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 イザティスとグリナジィが去った後、私たちは再び二人きりとなった。それを待ちかねていたようにクラヴィスが「さて……」と呟き、「どうするつもりだ?」と問う。
「この文書を正規の手順で聖地へ提出しようとは考えていない。そもそも我らは主星にある王立研究院の人間ではないのだからな。だが、こうなっては仕方あるまい。とりあえずはこのまま聖地に持ち帰ろうとは思ったのだが……」
 私のいまひとつはっきりしない言い様に、クラヴィスが鼻で嗤った。では、そなたはもっと良い案があるのか、と言葉ではなくクラヴィスを睨みつけることで反対に問いかける。
「聖地に持ち帰り、手順を踏まえて然るべき執務官経由でデリーラのイザティスへと答を返す……。そこには一言、聖杯の開示を請う……とだけ記されているわけだ。それを受け取ったイザティスは、元老院と一戦交えてようやく聖杯を開示するところまでこじつける……その間、何ヶ月……いや何年が過ぎているのだ? まわりくどいことだな。偽と判っているのに」
 クラヴィスは何の迷いもなく、聖杯を偽と言い切った。
「聖杯が偽だと思う根拠は?」
「聖杯だけではない。話の全てがどこかおかしい。お前もそう思っているだろう」
 クラヴィスと同意見ではあるが、私は頷かなかった。千年以上もの年月、信じられてきた話だ。デリーラの民やイザティスの気持ちを考えると、確証もなく疑うわけにはいかない。
 私は自分の手荷物をチラリと見た。聖地へ連絡が取れる通信機が私の荷物の中に入っている……。
「そう……調べればすぐ判る……たった今、ここで、な」
 クラヴィスがまた笑った。癪に障るが、背中を押されたようでもある。私はトランクの中から銀の薄いプレートが二枚合わさったノート型の通信機を取り出し開いた。少し考えて王立研究院ではなく、ルヴァへと直接コンタクトを取った。
「おや、まあ、ジュリアス〜。どうかなさいましたかー?」
 モードは必要最小限にしてあり、音声だけがプレートから聞こえてくる。今、この聖地と接触している瞬間、時間差は同期とされ、聖地との時差が無くなる。
「調べて貰いたいことがあるのだ」
「旅先で何かありましたか? 貴方がこうして通信してくるなんて、よっぽどの事なんでしょうね? ともあれ、私に出来る事ならすぐに調べますよ、何でしょう?」
「すまぬ。詳しい事情は戻って話す。……ザッと百年ほど前の女王陛下の名についてだ。ラベルザ・ララベンタール、この名があるかどうか。それと……当時の記録に、何か聖杯についての記述はないだろうか?」
「聖杯ですって? 何やら面白そうなことに首を突っ込んでいるのですねー、帰ったらすぐにお話ししてくださいね〜、では、調べてみます」
 調べ物となると積極的になるルヴァの性格が有り難い。私は、一旦、通信プレートを閉じ、再びクラヴィスの方に向き直った。
「千二百年の時も聖地では百年程度……それくらいであれば、記録も残っているはずだ」
 そう言った時、客室係が食事の用意が出来たと伝えにやって来た。普段、聖地で出されるものと似た料理だった。素材も味も悪くない。食の細いクラヴィスにすればよく食べているほうだ。相変わらず私とクラヴィスの間に大した会話は無いが、悪い雰囲気ではない。昔から私たちはそうだった。クラヴィスが相手だと何ら気を使うことがない。

 ルヴァから連絡が入ったのは、もうそろそろ寝室に入ろうか……という時刻だった。今度は音声ではなく文書によるものだった。時差により我らが眠っていることを思慮してくれたのだろう。 簡潔に纏められたそれを読み終えた私は、クラヴィスに、通信プレートを手渡した。しばらくして、「そういうことか……」とクラヴィスは呟き、欠伸を噛み締めて、自分の寝室に入っていった。とりあえず、この星の謎は解けた。問題はそれをイザティスにどう伝えるか……。ひとつの星を支えてきた人だから弱くはないだろうが、恐らく強いショックを受けるだろう。目の前で女性に泣かれるのは考えただけでも気が重い……、とそう思った後に、不謹慎な考えが脳裏を過ぎった。彼女の頬に一筋の涙が流れていくのは、どんなにか美しいものだろう……と。 
 
 翌日の午後、イザティスとグリナジィが視察から戻ってきた。二人の、特にイザティスには疲労の色が見て取れた。きっちりと結い上げた髪と、威厳は感じられるがこの年頃の女性には似つかわしくない地味な色合いの長上衣が、顔色を悪く見せ、華やかな彼女の容姿を封じ込めているようだった。これから私が彼女に伝えようとしていることは、室内の小さな円卓でひそひそと話すべきような内容なのだが、私は二人を中庭にと誘った。狭い室内でするには気が滅入る話だったからだ。
 
