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 デリーラから戻って一週間が過ぎた日、私の執務室にし、一輪の花の入った花瓶を携えてルヴァがやってきた。
「ジュリアス、これをお返ししようと思いましてね……」
 ルヴァは一輪挿しと共に小さな缶を私の机の上に置いた。
「これは?」
「例の茶葉の残りです。こちらの花は後で説明します」
 デリーラから持ち帰ったあの茶葉から同じようなものが作れるかどうかを、茶に詳しいルヴァに頼んであったのだ。
「やはり同じものは無理であったか?」
「持ち帰った茶葉自体は極上のものではありますが、特にどうというものではありませんでした。後、干した果実、花々、ハーブの類、絶妙の量で配合されていましたがこれも、聖地外でも、ごく普通に手に入るものばかりです。たったひとつだけを除いては」
 最後の所でルヴァの口調が意味ありげに遅くなる。
 ルヴァの視線は、茶缶の隣に置かれた一輪挿しに映る。細くすんなりと伸びた茎の上に咲く小さな……だが、鮮やかな赤の花。
「そのひとつが、これ。あのお茶のキモ……ともいえる香りになっていました。この花の花びらと花弁を乾燥させたものです。聖地の丘に咲いている野草でしてね。。恐らく……ラベルザ・ララエンタールは、聖地を出る時に、この花の種でも持って出てデリーラでそれを育てたのでしょう」
「それでは、やはり、昔の聖地でもあの茶と同じものあったのだな?」
「ええ。理論上は今でも完璧に再現できるのですよ。ラベルザのいた頃の聖地では、この花を使ったこのお茶が飲まれてたことになりますから、そんなに美味しいのなら、どうして今に継がれてないのだろうと思い調べてみました」
「うむ。それは私はそう思っていた。お茶に限らず料理や菓子や……そういうものの中で優れたものは、時代が変わっても引き継がれているからな」
「ええ。製茶所に記録が残っていましてね。今に継がれてないわけがすぐに判りました。この花に毒性があると判ったからですよ」
「毒性……?」
「ごく微弱な毒性で、小動物や昆虫の感覚を軽く麻痺させる程度のものです。この香り……リラックス効果があると感じたでしょう? こういうものは表裏一体とでも言いましょうかね、当時の聖地では、人体にとってはさほど影響はないと判断され需要があったようです。ラベルザはとても気に入ってたんでしょうね。けれども、三十年ほど前、精密な検疫の結果、大事を取って製茶所のリストから外され、以降、そのレシピは封印されました。たまに飲む程度なら何ということもないでしょうけれど、常飲することには少し不安がありますし、体質によっては 強いアレルギー反応を起こす可能性も他のものよりかは高いようです。そういう事がなくても、子どもやお年寄りは飲まない方が良いでしょうから」
「そのようなものであったか……」
 私はイザティスとグリナジィを思った。そのようなものなら、知らせてやるべきかも知れないと。
「ジュリアス、デリーラから持ち帰ったものは、その毒性が弱まっていました。壌土の違いで、長い年月の間に毒性が抜けて変化したものと思われます。ですから、あちらでは何の問題もなく飲んでいただいても良いですよ」
「そうか。それは何よりだ。よく調べてくれたな、ありがとう」
「どういたしまして。と、いうことで、このお茶は聖地では再現不可能です。成分を調べるのに使わせて戴きましたが、後、二杯程度の茶葉が残っていますから」
「では、そなたが飲まぬか?」
「いいえ、私はお調べする段階で一杯、頂戴しました。本当にとても美味しかった。再現できなくて残念です。残りは貴方とクラヴィスとで最後にお飲みなさい」
「そう……か。クラヴィスもこの茶の事は気に入ってたようだ。この報告をしがてら、そうさせて貰おう」
「ええ。この一輪挿しも置いておきます。野草ですから鑑賞には不向きです。咲ききっていますし、明日には散ってしまうでしょうけれど」
「綺麗な赤だな、何という名だ?」
「元々は香紅草だなんてそのまんまな名前で呼ばれていたようですが、毒性がはっきりと判って以来、タンドゥールプワゾンと命名され聖地の植物図鑑に正式登録されています。遠い星の言葉で、優しい毒……という意味だそうですよ」

