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 居間の大きな窓から差し込む光が次第に穏やかなものになっていく。一時間が過ぎたが、イザティスは現れなかった。会議が長引いているのだと予想されたが、さらにもう一時間が過ぎても彼女はまだ現れなかった。私とクラヴィスの忍耐が切れなかったのは、居心地の良い部屋と、客室係がタイミングよく運んでくれた二杯目のお茶、そして書棚にあった画集や写真集のお陰だった。その何冊かを読み終えようとしていた時、グリナジィが息を切らしてやってきた。 イザティスの姿はない。元老院の策略で必要以上に会議が長引いており、自分だけが資料を取りに行くふりをし、会議の席を抜け出してきたのだと彼は言った。私たちにひたすら謝った後、長上衣の中に隠し持っていた文書を取り出した。
「これは……以前から陛下が……したためられていた……ものです。機会があれば、これを聖地へと送ろうと……」
 よほど走ってきたのだろう、まだ乱れた息のまま彼は苦しそうにしつつ、それを私たちに向かって差し出す。だが、私は慎重であるべきと考え、受け取らなかった。それに、どの星の、誰であれ聖地へ直接文書などを送りつけることは不可能だった。唯一の手段は、主星にある聖地の為の機関を通すことだが、そこに至るまでにも細かな取り決めがあったし、その機関を経て聖地へと取り次ぎされるものはごく僅かだった。
「これをどうせよと?」
「主星にお持ち帰り戴き、しかるべき機関を通して聖地へと送って頂きたいのです。ここ一年の間、陛下はじっと機会を待っておられましたが……」
 グリナジィは項垂れた。
「お前は、外来者のチェックを担当していると言ったではないか? お前をから宇宙港に出入りしているビジネスの関係者を通じて、主星へと送り届けることも可能だったろう」
 クラヴィスの意見はもっともだった。
「大震災の後の支援もほぼ収束し、打ち切られました。出入りしている者たちの数も少なく、その全ては元老院監視下にあるのです。通信手段もそうです。下手に動くと文書自体が元老院の手に渡ってしまいます」
「そのような大事なものを面識もない我らに託す気が知れぬな。我らが元老院へ渡すことも考え得る」
 クラヴィスはグリナジィの意思を確かめるかのように冷たく言い放つ。
「……ですが、貴方様がたは、王立研究院に所属される方です。高潔なお人柄無くしては決して入ることのできない所だとお聞きします。それならば聖職者ともいえましょう」
「それは間違った解釈だ。確かに狭き門ではあるが」
 クラヴィスがそう言ったにも変わらず、グリナジィは文書を私に強引に押しつけた。
「陛下がここにお願いに来られるまでにお目通し下さい。そうすれば話しは早いでしょう。王立研究院の方なら、この事が考古学的にも意味のあることだとお判りになるはずです! 聖地の……古の女王陛下に纏わることでもあるのですから! もう、行かなくてはなりません」
 こちらに返事を言わせず、彼は逃げるように走り去った。私の手元に、その文書が残される。
 
「いにしえ……の……女王陛下に纏わる……こと? 一体……どういうことだ?」
「受け取ったのはお前だ。気になるなら読むしかあるまい」
 クラヴィスの言い様は、面白くなかったが、今は、そうした方がよさそうだった。その文書自体はさほど長文ではなかった。形式的な記述の後、ララベンタール王朝の祖であるラベルザが聖地より持ち帰ったとされる聖杯の真贋についての鑑定を依頼したいと記されている。
 
「……聖杯の真贋依頼を何故、元老院は阻止しようとするのか……、考えうる答はひとつだろう。偽だと判ると都合が悪い……と」
 私はクラヴィスに、文書の内容を話し、率直に思ったことを述べた。
「聖地から持ち帰った……ということ自体がまず疑問に思える。イザティス女王にとっても今まで本物だと信じられてきたものが偽だったならばそれは悪い結果であろうが……。だが、もしそうだったと判った場合、それを古い体制を改革するきっかけにしようとしているのではないだろうか?」
「概ね、そんなところだろうが、解せないのは……」
 クラヴィスは手にしていた本を私に向かって差し出した。イザティスを待っている間、ずっと彼が読んでいたものだ。
「これは?」
「この星の歴史書だ。それによると、太祖ラベルザは聖地で女王だったそうだ。その任を終えた後、デリーラに帰りララベンタール王朝を建てたのだと」
「聖地の……女王……だと?」
「そう書いてある。そうとなれば、聖杯も偽と決めつけることはできぬな。厚い聖地信仰、ララベンタールという王朝への崇拝から来る徹底的な保守的思考……総ては辻褄があってくる……のだが……」
 クラヴィスの言う通りではあった。だが、そう考えるには違和感があった。 故郷に戻って王位に即き、聖地に似せた敷地内に宮殿を建て、その他の事も聖地の例に習う、民にもそれを説き従わせる……女王だった人がそんなことをするだろうか?
