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 翌朝、グリナジィが私とクラヴィスを宇宙港まで送ってくれた。一夜が経ち、彼の心の中も少しは落ち着いたようだった。イザティスは、公務の為に地方へ発ったとのことだ。昨夜のこともあったので、顔を合わさずに済んで良かったと思う反面、彼女の美しさにもう二度と触れることはないと思うと寂しくもあった。
 別れ際、グリナジィが小さな小箱を御礼にと私たちに差し出した。
「客室係から聞きました。お茶を大層、気に入って頂けたようで。聖地からいらした方のお口に合うのは名誉な事です。沢山お持ち帰り頂けたらと思うのですが、一部、僅かしか取れない植物が入っていますので、作られた茶葉は厳重に管理されていて、 陛下にも私にも持ち出すことできませんでした。これは数杯程度ですが、私たちに配給されているものの残りです」
 グリナジィが申し訳なさそうな顔をする。
「ありがとう。何よりの土産だ」
「このお茶のブレンドレシピは、ラベルザ様が聖地で飲んでらしたものということですから、もしかしたらそちらではごく普通に手に入るものかも知れませんね」
 少なくとも私は知らないが、茶葉に詳しいルヴァやリュミエールなら何か知っているかも知れない。貰った茶葉を分析すればよく似たものを作るのも可能だろう。
「例の事、お願いいたします」
 グリナジィは小声でそう言った後、深々と頭を下げた。
「安心して待つがいい」
「ありがとうございます、ありがとうございます……」
 クラヴィスの不遜な態度もこの場合は、グリナジィには頼もしく思えたのか、私たちを拝むように何度も礼の言葉を繰り返した。
 やがてシャトルへの搭乗が始まった。客は少なく私たちを含めて僅かに十名程度。
「面倒なことだな。デリーラで緊急用の次元回廊を開いて戻れば早いものを」
 手続きを待つ間にクラヴィスが不機嫌そうに言う。
「仕方あるまい。私たちは主星から来た者ということで処理されているのだ。シャトルに乗って戻ったという記録がなければ元老院の者たちが怪しむし、中継ターミナルからこちらに来た記録の改ざんも厄介なものになる」
 私がそう言うとクラヴィスは、ふんと鼻を鳴らして横を向いた。シャトルに乗ると、予約を入れてあったコンパートメントに入る。簡易なベッドに変わる仕掛けになっている座席が二つ、窓が見渡せるように置かれたごく狭い部屋だ。上着を脱ぎ捨てたクラヴィスはさっさとそこに座り込む。
「中継ターミナルに着いたら、聖地に戻る……ということでよいな?」
 私が問うとクラヴィスは「ああ」と返事をした。予定よりも数日早い帰還になるが、皆の失笑を買うほどではない。ターミナルに着いた後、どこか人気のない場所に行き、聖地への転移装置を設定して次元回廊を開くだけだ。中継ステーションのセキュリティリストに留まったままの私とクラヴィスの記録が残るが、この件については然るべき方法でデータを抹消することになる。
 
 私も上着を脱ぎ、シートに座った。自室では無いところで足を投げ出して座ることに抵抗があるが、私の横ではすでにそうして座り、靴まで脱いで眠りにかかっている男がいる。シャトルが離陸するというアナウンスが入り、一時的にシートベルトにロックがかかる。やや強い衝撃が一度あり、静かに機体が上昇していく。もう一度衝撃。その後、ふわり……と体が自由になった。
「当機はデリーラ大気圏を抜けました。快適な宇宙の旅をお楽しみ下さい」とアナウンスが聞こえ、同時に目前の窓のシールドが上がり、宇宙が見えた。
 
