第三章 13


   翌朝、穏やかな朝の日差しの中で、オリヴィエは兄リュホウの部屋を訪ねた。オリヴィエが部屋に入るなり、リュホウは不機嫌そうな顔をして、人払いをした。そしてそこに座れ、というように顎をしゃくって、オリヴィエに椅子を勧めた。
「同盟国の件、昨夜、ジュリアスから聞いたぞ」
 憮然とした顔でリュホウは言った。
「はい。兄様はなんと?」
「ふん、今の私に選択肢などあるものか。いきなりやってきて、何の話かと思えば、配下に置くのはやめて同盟国とする……だと? その後、お前がそれを申し出たと聞いた。そしてお前をクゥアンに連れていくと言うので、俺はてっきりそういう事かと思って、さんざん嫌味を言ってしまった……」
「そういう事……?」
「お前が色仕掛けで、あの王に同盟国をねだったと。“色香に惑わされて、国ひとつの動向を決めようとするような恥知らずに、我がモンメイが負けた事実は耐え難い。同盟国の事など今更どうでもいい、オリヴィエが欲しいならくれてやるから、とっととモンメイから出ていけ。私も 、お飾りの領主としてのうのうと過ごす気はない。野に下り、いつの日にか、きっとお前の首を取りに行く!“……と、怒鳴ってしまった」
「そ、そんなことを。よくその場で殺されなかったね?」
「それこそ望む所だった。ジュリアスが剣を抜けば、その場で切り捨てられたかも知れないのに。まあ、あの男も相当腕が立つようだから、相打ちになったかも知れないが」
「両方とも、無傷で生きてるということは、ジュリアス王は、剣を抜かなかったんだね?」
 クゥアン軍の連中は今朝も普通にしていたし……とオリヴィエは、この部屋に来る道すがらの兵たちの様子を思い起こして言った。 
「きょとんとした顔をして、“何故、私がそなたの弟の色香に惑わされねばならぬのだ、姫でもないのに……”だと。誤解を解くまでに、小一時間かかった。おかけで、その間、ゆっくりと、あの王と杯を交わ せることができた」
 リュホウは、そこで、やっとニヤリと笑った。
「仔細はわかった。お前が持っている首飾りの事も聞いた。それを先に言えばいいものを、あの王も、案外まぬけな所があるな」
「いや……兄弟そろって同じ間違いをしでかすなんてワタシは恥ずかしくてその場にいなくて良かったと思うよ」
 オリヴィエは情けなさそうな顔をした。
「どういうことだ?」
 オリヴィエは、オスカーが迎えに来た時のことを話した。リュホウは豪快に笑った後、大きな息継ぎとも溜息とも取れるような深呼吸の後、真顔に戻った。
「いずれ、西に……行くと聞いた。同盟国の話、お前の助けがあった事は俺にとっては面白くないが、冷静になってみればモンメイ存続の為には仕方がないことだ。それに、同盟国にしておいた方が、向こうにとっても得策らしいからな 。そう思えば、こちらも卑屈になることもあるまい」
「ここに留まり、兄様をお助けできず、申し訳ないね」
「ふん、お前が俺の助けだと? せいぜいが兵士たちに労いの言葉をかけるくらいしか出来ないくせに」
「そう……ここにいるとそれくらいしか出来なかった」
「ジュリアスと共に行けば、お前は何ができると言うのだ? ただ西に連れて行ってもらうだけなら、妾とかわらんぞ」
 蔑むようにリュホウは言った。だがオリヴィエの決意を確かめるような気持ちで、彼は言った。
「ワタシは、クゥアンとモンメイが同盟国である証として、ジュリアス王に随行するんだ。政治的には人質って意味もあるよね。一旦、征した国なのに同盟国に引き上げるとなると、前に征した領地の者たちを納得させられるだけのものが必要だからね。ワタシが行くことで、それが可能になる」
「つまりは、金の髪を持つ王子を有するモンメイだからこそ、特別に同盟国にしてやった、と」
「兄様にとっては、不愉快かも知れないけれど我慢して」
「金の髪というだけで、随分、利用価値があるものだ。父上が固執したわけも判る。それで、クゥアンに行った後はどうする? 特使扱いでぬくぬくと過ごすか?」
