはそう切り出した。
「いいえ。ジュリアス様が西方へ興味を持っている事は、知っている者もおりますが、具体的に計画をたてていらっしゃることはまだ誰も」
「船の準備をしていると言ってたじゃない?」
「ええ。北の領地では、物造りに優れた技師が多いので、設計を依頼し、既に造船にかかっています。ですが、これはあくまで各地方との交易の為。本当の目的を知っている者は、 船の設計者と私以外には、誰もいません。ジュリアス様は、迷っておられましたから。西へ行くとなると、長期に渡って国を留守にすることになる。それ以前に、そもそも西に、自分が思っているような文明のある他国が存在するのかどうか? 何もないか、あるいは言い伝えのような魑魅魍魎の地かも知れないと……」
「ワタシと逢ったことで、ワタシのこの首飾りの存在が、それを裏付けたんだね」
 オリヴィエは胸の辺りに手を置いて言った。
「ええ、そうです」
「だったら、西に行く相談を含め、ジュリアスとワタシ、そしてジュリアス直属の第一騎士団の長である貴方と、三人で会話をすることって多くなると思うんだけど、そういう場で、私と俺を使い分けて話すのって面倒でしょ。それに堅苦しいのは嫌なんだ、だから、なるべくワタシに対してもジュリアスと同じように接して」
“そういう持って行き方をされては……嫌と言えないじゃないか……”
 とオスカーは心の中で思いながら、渋々、首を縦に振った。
「悪いね……貴方の立場は判ってるつもり。あのね、モンメイでは、男たちは頭が固くてねぇ」
 オリヴィエは、そこで芝居じみた大袈裟な溜息をついた。
「は?」
 モンメイの男の頭の固さと、俺の立場の事と、どう関係があるんだ?……そう思いながらオスカーは、オリヴィエの説明を待った。
「女たちはワタシが金の髪でも、近くにいる者たちは、そういうことにすぐに慣れるんだよ。普通に接してくれるのだけど、男の、特に儀礼を重んじる騎士たちになると、慇懃無礼なものを感じてしまうんだ。実際、ワタシはお飾りみたいなものだったから」
「あの……我々の態度もそのような感じだったでしょうか? 決してそのようなつもりは」
 オスカーは、慌てて謝ろうとした。
「ううん、そんなことはないよ。クゥアンの騎士たちは、ワタシに丁寧に接してくれているけれど、それは嫌な感じじゃない。 ジュリアスが尊敬されているから、ワタシに対しても金の髪というだけで、良い風に思ってくれているんだろうね。モンメイでは、身分の低い兵士たちはそうでもなかったけれど、身分のある者たちは、いろんな思惑が絡んで、丁重な物言いの背後に何か冷たさを感じることがよくあったんだ。だから、クゥアン軍の中にあっても、近しい存在になりつつある貴方に、他国からの来客として義務的に接されるのは、少し寂しい気がしてね。貴方が、主であるジュリアスに対して、友として接している部分を垣間見たから、ワタシにもそうして欲しいと思ったんだけれど」
 穏やかな物言いの中に、異質で、象徴的な存在としてだけモンメイの城に縛られていた彼の悲しさが見え隠れしている……、オスカーはそれを感じ取った。
「そうでしたか……わかりました。それでは、これからそのようにします。実の所、俺も自由な牧場育ち。軍人の子とは名ばかりで、堅苦しいのは苦手でして」
 オスカーは明るい声でそう答えた。
「ありがとう。さてと、そろそろ戻るよ。寝付きの良い王様を見習って、ぐっすり休まないとね、明日もずっと馬に乗ってなきゃなんないんだものねぇ」
 オリヴィエは情けなさそうな顔をして言った。
「三日もすれば慣れますよ。さあ、随分冷えて来ましたから、どうぞ包家へ……」
 オスカーは、オリヴィエを促して、ジュリアスのいる包家へと戻った。
“一日目としちゃ上出来だ……王様といろんな話もしたし、オスカーとの仲も一歩前進したし、乗馬の腕前もね……ふぁ……”
 小さな欠伸が自然と出る。ようやくやって来た眠気の中で、そう思いながらオリヴィエは、寝台に潜り込んだ。

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