scene:3 【サクリア】
 
 女王試験も終盤に差し掛かろうとしていた。なんとか夢中でここまで乗り切ってきたアンジェリークの中にも、今までとは違う自覚のようなものが芽生え、それが大きく成長していく。各守護聖との信頼関係も揺るぎないものになりつつあった。ずっと距離を置かれているように感じていたクラヴィスとの間にも……。

◆◇◆


「私の大陸はようやく安定したと思うのですが……」
 アンジェリークのその言葉に、ジュリアスは深く頷いた。
「最近は育成の効果もよく出ている。気候も安定し、大陸は栄え、活気が溢れているな」
「でも、やみくもに繁栄するだけでは、貧富の差や部族同士の争いが起こる兆しがあるようです……。ロザリアのフェリシアは、ただ栄えてるだけではなくて、調和がとてもとれていると思うんです。けれど、ロザリアの育成のパターンが、そのまま私の大陸に当てはまるわけではなくて、報告書の指数との比率から見ると特に不安定なのがここで……」
 アンジェリークは、資料をジュリアスに示しながら、訥々とそう述べた。その姿にジュリアスの瞳は優しげに揺れた。
「大陸育成の報告書を眺めて、何か呟きながら王立研究院から出てくる姿を、最近よく見かけたが、そのような事を考えていたのだな」
 ジュリアスにそう言われて赤くなりながらアンジェリークは話を続けた。
「それから、神官からの声を聴くと、安らぎのサクリアがとても不足していて困っているんですけれど……」
「クラヴィスに育成は依頼したのか?」
「あの……あまりお部屋にはいらっしゃらなくて……その……なかなかお逢いできなくて」
 アンジェリークが言いにくそうに呟くと、ジュリアスの表情が固くなった。
「あ、私の伺うタイミングが悪いみたいです。ロザリアはちゃんとクラヴィス様に育成して貰ってるみたいだし……あの、あの……」
 取り繕うようにアンジェリークはそう言ったが、ジュリアスの固い表情は変わらない。このままでは、まるで自分がクラヴィスの事を告げ口したようだと感じたアンジェリークは、俯いてしまった。
「現段階のロザリアの育成には、闇のサクリアは必要としていない。従ってクラヴィスの執務室へ訪問する機会はさほどないはず。育成報告書を見れば判ることだ」
 ジュリアスは静かに言った。さらに……。
「そなたは、おそらく今週、何度もクラヴィスの執務室を訪問したのであろう? 無駄足を踏ませたようだな、すまぬ。クラヴィスに代わって、私から謝ろう」
 ジュリアスは、クラヴィスの不在に不快感を示すことなく、そう言った。彼の言葉にアンジェリークは、ほっとして顔をあげた。
「現宇宙は崩壊へと進んでいる。陛下のお力も日々、弱まっておられる。それだからこその女王試験だということは、そなたも理解している通りだ。確実にこの宇宙の均衡が崩れ、消滅する星々が増え、本来ならば生命体を育んでいく新しい星は、進化しないままに消えていく……。それらの事象は、私にも不安感として感じることはできる。だが、クラヴィスは漠然としてではなく、もっと確かな悲しみや苦しみとしてその身に受け止めてしまうようなのだ。それ故、ここの所、特にクラヴィスの体調が思わしくないようだ」
「じゃあ、ずっとお加減が悪かったのですか?」
「心配せずともよい。夜の静寂の中、クラヴィスのサクリアは、もっとも強くそれらに同調する。過度の睡眠不足……と言ったところだ」
「守護聖様は、まるで自分の事のように宇宙の不安を感じてしまうのですか?」
「クラヴィスの場合は特に。感受性が強すぎる……という言い方をすれば判りやすいかも知れぬ」
「闇のサクリアは、安らぎをもたらすだけではなくて、安らぎを必要としている人やモノの現状を感じ取ってしまうのですか?」
「そのように考えていい。例えば、私は、強い生きる力への想いが存在するのを感じ取れる時がある。新しく進化を遂げようとしている生まれたての星であるとか、大災害の後、復興に団結する人々の心の中に、光のサクリアに似た意識が生まれ、私のサクリアが同調する時がある」
「それじゃあ、クラヴィス様のサクリアは……とても……悲しい……ものなのかしら……」
 アンジェリークは胸が詰まった。ジュリアスは何も答えず、ただ穏やかな視線だけを彼女に投げかけた。
「聖地に戻りクラヴィスに逢えたなら、そなたの育成の事を伝えておこう」
 ジュリアスにそう言われて、アンジェリークは、一礼し、彼の執務室を出た。