「政策としては悪くない。暴君であったとは記されていないし、大層愛された人物のようだがな。では、この異常なまでの閉鎖的風土は何だ?」
 クラヴィスも、やはり何か心に思うものがある様子だ。そして腕組みを解いた後、大きく足を投げ出して座り直した後、「……どうも引っかかる。ここに来る時に、上空から宮殿の配置を見ただろう? 宮殿の在りようなどどこも似たようなものだが、湖や小川の位置まで聖地とそっくりだった。まるで実際に聖地を知っているかのようにな。やはりラベルザは、本当に聖地で女王であったのか……面倒な事になりそうだな……」
 クラヴィスはいつものように投げやりな態度と口調で言った。だが、表情はどことなく、その厄介事を楽しむようでもあった。

 やがて日没間際になって、イザティスとグリナジィがやって来た。待たせたことを詫びた後、彼女は居間の片隅にあるカードゲームをするための小さな円卓へと私たちを誘った。客室係の中にもに元老院の密偵がいるかも知れず、互いの表情が間近に見て取れる席では、小声で話していても違和感がない……ということらしかった。グリナジィがカードを繰って配り、任意のカードを置く。我々は手札の中から、それに見合うカードを出していく……誰でもが知っているごくシンプルなカードゲームだった。だが、繰り出されるカードはルールを無視した適当なもので、神経は会話に集中している。
 私は預かった文書に目を通した事を言い、場合によっては主星に持ち帰り、聖地へ届けて貰えるように計らっても良いと言った。ただし幾つかの疑問に答えて貰えるならば……と条件をつけた。
 ラベルザ・ララベンタールの事を詳しく知りたい。彼女は本当に聖地の女王であったのか? 私がそう問うとイザティスが良く通る美しい声を、あえて押し殺した小さな声で話し出した。
「ラベルザ様ご自身が書かれた記録によると、ある日、突然に聖地へ女王として召還されたのだそうです。そして、その責務を全うした後、故郷であるデリーラへと戻り、ララベンタール王朝をお建てになりました。当時は、この星のどこの国も王朝が何度も入れ替わり、幾つもの国が栄えては滅びしていた混沌の時代。長い戦の末、疫病が流行し、あらゆる地域の民の半数が死に瀕していた時に現れた彼女は、デリーラを統一し、秩序と平和をもたらしました。以降、私たちは、女王を輩出した星の民としての誇りを持ち、彼女の説いた教えを守り、今日に至っています。偉大なる女王ラベルザの血族……ララベンタール家は、それ故に民に愛され、信頼され、長きに渡ってこのデリーラを治めてきました」
 私とクラヴィスを交互に見据え、澱みない口調で話すイザティス……。
「彼女の説いた教えとは?」
 クラヴィスが問いかけると、グリナジィが、いかにも聖句を唱えるのだという顔つきで答えた。
「我はかつてその力を以て宇宙を納めし者なり。だが、そのことを外に漏らしてはならぬ。女王を生んだこの星の聖なる力を外に出してはならぬ。それが守られぬ時は大いなる災いがこの星を襲うであろう。聖地を崇め、このララベンタールの血筋を尊びて生きよ。我らは聖地のご加護ありて存在する者なり。永久の平和と富を約束された女王の血あればこそ……」
 子どもの頃から慣れ親しんだ言葉なのだろう、グリナジィはすらすらとそう言った。
「幾つかある教えのうちの冒頭の部分です。デリーラの民ならば誰でも諳んじることのできる言葉です。民は皆、そう信じてきました。わたくしも。この千二百年ほどの間、平和で美しく……そうあるのは、聖地という存在と、そこで女王の座にいらした誇り高いラベルザ様のお陰なのだとずっとずっと信じていました」
 先ほどまで自信に満ちていた漆黒の瞳が、揺らぐ……。
「今は信じてはいない口ぶりだが?」
 クラヴィスが、フッ……と嗤って言う。