 ルヴァが去った後も、私はその花をしばらく眺めていた。真紅……いや、もう少し明るい鮮やかさがある。私はふとイザティスを思い出した。長い黒髪と黒い瞳、白い肌と赤い唇……総てが完璧なほどに整っている。大震災というあの星の不幸がなければ、ただ美しい人としてしか私の印象に残らなかっただろう。女王という責務と孤独、星の復興と改革の疲れが、彼女に影を落とし、凜とした容姿の僅かな隙となって現れる。恋というほどの想いを抱いたわけではないが……、彼女を抱きしめた時の事を思うと僅かに心が疼いた。 
 丁度、午後三時を知らせる鐘が鳴り、私はクラヴィスの執務室へと向かった。一輪挿しを携えて。以前のようにカーテンは閉ざされておらず、夕暮れに向かう午後のほどよい明るさが室内に満ちている。
 私はクラヴィスに、タンドゥールプアゾンの花を見せ、ルヴァの話を聞かせた。それが終わる頃、タイミングよく茶が運ばれてきた。
「ここに来る前に頼んでおいたのだ。最後の一杯だ」
 私たちの前にカップが置かれ、静かに茶が注がれていく。良い香りが立ちこめる。側使えが去り、私とクラヴィスは二人きりになった。私たちはいつものように無言でそれを飲む。チラリとクラヴィスの視線が動いた。机の端に幾つかの書類が溜まっている。本来は明日、私が処理すべきものだった。クラヴィスが何を思っているのか判った。
「クラヴィス、留守中よろしく頼む」
 そう……私は明日から、私自身の休暇に出るのだ。陛下には、クラヴィスの休暇へ同行したことで私の休暇も終えたことに……と申し出たが、やはり聞き入れては貰えなかった。「留守……と言っても週末を挟んで四日、実質二日だからそなたに代行させる仕事量は大したこともなかろう」
「どんなところに行くのだ?」
「主星からほど近い星の片田舎で過ごすことにした。地方の静かな所だ。夕陽が特に美しいと聞く。観光地ではなく湖と森の囲まれた保養地で、リタイヤした者たちの終の棲家が多くある町だ。宿泊先もコテージのようになっていて食事など最低限のサービスがあるだけ。近くの牧場で馬に接することもできる。スポーツ施設は一通りあるらしいが、元々は怪我や病気のリハビリをする為の施設らしいから閑散としたものらしい」
 事前に調べたガイドや担当官の報告を思い出しつつ私がそう言うと、クラヴィスの眉間に皺が寄った。何なのだ?
「そういう所を知っているなら、何故、最初から言わぬ」
 私はクラヴィスをじっと見た。そう言われれば確かにクラヴィスの好みそうな場所だった。
「調べればそのような所など他にもあっただろう? 自分から動こうとしないから判らぬのだ」
 クラヴィスは言い返さないが、苦手なものは苦手だ……と言わんばかりの態度だ。
「陛下は、我らの休暇を今回だけでなくもっと頻繁に行うと仰せだ。私の行き先と聖地とは時の差が緩やかだからゼフェルたちのように何ヶ月もの長期休暇とはいかぬが、その分、次元回廊の設定が容易くなり、聖地から直通で回路を構築できる。シャトルなどの交通機関を通さずに行き来できる故、そなたも週末に短期休暇として出掛けてみてはどうか?」
 私自身、行ってみて気に入れば、そうするつもりで選んだ場所だった。
「そんなところまで考えて休暇先を選ぶとはな」
 そう言った後のクラヴィスの表情から思うと素直に感心しているらしい。
「そなたの今回の休暇は、予定より短く、移動時間も多かったからな。物足りぬと感じているならこの週末に来ても良いぞ。コテージには余分に部屋がある」
 社交辞令が混じっていないか? と言われれば多少は……と思う。が、クラヴィスが望むのではあれば別に良い。クラヴィスは即答せず、やや間があって、ようやく「…………考えておく。気が向けば……行ってもいい」と気乗りしない様子で呟くように言った。もう少し何とか言い様があるだろう……。 
「だが、ふいに来られては私も……都合の悪い事の最中であるかも知れぬ故、事前に連絡せよ」
 澄ました顔をして私はそう言ってやった。クラヴィスの反応を楽しむように。クラヴィスの目が一瞬、大きくなる。そして無表情のまま……。
「週末に行く。その期間だけは体を空けておけ」と言った。
「ほう? ならば、久しぶりにそなたも乗馬でも楽しむか?」
 少年の頃は、クラヴィスはたまに馬に乗ったのだ。早駆けではなく、だだゆったりと馬の背に揺られて野原を行くだけだが。クラヴィスは「ふん……」と短く言い、身を乗り出してポットに手を伸ばした。はらり……と髪が肩から滑り落ち、側にあった花に触れる。
「あ……」
 とクラヴィスが短く叫んだ。不安定な細い一輪挿しを倒したかと思ったようだ。だが、クラヴィスの髪は、花びらを散らしただけだった。真っ直ぐな茎だけになったものをクラヴィスは残念そうに見つめた。
「まだ咲いていたものを……悪いことをした……」
 そう呟いたクラヴィスの言葉は、彼がイザティスを退ける為に使った方便を思い出させた。
『……お前がいるから……と答えた、……悪いことをした……』と。
 よくも言ったものだ。
「何がおかしい?」
 私の表情を見たクラヴィスが問う。
「いや……何もない」
 そう答えるとクラヴィスは、少しムッとした顔をして、ポットに残ったお茶を自分と私のカップに注いだ。少ししか残っておらず互いに半分ほどの量しかない。私たちは、名残惜しげに残りのそれを口をつける。今し方、クラヴィスが散らしたタンドゥールプアゾンの茎に残った花弁から最期の香りが放たれている。乾燥させ茶葉に混じっているものよりも、はるかに甘く、それでいて爽やかさが後からついてくる鮮烈な香りだった。

 

END
 

■あとがき■