Portrait

 

 切り取ったネガの入った封筒と写真を持ち、私は、クラヴィスの執務室へと向かう。陽が翳り始めた回廊は、冷ややかだった。 いつもは気にならない自分の足音がやけにコツコツと響くように思えた。扉を叩くと、いつもと変わりない物憂げな返事が返ってきた。訪問者が私だと判ると、これもまたいつものように、なんだお前か……と言い たげな顔をして クラヴィスは、私を見返した。新女王の御代になってからも彼の部屋は薄暗いままではあったが、以前のようにカーテンまでが一筋の光の存在も許せぬよう にきっちりと閉ざされていることは無かった。 闇のサクリアと同調していた宇宙全体の不穏な気が一掃された後は、夜の眠りが妨げられることが無くなったらしい。したがって、昼間に執務室で長すぎる仮眠を取る必要もなくなり、カーテンは開け放たれているわけだ。その大きな窓からは夕刻の日差しが 穏やかに入り込んでいる。
「少し前に……植物の撮影の為にカメラマンが来ていただろう……」
 と私は話を切り出した。
「ああ……」
「先ほどまでその時に撮影されたものを検閲していた。定められた通り千枚の写真を彼女は撮り、うち何枚かが無効となった。写りが良くなかったり、建物が映り込んでいた為だ。そして最後の一枚がこれだ」
 ジュリアスは、クラヴィスの机の上に例の写真と封筒を置いた。やはりクラヴィスにはその写真の存在が判っていたようで、別に驚きもせずにただじっと自分の写真を見ていた。
「やはり置いて行ったか……」
 とクラヴィスは呟く。
「どういうことだ?」
「彼女は、闇の館で数日に渡り撮影をしていた。私には判らぬが何か珍しいものがあったらしくてな。それが咲く時間が限られているとかで、時間も掛かっていたようだ。その合間に少し話す機会があった。千枚分しかフィルムは用意されていないのだと溢していたな。様々な角度から撮ってみたいのに無駄にシャッターを押すことは許されないのだと。そしてその珍しい花の開花した姿を撮し終えた時、最後の一枚になった。土の曜日の昼過ぎだったか……私は裏庭に向かっている部屋の窓辺に座っていて、光が窓ガラスと私の髪に反射していて、いい具合だったそうだ」
「それで、彼女はそなたを撮したのか?」
「契約違反となるのだと言ってたな。……最初は聖地での仕事とは知らなかったそうだ。報酬もさほどではないし、撮った作品も自分の手元には残らない、何より感性などは一切必要とされない 。植物に詳しい者で、身元の確かな者なら誰でも良い単調な仕事だと聞いていたそうだ。だが、学術的に意義のある仕事だと思って引き受けたのだと。それが聖地での撮影と知ってどんなに心が躍ったかと 。けれども、どんなに美しく、珍しいものを見ても、植物の他を撮すことは許されない。隠し撮りも考えたそうだが、聖地退出時のチェックは厳しく、 身元保証人となった者への配慮や、罪に問われるリスクを思うと出来なかったと。 撮影は、一種の植物に対し、二枚一組の約束だか、うっかりミスをしてしまったものがあるため、最後の一枚が余分となったらしい。……私は、最後の一枚くらいは、好きなものを撮れと言ってやったのだ」
「無責任なことを。過去の事例を知らぬわけでもあるまい。守護聖の小さな横顔が写った写真でさえ大騒ぎになったというのに」
 私は怒りを抑えつつ言った。 
「どうせ持ち帰ることは許されず、残していくしかないのなら、別に一枚くらい好きにしてかまわぬ、と言ったまでだ。そういうものを一枚撮ったくらいでは 、わざわざ追いかけて罪になど誰が問うものかと言ってやった」
 闇の守護聖の言葉だ、これ幸いと彼女が乗じてしまったのだろう。
「で、彼女はそなたを撮ったのだな……」
 私は改めて写真を見た。不思議なことに怒りが修まっていく。
「優しげな顔だ。そなたらしからぬ……な」
 幾分の嫌みを込めて私は言った。
「ファインダー越しにとはいえ、女性に見つめられているのだ。睨みつけるわけにもいかぬのでな。……フッ 。私はただの被写体だ。彼女には何の他意もない……残念なことに」
 クラヴィスもまた私が相手だと軽口のひとつも言いやすいらしい。
「私を撮ったのは、他の場所に撮りに行く時間が無かった為だ。最後の一本のフィルムをすぐに現像しないと期日に間に合わないと。元々、ポートレイトを撮るのが好きだったらしい。そういう仕事はあまり巡って来ず、大学での専攻の関係もあって植物専門になってしまったらしい」
 そのような事情を話し合うほど、随分と親しくなったのだな……と言いかけて、それは言わずにおいた。それを勘づいたかのようにクラヴィスは、「よく喋る女でな。 こちらが返事もせぬのに。それに花にまで話しかけるのだ。うるさくてかなわぬ」と言った。その様子が目に浮かぶようだった。カティスやマルセルは、植物も話しかけてやれば、それを理解するのだと言っていた。判らぬでもない。 うるさいと思いながらも、クラヴィスはその様を、退屈しのぎに眺めていたのだろう。
「ともかく、これは外には出せぬが、廃棄するには惜しい写真だ。そなたが聖地を去る時になら持参は許されよう。渡しておこう。守護聖自身に関わるものだから、側仕えなどの目に触れぬよう厳重に……」
 と言ったところでクラヴィスが溜息を付く。
「この執務室には鍵の掛かる引き出しも物入れも無い。館には、ひとつふたつはあったかも知れぬが、さて鍵はどこにあったか……まあ、よいか……」
 クラヴィスのことだ。 写真を書棚か机の引き出しに無造作に放りこんでおく姿が想像できる。他に比べると人の出入りの少ない闇の館ではあるが、それでも何人もの側仕えが定期的に入れ替わり勤めているのだ。悪意の上に持ち去ることはなくても 、心惹かれて……。私は、クラヴィスを見た。クラヴィスの容姿は端正なだけではなく、どこかしら不思議で心奪われる、例えば、伝承物語に出てくるような古の登場人物を思わせるものがある。漆黒の髪や憂いを秘めた眼差しを、ほとんどの者が美しいと感じるであろう……が、この者は、己の容姿について無関心過ぎる……。 
「きちんと管理ができぬのなら、これは私が預かろう」
「好きにせよ」
 クラヴィスは自分の写真を滑らせて私の方に押した。そして、意味ありげに笑った。

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聖地の森の11月 黄昏の森