「教えに従ってデリーラは他星との交流を絶ってまいりましたが、我が星は資源も豊富な為、近隣の星からの貿易の要請があり、友好を保つ為に祖父の時代にやむを得ず、ごく僅かながら交流が始まりました。年に数回の貨物船のみの行き来でしたから、我が星の体制にさほどの影響はありませんでした。ですが確実に主星の情報は、私たちの元に届くようになりました。主星、一番聖地に近しい星、全てに於いて辺境のデリーラから見れば雲の上の星。私の中で主星に対する憬れが膨らみ、ぜひそこで学んでみたいと思いました。ですが、聖なる血族とされる王家の私がデリーラから出ることは、ラベルザ様の教えに背くことになります。でも、父と兄の計らいで半年だけ主星に学ぶことを許されました。次代を継ぐのは兄ですから、私はいずれは元老院の家系筋に嫁ぐ身、多少の我が儘には目を瞑ってやろう……と思ったのでしょう。元老院の者たちも、留学からもどれば婚礼準備に入る事を条件に、渋々私の留学を許したのです。主星にいた半年の間に、私はラベルザ様の教えが、もはや今の世にはまったく合わないものだと知りました。政治や経済のあり方、科学技術、とりわけ医学 の分野に於いては、いつまでも閉鎖的であるべきではないと。デリーラに戻った後、私は父と兄、元老院にその事を説きました。その矢先……あの大震災が起きました」
「かなりの被害が出たと聞いたが?」
「海沿いにある工業地域の大半が沈みました。山間の幾つもの町が土砂に埋もれました。古い建築物の多い王都も……。大いなる災い……、王家の血筋である私を外に出したことによるラベルザ様の怒り……そう言う者も多くいました」
「馬鹿馬鹿しい」
 クラヴィスの投げ捨てるような一言に、グリナジィは小さく頷いた。
「震災で……父と兄が亡くなりました……。皮肉なことにラベルダ様の血を引く直系の者はわたくししかいなくなったのです」
「教えに背きデリーラを出た王女が、次代の王となる。その身をもってデリーラの為に尽くすようにという戒めなのだと……元老院の者たちは言ってます」
 グリナジィはそう補足した。
「即位してからのこの五年、必死でしたわ。復興が最優先でしたから元老院との関係もそう悪くはありませんでした。ところがここに至って、支援物資の供給も打ち切られ、他の地方はともかく、王都が以前と変わらぬ姿を取り戻すと、元老院の中で、再び宇宙港閉鎖の案が出始めたのです。デリーラはやはりラベルザ様の教えに従うべきなのだと」
 イザティスが目を伏せる。なんと長い睫だろう……。
「元老院は目先の事しか考えていないんです! 復興が成し遂げられたと言っても南の工業や農業地帯の大半は壊滅したままです。何の問題もなく見えるのは王都だけです。地方は資源が円滑に回っていない。幾ら資源が豊富といっても年々の発掘量は減少している。小さな資源、資産の中だけで全ての事を掌握できている時代はとっくに終わってるんです。政治にしたって、女王と執政官たった九人で物事を決めるなんておかしいでしょう? それに世襲だなんて変です。私みたいな何も知らない者が ただ最初にラベルザ様によって選ばれた九つの家の血筋だというだけで執務官だなんて。各省の中には本当に優れた人物もいるんですから」
 グリナジィは、思うところが溜まっていたのか堰を切ったようにそう言った。
「王だけでなく元老院も千二百年前から世襲なのか? それでよく民からの反発がなかったものだな」
 クラヴィスの言う通りだ。偏った政をすれば、必ず自ずとそれに反発する事態が起こるはず。
「陛下や執政官の配偶者を決める時には、選定会があるのです。それは家柄などまったく関係なく本人重視なんです。婚礼に適した年齢になると、それに見合う者を募ります。健康、容姿、教養、品格、性格……あらゆる要素を含んだ試験を何回も行って淘汰し、最終的に残ったごく数名のうちから優れた人物を選び、配偶者とします。特に容姿は重要視されるので平民層から選ばれる者も多いのです」
 女王の美しさは、千二百年の間に繰り返された婚姻の賜だったわけだ。教養や品格は後から指導すればある程度はなんとかなるが、持って生まれた容姿だけは……ということか。イザティスだけでなくグリナジィも整った顔立ちをしているし、先に会った老執務官の顔も、深い皺か刻まれてはいたが、若い頃の精悍さが伺える容姿だった。
「誰でも王族や名家の地位を手に入れられるチャンスがあるということで民は納得していたのだな。一見、優れた方法には思えるが、美しく生まれつかなければその時点でいかに努力しようとも道は開けないということでもあるわけだ」
 私がそう言うと、イザティスは視線を窓の外、遥か彼方へと移した。
「美しく、平和で……、民は皆、慎み深く、執政を担う者は皆、高潔で優れた者ばかり……、聖地はそのような所だから、我が星もそうあるべき……はたして本当にそうなのでしょうか? 何かがおかしい……。」
 自問するように呟いた彼女の瞳は、深い憂いの色が見てとれた。
「で、わからぬのは、聖杯の鑑定のことだが?」
 クラヴィスが、話を元々の問題点へと引き戻した。女王は、グリナジィに、説明するよう視線を送った。