「そなたも何か飲むのならオーダーするが?」
 目を瞑ったままのクラヴィスに私言った。クラヴィスの目が開く。そして、何か言いだけに私を睨んだ。わざと私の勘に障るように。
「何だ? 今朝方から気になっていたのだ。何故、そう不機嫌なのだ? 私に言いたいことがあるならはっきりと言うがいい」
 沈黙。そして……。
「昨夜、イザティスが来た」
 クラヴィスはあからさまに不機嫌な顔をしてそう言った。
「何?」
「デリーラに残り、共に改革に手を貸してほしいと。政治に関わるのが嫌ならば、私的な部分で自分を支えて欲しい……と」
 私が驚きで目を見開くと、クラヴィスは「ふん」といつものように鼻で嗤った。
「それが無理ならせめて一夜の安らぎが欲しいと……」
 軽い眩暈がする……。
「そなた、まさか……」
「が……」
 クラヴィスは勿体ぶったようにそこで言葉を止めると、私をまた睨んだ。
「そういうことなら……安らぎを与えるのは私の得意とする所だからな……。抱き寄せ唇を重ねようとしたとたん、その気が失せた。どうしてお前の香りがイザティスからするのだ? さては先にお前の所に行って、抱きしめられる程度の事はあったが、結局はつれなくされてきたな……と判った。お前の相手をし た後に私の元にやって来られる女がいるとは思えぬのでな」
 言葉を失う……とはこのことだった。クラヴィスは私を睨んだままだ。
「お前の方に先に行ったのが気に食わぬ……」
 その言い様がいかにも残念そうであったので、私はイザティスへの怒りや呆れを通り越して可笑しくなった。あからさまに私を睨むクラヴィスの顔も。
「私を先にしたのは、彼女には見る目があったようだな」
 男の些細なプライド……私にもそんなものがあるようだ。もちろん、クラヴィスにも。
「いいや、見る目が無かったのだ。私の所に先に来れば、固いことを言わずに楽しめたものを」
 クラヴィスならそうしただろうか? ……いや、結局は彼女を抱かなかっただろう。口づけて強く抱きしめ、そして、その身に宿るサクリアをほんの僅かに解放してイザティスの気持ちを落ち着かせて、その手を離しただろう。
 
「そなた、それに気づいて何と言って彼女を退けたのだ?」
「妻帯者だ……と言おうとしたが、一夜限りのことと言われて、あの容姿では男として押し切られぬわけにもいかぬ。……故に……まあ……な」
 歯切れが悪い。クラヴィスは私から視線を逸らした。
「まあ……何なのだ? はっきり申せ」
「……お前がいるから……と答えた。イザティスは、一礼した後、何とも言えない顔をして走り去って行った。悪いことをした……な。まあ、悪意は無いにせよ、私たちを両天秤に掛けたのだから……どっちもどっちか」
 クラヴィスの言っている意味が咄嗟には判らなかった。そう言うことか……と判った後、妙な脱力感に襲われた。言い返す気も怒る気も失せた。ただ、やはりイザティスが気の毒だ。私が黙っているのを良いことに、クラヴィスは星々の見える窓へと視線を移した。
「……なかなか良い旅だった。一応、礼を言っておく……」
 呟くような小声が聞こえた。
 そう……悪くなかった。嫌々ながらの同行ではあったが、デリーラでの出来事は、終わってみれば興味深いものがあった。聖地から杯を持ち出し、逃亡した所で王朝を開いたラベルザ・ララエンタールという人物。聖地を基にした美しい宮殿と制度の中でその頂点に立つイザティス。健気でありながら、ラベルザのしたたかさを確かに引き継ぐ者……そうでなければ女王としては務まらなかったのであろうが。そして、何より、彼女は本当に素晴らしく美しかった。たとえ、どんな策士であろうと許してしまえるほどに、あの時、叶うことのなかった一夜が今更ながら口惜しいほどに……。

 聖地に戻った私たちを待っていたのは、ルヴァを始めとする皆の質問攻めだった。私は出来る限り忠実にこの旅の事を話した。だが、私とクラヴィスがイザティスに言い寄られたことまでは話していない。
 翌日、私はデリーラでの一件を報告書として纏め、ラベルザ・ララベンタールと杯の事を、イザティスの望んだ通り、聖地からの正式文書として届けるよう手配した。長年の風習を変えるのは容易いことではないだろうが、彼女ならいずれ成し遂げるだろう……。
 

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