「いいや。ワタシは騎士になる。子どもの頃からずっとなりたかったからね。クゥアンで、騎士になるにはどうするかまだ知らないけれど。馬と武術……そんなとこだろう。クゥアンで騎士になるということは、ジュリアス王に忠誠を誓うってことになるけれど、だからといって、モンメイ王家を捨てることになるなんてあの王なら言わないだろうよ」
「あの男なら、そんなことは言わんだろうな。……俺は何だか毒気が抜けてしまった気がする。とうてい、敵わぬ……武力の事だけではない。全てが……。あの男を見ていると、つまらぬことで意地を張るよりか、やらねばならんことを優先すべきだという気がしてきた。つまりはこの国の建て直しだ。痩せた土地に暮らす部族は貧しいままだ。灌漑の設備を整えて道を造らねばならん。国を守るだけで精一杯だった父上が手を抜いていたことをな」
 オリヴィエは、黙って頷いた。そして改まって言った。
「兄様、ひとつ気がかりがあります」
「何だ?」
「後宮の中に、行く末を案じている者がいるんだ……」
 あの朝、抱いてしまった側仕えの娘を思って、オリヴィエは自然と小声になる。
「うむ……お前でもそのような者がいたのか? なんという姫だ? 父君から遣わされた褥の指導の為の姫か? 情が移ったか? 何なら連れて行けばいい」
「いいえ、身分ある姫ではない。名前は……わからない、側仕えの娘なので」
 名前はわからないと言ってしまってから、オリヴィエは、自分の身勝手な行為を、今になって恥じた。あの時は愛おしかった、それは間違いはない。けれど、その者の名前すら知らなかった、聞こうとすらしなかった自分を恥じた。
「後宮の雑用をしていた娘。ワタシの部屋の清掃などもしてくれていたけど、名前は知らない。若い側仕えの中でも、働き者の頭の良い娘で。クゥアンが入城してきた時に、若い娘たちはすぐに逃げるように指示されたから、今はその者は、城にいない」
「側仕えか……見目は? お前が手を付けるくらいだ、見目は良いのか?」
「特別には。けれど中央風の物が流行る中にあっても、モンメイ人らしい容姿をした娘だった。黒い髪と健康なやわらかな体、地方の部族の出だと何かの折りに聞いたと思うけど」
「側仕えの娘たちは城下の町の知り合いの元に身を寄せさせたと聞く。落ち着いたら呼び寄せることになると思うが、名前すらわからぬのでは、しようがない」
「では……側仕えの娘たちが全員……悲しむことのないように……」
「それならば、お前に言われるまでもない」
 リュホウがそう答えた時、遠くでラッパの音がした。続けて三度。クゥアン軍の物だった。

「出発の支度を促す合図だな。こう急では、モンメイの王族として恥ずかしくない支度ができぬ。もっともクゥアンからみれば、どんな物も、野暮ったいということになるか……せめてと思い、急遽、お前の世話かがり者数名を随行出来るよう用意はさせてある」
「モンメイの物が野暮だとは、随分と兄様らしくない言い様。それに輿入れでもあるまいし、支度など何も要らない、世話係も不要 。城に残っていた者たちということは、年寄りか、働き盛りの兵士たちか……年寄りにクゥアンまでの長旅はきついし、所帯持ちにクゥアンに行けというのは酷だよ」
「身ひとつで行くと申すか? 後宮育ちのお前のことだ、さぞかし不自由するぞ」
「兄様はご存じないかも知れないけど、後宮の女たちには、様々な事を教えて貰ったんだよ。兄様に、もしもの事があると、いやでも次代はワタシになるからと、王として恥ずかしくない教育も施して貰った。もっともこれは、自分たちの保身っていう下心があったんだけど。モンメイの女たちは、男よりも度量が大きく、賢い。だから、兄様と同じくらいには、一通りの事は出来るはずさ」
 オリヴィエは、澄ましてそう答えた。
「ふん、どこまでも忌々しいヤツめ。だが……そのような事なら……さぞかし父上の事を恨みに思っているのだろうな。父上は……こう言ってはなんだが、お前の事を人形のようにしか見ていなかった。オリヴィエ……私はいつもお前に辛く当たったな。 私には私の考えがあってのことだったし、今更、その事を謝る気はないが、父上の事は許してやってくれ……」