「お話?」
 イザティスの顔が曇る。昨日の依頼を断られるのではないかと懸念している。グリナジィはもっと露骨に不安な顔をした。
「実は……我々は主星の王立研究院ではなく、聖地の者だ」
 クラヴィスが口火を切った。さすがに守護聖だとは言わないことにしていたが。
「で、では、主星ではなく、聖地の王立研究院に所属されているのですか!」
 グリナジィの解釈は都合が良かった。私は頷いた。
「陛下、よろしゅうございましたね。まさか、聖地の方に直接、文書をお渡しできるなんて思いもよりませんでした。これもラベルザ様のお導きかも知れません」
 素直にグリナジィは女王と喜び会う。その姿に胃がキリリ……と痛んだ。二人とも古い体制を打ち崩したい気持ちがありながらも、王朝の祖であるラベルザを崇める気持ちは消えないのだ。
「昨夜、私たちは持参していた通信機で聖地へ連絡を取った……。結論から言おう。ラベルザ・ララベンタール……過去に於いてそういう名の女王は存在しなかった」
 私は一気にそう言った。イザティスとグリナジィは、意味が判らないらしく無言のままだった。
「聖地と外界の時の流れは、極めて流動的なものだが、デリーラでの千二百年の時は、聖地時間にすれば約百年ほど。聖地でも古い記録は失われたものも多いが、その程度の昔なら記録は残っている。で、調べさせたところ、女王は元より補佐官、並びに女官長にもその名はなかった」
 クラヴィスがいうと、ようやくイザティスが「では……ラベルザ様は一体……」と呟いた。
「女王の証したる聖杯のことだが、現在に於いても、過去百年に於いても、そのようなものは存在しない。杯や鏡、剣……そういったものを聖なる何かが宿るとして崇める風習は聖地には無い。ただの杯……ということなら別だ。もちろんごく普通にあるし、装飾用の手の込んだものも存在する。では、そういうものの中で当時の記録に何か無いかと調た所、一件だけ杯に関する記述が見つかったらしい」
 ルヴァの調査はそこにまで及び、結果として事実が引き出されたのだった。
「それは、どのようなことですか?」
 グリナジィは、縋るような気持ちを露わにして言った。
「お前たちの言う聖杯は、金に神鳥のレリーフ、その眼球に小さな赤の石が埋め込まれてある品ではなかったか?」
 クラヴィスが問うと、二人は顔を見合わせて驚き、それを認めた。
「当時の女王陛下が使われていた杯の紛失記録が見つかった。宮殿内の、しかも陛下の愛用品が紛失……ごく小さなものならともかく杯ほどの大きさのものが見あたらないなどと普通では有り得ぬことだからな。それ故、記録に残っていたのだろう。時を同じくして……何人かの女王付き側仕えの入り替わりがあり、当然ながら、そのうちの暇乞いをした者の中に、もしや持ち去った者が……ということになったのだが、結局の所、陛下は追求なさらなかったと記録は締めくくってあったという」
「な、何を仰りたいのですか!」
「おやめなさい、グリナジィ。お話しを最後まで聞きましょう」
 興奮するグリナジィを止めたイザティスは、私をきつい目で見つめ返した。
「暇乞いをした者たちの数はそう多くはないが、名や行く先の記録までは残っていない。ただ、同時期に、この時代にしては珍しい辺境の地であるデリーラに次元回廊を設定した記録があった。 片道だけの。名の記載は無いが間違いないだろう」
「次元……回廊? それは聖地の御わざのことですね。ラベルザ様の残されたお言葉の中にありました。聖地と他所とを繋ぐ特別の道筋と……それならば、宇宙港やシャトルなどない時代に於いても降り立つことは可能……」
「それでは、ラベルザ様は、女王付きの側仕えで、聖地から暇乞いをする時、女王の杯を盗んで……デリーラへ来たと?」
 グリナジィの声が震えている。

