『誰も知らないウォン財閥の社史』


さらに秘密の……番外編


「社長……」
と、暗い声で、七三分け頭の秘書が、チャーリーの机の前に立った。
「ん?」
 書類から目を離して、チャーリーは顔を上げる。
「今週も、会食の予定キャンセルなさるので?」
「勝手に予定いれたのは、お前やろが。そやから言うてるやん、俺、絶対、金の曜日の夕方はアカンて。会食の予定を入れるんやったら、8時以降に。それやったら、なんとか間に合うから」
「8時では遅すぎます。せめて7時に……」
「ダメ。絶対、7時なんかアカン」
(ジュリアス様は、5時半にカフェに来はるやろ……、それから30分くらいはエスプレッソを飲んではって、6時すぎになったら閉店やから、ウェイトレスだけ帰らせて、そのまんまジュリアス様とウダウダとちょっと話しして、そしたら、もう6時半くらいやんか。そこから片付けして、マッハでこっちに戻ってきたとしても7時すぎる……間にあわへんやん)
 
 ジュリアスが、例の秘書だったということが判ってから三週間が過ぎていた。別に約束を交わした訳ではないのだが、金の曜日の夕方は、ジュリアスは必ずカフェに立ち寄り、チャーリーはそれを出迎えた後、同じ席に座って、話し込むというパターンが定着しつつあった。
 話の内容はたわいもないことである。主にチャーリーが、十歳の頃から、現在に至るまでの思い出話しを一方的に語り、ジュリアスはそれを笑いながら聞いているのである。聖地以外の場所で繰り広げられるチャーリーの、失敗談や武勇談は、彼のキャラクターや話術と相俟って面白く、ジュリアスを楽しませた。サービス精神旺盛なチャーリーにとっても、雲の上の存在であった首座の守護聖が自分との時間を、楽しんでくれているのが何より嬉しかったのである。

「初めは日の曜日だけ、というお約束だったでしょう。金曜の夕方の事など伺っていませんよ。日の曜日だけでも調節が難しいのに、金の曜日までも、となりますと、仕事にもかなり支障があります。チタングロウニュウム鉱山の一件は、今までにないほど大きなプロジェクトなのですよ、政府関係者への根回しが必要なことくらいはあなたも……」
「わかってる……」
「では、先方から金曜の会食の参加の有無の問い合わせには、イエスと……」
「…………」
 チャーリーは返事をしない。
「聖地に良い人でも、見つかりましたか? お気持ちは判りますが、あなたは、ウォン財閥の総帥です」
 いつになく強気な秘書はダメ押しをかけた。

聖地に良い人でも……
あなたはウォン財閥の総帥……

 チャーリーの心の中で、その言葉が弾けて飛んだ。
「わかった……明日の会食には出る……」
 チャーリーは、むっとしながらやっと返事をした。
「判ってくださってありがとうございます。さっそく先方に返事を〜」
 喜々として去っていった秘書とは、正反対に、チャーリーは、どんよりとして再び、書類の目を戻した。

***

「お待たせ致しました」
 と、ジュリアスの前にエスプレッソを運んできたのは、ウェイトレスである。
「今日は、彼はいないのだな?」
 他に客はなく、いつになく静かな夕暮れである。ジュリアスはチャーリーの姿が見えないのでウェイトレスに尋ねた。
「ここのところずっと金の曜日の夕方はいらしてたのですけれど、今日はいらしてませんね。お加減でも悪いのかしら。でもお仕事が忙しいのかも知れませんね」
「ああ……」
 ジュリアスは返事をすると、持参していた本を手に取った。栞代わりに使っていたあの名刺はチャーリーに返したので今はない。代わりに、青地に金文字でイニシャルが入った薄い皮の栞が挟んである。

読書には丁度良いのだが……不思議なものだな。いるだろうと思っていたチャーリーがいない……そのことに私は寂しさを覚えている……彼の話は面白い……からな……)
 心が落ち着かぬ理由をそう自分自身に説明して、ジュリアスは本を開けた。何か別の感情に支配されるのを怖れるように、彼は本の中の文字に気持ちを集中させた。

***

 日の曜日、いつもの通りに聖地にやってきたチャーリーは、手際よく公園の入り口に出店を整えた。

「このあいだの金の曜日、ジュリアス様、カフェに来てはったかなァ、挨拶しに行きたいけど、アポも無しに、休日に館に、押し掛けるなんて失礼やしなァ。ふう……アカン、アカン、日の曜日は、女王候補と聖地の皆さんに、素敵なショッピングをお届けする謎の商人さんなんや、俺は。売るのは品物だけやあらへん、夢もいっしょに……って我ながら、そこまで言うとクサイ。……あ、嬢ちゃんたち、いらっしゃーーい、見てってーーー」