「嫌いだった。けれど、恩義がある。だからもういい」
 オリヴィエはポツリと言った。
「祖父の時代……、モンメイは、まだ点在する幾つもの自治区に別れていて、まとまりが無かった。それを統一したのが祖父だ。お前は知らないだろうが、偉大な人だった。私には、幼心にも、お祖父様が度量の大きな人だったという記憶がある。父上は何かにつけお祖父様と比較され、従うようにと指示され続けていたから、モンメイを維持していくだけで精一杯だったんだ。そのまま平穏に余生を送れるつもりが、こういう事になって、クゥアンに城を奇襲され、状況が不利と見るや、自失され毒杯を……」
 リュホウは悔しそうに言った。クゥアン軍に対する怒りよりも、心を強く保てなかった父に対する憤りの方が強い。
「兄様は、お祖父様に似ていると父上はいつも仰っていた。兄様ならジュリアス王と張り合えるだけの王になると思う。だから同盟国の申し出をしたんだ」
 オリヴィエがそう言うと、リュホウは深く頷いた。
「あの時、同盟国になどしなければ良かったと、ジュリアスに後悔させるほどに、モンメイを立派な国にしてみせよう。さぁ、そろそろ行こう。私は礼を尽くして、ジュリアスを見送らねばならん」
 リュホウの後にオリヴィエは続いた。大きな兄の背中を見ながら、住み慣れた城を後にする。ここから出たいと何度も思った城だったが、いざとなると去来する思い出は少なくない。二人が無言のまま城門の広場に行くと、ジュリアスとオスカー、そして第一騎士団の一行が既に出ていた。そして、彼らを取り囲むように、馬に乗っている者、馬車の者、歩兵の者と大勢のクゥアン軍の兵たちがいる。
「これでも、ここに攻めてきた三分の一にも満たないそうだ。後の者はしばらくこの地に留まり順に戻っていくらしい、よくもこれだけの大軍を率いて……あっさりと負けるはずだ」
 あきれたようにリュホウは言った。
「兄様、どうかお元気で」
「お前もモンメイの名に恥じない行動をしろ。中央の風土に合わず無様に戻ってくるなよ。でも、まあ、……お前の部屋はそのままにしておいてやる。人手が足りぬので、片付けが面倒なのでな」
 リュホウらしい言い方だった。今になってみれば……とオリヴィエは思う。きつい言葉の奥底にあったのは、リュホウなりの自分への励ましだったのかも知れないと。オリヴィエは兄に敬礼し、ジュリアスとオスカー、第一騎士団のいる処に走った。
「リュホウ殿との別れはもう良いのか? 数名騎士と馬車を残すから、そなただけ後日、参っても良いのだぞ」
 ジュリアスは、ほとんど手ぶらに近い状態のオリヴィエを見て言った。
「必要なものは後で送らせます。ジュリアス王、兄様を説得して下さってありがとう。同盟国の件も、重ねて、今一度改めてお礼申し上げます」
「うむ。だが、私もそなたに礼を言いたいことがある」
「何でしょう?」
 オリヴィエは小首を傾げた。
「ずっとこの大陸を征する事を考えていた。全てを手にして、この大陸を余すことなく知った時、必ずその先が見えてくると思っていたから、それと同時に、金の髪を持つ者も探していた。あの山の向こう西へ進むための手掛かりとして。そなたに巡り会えたことで、私の決心はついた。そなたが存在してくれて良かった」
  「それはワタシも同じ事……ジュリアス王、これよりワタシは同盟国の第一王子として同行致します。国の規模に違いはあれ、我がモンメイとクゥアンは同等の位置、そう考えていいですね?」
「ああ、もちろんだ。捕虜のような扱いは心配せずともしない」
「いえ、そういう心配をしているわけではありません……、共に西を目指す仲間として……ワタシは存在する、そうですね?」
 ジュリアスは黙って頷く。この者は一体、何を確認したいのだろうと思いつつ。
「では、ワタシはこれから、あなたを、ジュリアスと呼ぶ。敬語も使わない。ワタシだって、モンメイの王子であるから。そして、これからあなたの友となるのだから」
 オリヴィエは、手を差し伸べた。
「ああ、承知した」