「ラベルザ様が聖地より持ち帰った聖杯は、女王の証でもあったもので、ララベンタール王朝の礎の象徴でもあり、王族と元老院以外の者には目に触れることも適わぬよう厳重に保管されています。これも教えのひとつで、門外不出の品として決してこの聖杯の事は他星へは漏らさぬこと、と。聖地由来の杯、まさに聖杯です。その価値は計り知れない。なんとしても手に入れたいと望む輩も多いでしょう。そのような災いから守るため、これも決して誇示せずに、と」
「真に高潔な志……のように思えるが……」
 私は女王の思っていることを引き出す為に、ゆっくりとそう呟いてみた。
「主星に留学していた時、調べてみたのです。主星は古い星ですから、デリーラに存在する聖杯と同様のものがあるかも知れないと。でもそんなものは見つかりませんでした。聖杯だけではなく、他のものも何ひとつ。ただ事実として、多くの女王や守護聖を輩出していることだけが記録として残っているのみで……」
 私もクラヴィスも頷いた。女王であれ、守護聖であれ、聖地からその任を解かれて去る時に、身の回りのごく僅かな私物以外を持って出ることはない。もし特別に思い入れのある品を持って降りたとしてもそれを聖地縁の品として公表することないだろう。それに少なくとも現在の聖地には、女王の証である聖杯……そんなものは存在しない。だが、私はそのことは口にしなかった。
「主星にすら存在しないものがデリーラにはある。考古学的にも価値のあることですから、きちんとした形で、それが我が星に在るのだと証明しておくべきだと思いました。祖父が開港を認めて依頼、末端とはいえ、主星を中心とするあらゆるネットーワーク体系の中に組み込まれている星ならば尚更のこと。しかし元老院はそれを良しとしませんでした。本物と認められれば、当然、学術的な面で他星からの問い合わせも来るでしょうし、そうなれば外来者の行き来も今よりも盛んになりましょう。私は、まずそういう面からでもこの保守的風土を切り崩して行ければと考えたのですが……。真贋を問うこと自体、ラベルザ様への冒涜だというのです。偽であるはずがない、本物に決まっているのだから、聖地へ鑑定を出せば、価値ある品故に召し上げられてしまう可能性もある。そうなれば、ララベンタール王朝の象徴を失ったことにもなり、またどんな災いが起こるか知れないと言うのです」

「その聖杯、直接、見ることは可能か?」
 クラヴィスが、結論を急ぐようにそう言った。
「いいえ。宝物庫の鍵は、わたくしと元老院が持っていますので二つ同時に揃わぬことには」
「それでは……たとえ我々がこの文書を主星に持ち帰り、然るべき機関に預け、聖地へと転送された所で、戻ってくる返事は、その聖杯の開示要求のみとなるだろう。現物を見ぬことには鑑定のしようもない。そうした所で、本物であるとの証明が為されるまでこちらの時間にして何年もかかってしまう……と思うが?」
「待つことは……致し方ありません。でも何もしないよりも……どうか、その文書をお届け下さい」
 イザティスが悲しみの籠もった声でそう言った時、部屋係が扉を開け入ってきた。
「陛下、エアカーのご用意が出来ていると元老院から連絡が入りました」
 膝を軽く曲げそう告げ、退室を促すようにその場に立っている。
「判りました。すぐに行くと伝えなさい」
 彼女はそう言いつけると立ち上がった。
「お食事もご一緒できず申し訳ありません。急遽、視察が入ったのです」
「こんな時刻から視察だなんて……明日でもいいじゃありませんか。元老院の古参の差し金です」とグリナジィが悔しそうに呟いた。
「仕方ありません。南部の情勢が不安定なのは事実です。私が行って収めねば。ジュリアス様、クラヴィス様、本当に今回の事は申し訳なく思っています。せめて、この宮殿内をご自由に見られるよう手配しました。元老院もそれは承知しています。わたくしたちは明日午後には戻れますから、どうぞごゆっくりなさって下さい」
 元々、デリーラには観光でやってきたのだ。今更、また他の星へ行く気力も失せていた。クラヴィスも同意見らしく、私を見て微かに頷いている。
「では、お言葉に甘えるとしましょう……この文書は……一応、預かっておきます」
 私がそう返事をすると、彼女は微笑んだ。ありふれた表現だが、まさに花が咲いたような笑顔……だった。
 

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