Portrait

 

 木箱と共に用意されていた白い手袋をはめ、箱から写真を注意深く取り出して、眺める。見終わるとそれを箱に戻してゆく。一枚目は野草であろう、ごく小さな 白い花の写真だ。二枚目はその花をマクロ撮影したもの。何と言うことはない花のその花弁が露わになる。陽の結晶のような暖かく濃い黄色の花粉が煌めいている。私は写真の裏を返し、そこに書かれてあるメモ書きを見た。 番号と撮影場所と時刻、その植物の名、あるいは、それを特定するのに助けとなるようなコメントが走り書かれていた。   以降、女王宮殿とその近辺にある植物の写真が続き、 最初の百枚を見終えた後、私はネガを取り出して陽に翳し、不備が無いか確かめた。
 二箱目の写真も、やや退いた位置からのものと、花弁までもが見て取れるほどの至近距離まで寄ったものと二枚一組となった植物の写真が続いた。そういう風に撮影するようにと指示が出されていたのだろう。中に、思わず手を止めるような珍しい 形のものが数点あった。
 三箱目の……二百八十五枚目の写真に私は付箋を貼った。一見すれば何ということのない木の写真だった。が、その背景に、緑の館が映り込んでいたのだ。これら植物の写真は、学術的に意義のあること故に許された撮影で、私の検閲後、王立研究院と主星の学者へと速やかに引き渡された後、編纂されて図録に纏められることになっていた。植物以外のものが移っていた場合、排除しなくてはならなかった。例え背景に僅かに映ったものだとしても。
 数代前の女王の御代に於いて、守護聖の館と姿を隠し撮りしたものが流出したことがあった。退任間際の執務官が、記念にと密かに撮影したものが彼の死後、良くない輩の手に渡ったのだと判ったが、記録によると、その写真を巡って、主星では人命に関わる事件にまで発展したという。
 私は、努めて冷静に、根気よく写真を見続けた。写りの良くないものもごく稀にあった。そういう場合にはカメラマン自身の手で廃棄願の印が押されていた。 しばらくすると、また建物が映り込んでいるものがあった。高い位置に咲いた花を撮る為に仕方が無かったのだろう。背景をややぼかしてあったのだが、輪郭からそれが庭園の東屋の一部だと判った。差し支えはあるまい……と思ったものの、私はやはりそれにも付箋を貼り付けた。聖地にあるものと同様のもの……というだけで、人は興味を示す。不必要な騒ぎの元になることは避けねばならぬ。

 半分の五箱までの写真を見終えた所で、写真の撮影場所が、森、湖や丘など手付かずの自然が残る部分に移ったようだった。その色形は多彩で見ていて飽きないものがあった。植物自体を愛でるのではなく、あくまでも検閲なのだ……と時々、気を引き締めねばならなかった。

 そして残りが一箱になった所で私はある一枚の写真に手止めた。特別に珍しいとも思えぬ赤い木の実の付いた枝の写真だった。次、またその次と数枚ほど写真を見た所で、私はそれらの写真の裏を返し、カメラマンの書いたコメント読んだ。闇の館……撮影場所はそうなっていた。
「やはりクラヴィスの所のものであったか……」
 館が特定されるようなものは写ってはいなかったが、鬱蒼した回りの風景に見覚えがあったのだ。その後も闇の館で撮影したものは続き、最後の一枚が露わになった時、私は目を見開いた。
 千枚の写真うち、九百九十九枚は、建物や馬車の一部などが、僅かに映り込んでいることを覗けば、総て植物だった。そういう契約で雇ったのだから当然だった。カメラマンは忠実にそれを守っていた。専門的なことは判らなかったが、同じような角度と露出できっちりと植物の姿形がよく判るように撮られている。

 最後の一枚……。

 それはクラヴィスの顔写真だったのだ。植物を背景に偶然写ったものではない。明らかにクラヴィス自身が被写体になっているものだった。写真の中のクラヴィスは、 降り注ぐ光の眩しさに少し遠くを見るような目をして、額飾りも付けておらず襟元が白く写っていることから、守護聖の衣装ではないことが判る。撮影されたのが闇の館の、どこか窓辺であろうことが容易に推測された。好奇心に駆られて植物以外の風景を撮影することは契約違反だったが、もし撮影してしまった場合は、ネガとともに返却すれば問題は無かった。だが守護聖の姿を撮影するなどと、これは明らかに重大な契約違反で、始末書の提出と厳重な注意が必要だ……と思った。

 しかし……、と私はこめかみを押さえた。正面を見据えているクラヴィスの顔は、それが隠し撮られたものではなく、本人も承知の上のことと思われたのだ。私は、もう一度その写真を見た。写真の裏には何も書かれていない。
 私の中で憶測が流れていく……。
 闇の館の裏庭は、手入れもさほどされておらず鬱蒼としていて、他の館の庭よりも、珍しい植物が多いらしい。あの女性カメラマンは、そこで数日をかけて撮影するうち、クラヴィスと出逢い、二人の間には何かの会話もあったのだろう。周囲を気にせず一心に写真を撮る彼女の姿は、クラヴィスの性格や……好みから考えて好ましく思えたかも知れない。彼女もまた 、守護聖らしからぬ……こう言っては何だが、館では気の抜けたような風情でぼんやりと庭先にいるクラヴィスに好意を寄せたのかも知れない……。契約違反になると知っていても、恋心を抱いた人物を撮りたかったのだとしたら、その写真を置いていかねばならぬのは残念なことであっただろう……。
 些か、深読みしすぎた考えかも知れなかったが、写真の中のクラヴィスの表情は、そう思わせるほどにリラックスした良い表情をしていた。
 しかし、どのような事情があったにせよ、クラヴィスの写真は、カメラマン当人に渡す事も、検閲済みの他の写真と一緒に、王立研究院の者に引き渡すわけにもいかなかった。
 恐らく、カメラマン自身も、この写真はクラヴィスの手に渡して欲しいと願っているに違いない。私はそれを抜き取り、ネガから最後のヒトコマだけを慎重に切り取り、封筒に入れた。木箱を締めて手袋を外すと、残りの九百九十九枚、総ての写真が検閲済みであるとの署名をして机の片隅に寄せた。

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聖地の森の11月 黄昏の森