 ジュリアスは、その手を取った。金の髪の者同士が、手を取り合う様は、伝説を頑なに信じている回りの兵士や騎士にとっては、神々しい雰囲気がしている。ジュリアスとしっかりと握手を交わしたことで、オリヴィエは、クゥアン軍の者たちの心をも捕らえていた。
 自然と歓声が沸き上がる中、騎士の一人が空の馬を引き連れてやって来た。「どうぞお使い下さいませ」そう言うと、その手綱をオリヴィエに、恭しく引き渡した。 恐らくジュリアスのものであろう一際豪華な鞍がすでに着けてある。
「よし。では、クゥアンに戻るぞ!」
 オスカーの声に、一番前にいた騎兵隊がそろそろと歩き出した。ジュリアスも、馬に跨る。
「よしっ、駆けるぞ!」
 ジュリアスは、グイッと愛馬の手綱を引き締めると、ひとつ鞭を打った。先頭の騎兵隊を追い越してジュリアスは走っていく。
「お待ち下さいっ、ジュリアス様、前に出られてはなりませんっ、どこから敵がやってくるかも知れず……」
 慌てた先頭の騎士の一人が叫ぶ。
「誰か王をお止めしないかっ、オスカー殿、早く王を追いかけなさいませぬかっ」
 クゥアン軍の騎士たちが、慌てて、オスカーを促した。
「やれやれ。ジュリアス様を追いかけますので、第一騎士団の者たちと後からゆっくりお出で下さい。たぶん、河を越えたあたりで一旦止まられると思うので」
 オスカーはオリヴィエにそう言うと、大きな声でかけ声をあげ走りだした。遠くにジュリアスの姿が見えている。それを追うオスカーの早さは、矢のようである。
「どうやったらあんな風に早く走れるっていうんだい?」
 オリヴィエは呟いた。
「クゥアンの馬は皆、足が早いのですが、あのお二人は特別なのですよ」
 オリヴィエの横にいた騎士が言った。肩につけた紋章からオスカーと同じ第一騎士団の者と判る。
「馬が?」
「いいえ、あのお二人がです」
 誇らしげに騎士は言う。
「王なら王らしく豪奢な馬車にふんぞり返ってればいいものを。とてつもなく高貴かと思えば、向こう見ずな所もある、変な王様だね、あんたのとこの王様って」
 “そんな王だったから、一旦、陥落させた国の王族の命も取らず、国土も取らずにいられたんだけれど……” 
 オリヴィエはそう思いながら言った。彼の口調につい苦笑しながら、騎士は頷いた。
「まったくです。こっちは気苦労が耐えませんよ。後で元老院に叱られるのは我々なのですから」
 文句を言いながらも騎士の口調には、ジュリアスとオスカーに対する敬愛が溢れている。
 “誇りに思う、と同時に愛されてもいる、そんな人たちを友に持つ……初めてのワタシの友……ふふ……子どもみたいに喜んでるワタシったら”
 自嘲しながら俯いたオリヴィエの様子に、彼が馬に乗ることを躊躇していると騎士は誤解した。  
「あの……どうぞオリヴィエ様は、馬車にお乗り下さいませ」
「いや、いい。馬に乗ることにも慣れないとね……。クゥアンの馬は、なんだか乗りにくいねぇ」
 オリヴィエはようやく騎乗すると、座り心地が悪そうにそう言った。
「そうですね、モンメイの馬に比べたら脚も細いですし、少し腰高で乗りにくいのかも知れません。お疲れになったら、いつでも馬車にお移り下さい」
「ありがとう。ねぇ、ところで、元老院って?」
「中央にいる王族の血縁で構成されていて、王に直接ご意見できる立場にある組織なのです」
「ふうん。クゥアンの執政は面倒くさそうだねぇ……おっと」
 オリヴィエはそう言いながら、ややおぼつかない手つきで馬を動かした。そして振り返った。城門の前に兄の姿が小さく見えた。オリヴィエは兄に向かって高々と手を振った。兄の手がゆるゆると上がる。そして、早く行けとばかりに手の甲を返してオリヴィエを追い払う手つきをした。
“最後まで兄様らしい”
 オリヴィエは、くすっと笑うと前方に向き直った。砂煙をあげて馬たちが駆けてゆく。その一群の中に自分がいる。やがて、それ以上出てはならない目印にされていた風車塔が前方に見え、それを越していく時、自分を捉えていた鎖が、朽ち果ててぱらぱらと離れていく……オリヴィエはそんな感覚がしていた。

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