「ラベルザは、デリーラの者ではなかったのだろう。当時の聖地では、女王宮殿に仕える者たちは主星から募っていたはずだ。時の差を考慮して、数ヶ月程度で入れ替わるのが常だったらしい。行儀見習いを兼ねてやってくる若い 良家の子女たちが多かったと聞いている。彼女はそのうちの一人ではないかと思われる。そして、彼女は何を思ったか、主星ではなくデリーラに行く先を決めた……」
「千二百年前のデリーラなど、主星からみれば中世期のまだまだ野蛮な地だったはずです。一体、何故……」
 グリナジィは頭を抱え込み、近くにあった石造りの椅子に座り込んでしまった。
「……ラベルザ様の記録には、聖地への想いが溢れています。聖地の女王という存在にも多くの記述が残っています。聖地に似せ王宮を造らせ、その執政も聖地と同じになぞらせた。生活様式の至る所にも……。彼女は聖地を去りたくなかったのかも知れませんね。自分の家に帰りたくなかったんでしょうか?。側仕えと言えど聖地へ上がることができる良家の令嬢だったのなら、戻ればすぐに婚姻が待っていたのかも知れません。意にそぐわぬものだったとしたら ? 聖地を去る間際、女王愛用の品に手を付けてしまったことで、彼女は決心したのかも知れません。家には戻らぬと。盗んだことが発覚するのを恐れ、遠くに逃げたのかも知れません」
「それは憶測に過ぎぬ……が、そうだとすると、聖杯を門外不出にしたり、他星との交流を拒み続けた辻褄は合う。聖地や主星からの追っ手が来ぬようにと できるだけ隔離されていたかったのだ」
 クラヴィスの意見に私も頷くことで同意した。
「で、でも、暇乞いをした側使えの中でだった一人だけデリーラに向かったのなら、盗んだ犯人は決まったも同然です。その次元回廊という聖地の御わざを使えば、デリーラに簡単にやって来られるのなら、どこに逃げ隠れしても無駄じゃありませんか!」
 グリナジィは矛盾点に縋って叫ぶ。クラヴィスが、何も判っていないな……とばかりに「フッ……」と笑う。グリナジィは「何がおかしいッ」と怒りを露わにした。
「聖杯ではないただの杯だ。それほど価値のあるものではない。そんなものひとつで聖地は動きはしない。それに女王は慈悲深くていらっしゃる。短期間といえど身の回りに 置いた娘を その程度の事で捉えようとなさるまい」
 クラヴィスが静かにそう言ったことで、グリナジィはそれ以上、何も言う気が失せたらしく、力なく側に項垂れた。
「グリナジィ。ラベルザ様は、本当に聖地が、お仕えしていた女王陛下の事がお好きだったのでしょう。盗んだ……というより、憬れの女王様のお使いになっていたものを記念に欲しかった……のではないかしら?  そして、焦がれる余り自分も女王のようでありたいと思った。まだ粗野な当時のデリーラでなら、人の上に立つことも容易いかも知れません」
 イザティスの言葉を補足するよう私は、「事実、聖地である期間を過ごした後、混乱の続く別の星へと向かう者は珍しくない。聖地では幾多の星の情報が出入りしている。主星やその近隣の星々の出身者なら、辺境の星々の抱える問題に驚き、なんとかしたいと考える者も多いのだ。知り得た医療知識などを持って人命の為に尽くそうと。そして……、中には指導者となるべく野心を持って……」 と言った。
 私がそこまで言ったところでグリナジィが居たも立ってもいられない様子で立ち上がり詰め寄ってきた。
「それでは、ラベルザ様が……粗野なデリーラで一旗揚げようとしてやってきたみたいに聞こえるじゃないですかっ」
「事実はわからぬ。だが、概ねそんなところだろう。自分の意のままにならず先の見えている故郷に戻るより、よほど面白そうではある」
 クラヴィスの言い様は情け容赦ない。が言葉を選んで濁すよりも、きっぱりと言った方が良い場合もある。グリナジィは握り拳を作ったまま俯いて感情を押し殺して立っていた。
「ラベルザ様は聖地で女王ではなかった、そして聖杯は、ただの杯、それも盗品……。悲しい事実ですけれども、真実が判って良かったのかも知れません。千二百年……ラベルタ様の教えだけに縋っていた時代はこれで終わることができます。わたくしが終わらせて見せます」
 グリナジィとは対照的にイザティスは凜と顔を挙げてそう言った。
「陛下……」
 グリナジィの目から涙が溢れる……。
「ジュリアス様、クラヴィス様、今のお話を聖地よりの正式の文書にしてデリーラへ頂戴することは可能でしょうか? それを以て元老院を説得致します」
 イザティスの願いに、クラヴィスは小さく頷き、私は、「善処しよう」と言った。
「グリナジィ、泣くのはおやめなさい。……事情はどうであれラベルザ様が、混沌の時代を終わらせ、この星に秩序をもたらしたのは本当のこと。ララベンタール王朝が、民に支持されたのは、聖地女王の血筋と信じられていたからこそではあるけれど、わたくしの祖先は、皆、平和を愛していました。祖父も、父も、兄も……代々の皆が、高潔であれと心がけてきました。暴君は一人もいません。我が民も皆、働き者で穏和で……」
 キッと顔を挙げたままイザティスはそう言った。その目頭に光るものはあったが……。
 

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