◆◇◆



「わ、オリヴィエ様、驚いた」
 ジュリアスの執務室の扉を開けたとたん、そこにいたオリヴィエの姿にアンジェリークは驚いて立ち止まった。
「ごめん、ごめん。ジュリアスのとこに行こうとしたら、アンタが先にいたので、待ってたんだよ。……って言うか、白状すると、アンタがジュリアスの執務室に入って行くのが見えたんで、 ちょっぴり開いてた扉から立ち聞きしてた、というのが正解。育成の資料を見ながら顰めっ面して入ってったからさ、少し心配でね」
「えー、同じ事、ジュリアス様にも言われました。私、最近、顰めっ面してブツブツ言いながら歩いてるって」
「そそ、皆、言ってるよ〜」
 オリヴィエは、アンジェリークの眉間に人差し指を置いて笑った。
「やだなー、もう。恥ずかしい」
「女王試験も終盤だもの、恥ずかしがることなんかないよ。でも今までが、ニコニコしすぎてたから目立つだけさ」
 オリヴィエはそう言って、さらに笑い続けた。
「う〜」
「ともあれ、クラヴィスの事だけど、さっき王立研究院でパスハと話してるの見たよ。ここんとこますます顔色が悪いねえ」
「クラヴィス様、大丈夫でしょうか?」
「うん、たぶんね。今はちょっと辛い時期だろうけど、新女王が決まれば元気になるよ。この宇宙が安定すればね」
「オリヴィエ様も感じるんですか、均衡の崩れによる不安感とか……」
「マルセルやランディ、ゼフェルもね、守護聖ならそれは感じてる。クラヴィスのように強く、苦しくははないけれど。ワタシは夢のサクリアを司るけれど、それを強く求められる時っていうのは、それが不足している状態ってことだろ。人の心に同時に発生している絶望感まで感じとってしまう時もあるよ」
「サクリアって……なんだかとても大変なものなんですね……」
「おや、他人事みたいに言って。アンタなんか、もーっと大変な女王のサクリアを宿してるくせに」
「え?」
「守護聖の持つサクリアを束ねたようなのが女王陛下の力なんだよ。なんたって宇宙を統べてるんだから」
「あ……」
 絶句したアンジェリークの肩先の髪に触れながら、オリヴィエは優しい目をした。
「驚かせすぎた? ごめんよ、でもね、あながちそれは大袈裟じゃないと思うんだよ。でも、損得だけじゃやってけない、十のうち九くらいまでは、辛い事ばっかりかも知れない。けれど、たったひとつ、残りのひとつの喜びのおかげで、頑張れる……そういう感じ。そのひとつが、とてつもなく素敵なんだよ」
「自分にしか出来ないかけがえのないことみたいに?」
「そう。そんな風に考えると、サクリアも女王の力もスゴイよね? ロザリアもアンタにしても、そんな素敵でスゴイ力を持ってるんだ。だから、アンタの顰めっ面も、独り言を言ってる姿もとてもチャーミングだよ。だから、頑張りなよ」
 オリヴィエは、アンジェリークの頭を軽く撫でた。彼女はちょっと恥ずかしそうにした後、握り拳を作った。
「はいっ。じゃ、私、育成のお願いにクラヴィス様の所に行ってきますね」
「パスハとの話が終わったら、執務室に来るんじゃない? 待ってれば?」
 急に気合いが入った様子のアンジェリークに、微笑みながらオリヴィエはそう言った。
「でも、いいお天気だし、お迎えに行ってきます、道すがらお話しも出来るし。ありがとうございました、オリヴィエ様」
 アンジェリークはペコンとお辞儀すると、一気に駆け出して行った。
「あ、こらこら、廊下は走るではない! なーんて、お約束ぅ〜。んー、あの元気なら、宇宙を統べる重みも、さほど感じないかもねぇ」
 アンジェリークの背中に、オリヴィエは呟いた。
「そうかも知れぬな」
と、後からジュリアスに呟かれたオリヴィエは、慌てて振り向く。
「おや、盗み聞きしてたね」
「そなたに言われたくはない。人の執務室の前で、あのように大声で話されては、机の前に座っていてもはっきりと聞こえる」
「そりゃ、失礼したねぇ。ところで、ねぇ」
 オリヴィエは一歩下がって、ジュリアスの近くに寄って言った。
「なんだ?」
「いい女王候補たちだよね」
「今更何を言っている。陛下がお選びになったのだから、間違いはない」
「ごもっとも。ワタシが言うのも失礼だけど、早く陛下を救ってあげたいよ、クラヴィスもね……」
「そなた……」
 意味ありげなオリヴィエの言葉に、ジュリアスは反応した。
「ずっと不思議に思ってたんだ、守護聖なのに、一度も陛下に直接お逢いしたことがないのは何故だろうってね。ワタシなりに考えて、薄々感づいてたんだ。で、ディアに聞いてみた。別に隠してるわけではないからと、話してくれた……、宇宙と意識を同調させる為に、意識を眠りの中に置いていらっしゃることが多いって……今は特にそうしないと保てないんだって」
「そうか……。畏れ多いことかも知れないが、早く、陛下を楽にして差し上げたいと。長きに渡って本当によく支えてこられた……」
 ジュリアスが、そう言いかけた時、廊下の向こうからロザリアが歩いて来るのが見えた。ジュリアスとオリヴィエに気づいた彼女は、軽く膝を折って優雅に挨拶をし、少し早足になってやって来る。
「ハーイ、ロザリア。お早う、今朝もキレイだねー、ジュリアスに育成かーい?」
 オリヴィエは、神妙な今までの話を打ちきるように、まだ遠くにいるロザリアに声を掛けた。
「じゃ、またね、ジュリアス。クラヴィスもだけど、アンタだってギリギリでしょ、たまには、一緒にお茶でも飲もうよ、今日は午後からルヴァがお茶会するって言ってたよ」
 小声で素早くそう言うと、オリヴィエは、ロザリアに手を振りながら、ジュリアスの元から去って行った。
 

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