 チャーリーは、アンジェリークとレイチェルを見つけると、大声で叫んだ。
「こんにちは、商人さん、うわぁ、また新しいものが入ってるんですねー」
「ホントだー、あ、チタングロウニュウムじゃない? あれ、何、この企画書?」
 レイチェルは、出店の端に置いてあった握り拳大のチタングロウニュウム原石を手にとった。
(しもた〜、仕事の資料とサンプルや〜、時間のある時に読もうと思って、持ってきたのをあんなとこに出しっぱなしにしてしもうた〜)
「それは、売りモノやあらへんの、返して〜」
 チャーリーは焦りながら、レイチェルに言った。
「はい、どーぞ」
 とアッサリ手渡したのは企画書だけで、原石の方は、まだレイチェルの手の中にある。
「これ、頂戴。これの内部構造、ジックリ見たかったのよね。これ、加工前のものでしょ、こんなの滅多に手に入らないし。ね、いいでしょ」
「それがチタングロウニュウムやて判るとは、あんた、ごつっうマニアやなァ」
「天才科学者としてはジョーシキってところかな。ね、これ頂戴ね、ウォンさん」
 レイチェルはウィンクしながら最後の部分だけ、とりあえず小声で言った。
「もうバレバレやん。何が謎の商人や〜、ふぅ、かなわんなぁ……もう。そやけど、ホンマ聖地以外には持ち出し禁止やで」
 チャーリーは溜息をつく。
「レイチェルったら、どうしてそんなものを?」
 アンジェリークは、レイチェルが手にしている灰褐色の固まりを不思議そうに眺めた。
「ったく何も知らないんだから。これはね、チタングロウニュウムと言って、すごくいろいろな事に使える新金属なんだよ。今でも実用化されているけど、鉱山が、限られてるから高価なんだ。にしてもこれ少し重すぎない?  ずっと前に博物館で触ったものは、もっと軽かったよ。こんな高密度じゃなかった。うーん、エルンストと一緒に調べて来よう……、ありがとーーじゃ、私は行くよ。アンジェリーク、早くしないとジュリアス様、待たせちゃうよー」
 レイチェルは足取りも軽やかに去って行った。
「あ……なんか判ったら、報告書回して……って俺も転んでもタダでは起きへんでー……って足めっちゃ早いな、もう行ってしもた」
「レイチェルったら……。けれど、エルンストさんと研究室、籠もってるの、楽しいみたい、うふ」
 アンジェリークはおっとりとそう言うと、出店の品物の中から、馬の置物に目を止めた。
「ところで、ジュリアス様と約束してるの? くーっ、羨ましいなァ……」
「商人さんもジュリアス様に逢いたいの?」
「逢いたい、逢いたい、めっちゃ逢いたい……けど、約束してないし、今日は、可愛いい嬢ちゃんとの約束が先決やろ。そや、ジュリアス様にこれなんかどう? この馬の置物、ええんちゃう? 高いものやないけど、なかなか形も馬の表情もええ感じやろ?」
(ホンマは、俺が、ジュリアス様にどうかなーと思って仕入れたものやけど、ジュリアス様の手に渡るんなら、誰がプレゼントしてもええわ。クーッ、俺、健気やないかーー)
 そう思い、チャーリーは馬の置物を、アンジェリークに進めた。

「本当。すごくいいわ。これにするわ」  
「そうや、ちょっとお願いがあるんや。ジュリアス様に言伝を頼まれてくれる? 今、メッセージを書くから、待ってて」
 チャーリーは、売り物のカードの中から、一番上品なものを選び、ペンを取った。
【ジュリアス様 はずせない仕事が入ってしまい、先日の金の曜日、カフェでお逢いできなくて残念でした。今度の金の曜日にはお逢いし……】
 そこまで書いてチャーリーはふと、手を止めた。

(……何書いてんのや、俺は。別に約束してたワケでもないのに、こんなメッセージ、変やろな……それに今度の金の曜日も、外せない仕事が入るかも知れへんのに、軽々しく、お逢いしましょうなんて書かれへんやろ、俺のアホアホアホ……)

 チャーリーは、ペンを置くと、そのカードを真っ二つに破り捨てた。
「ど゜うしたの? 間違ってしまったの?」
 アンジェリークは心配そうにチャーリーの手元を覗き込んだ。
「あ、ごめん、何でもないんや、メッセージもうええわ、ごめんな。さ、その馬の置物、綺麗な箱に入れてあげる」
 チャーリーは手際よくラッピングし、アンジェリークに手渡した。
「…………これでよし。まいどおおきにー」
「ありがとう、商人さん」
 嬉しそうに走っていくアンジェリークの背中に、チャーリーは声をかけた。
「転んだらアカンで〜、ジュリアス様によろしゅう〜」
 
 アンジェリークが去ったあと、チャーリーはガクッと肩を落として地面に座り込んだ。
「はぁ〜、やっぱり、これって恋かなぁ。相手がジュリアス様やなんて、めっちゃヤバイやんか〜、身分違いもええとこや……ってそれ以前に、ジュリアス様って、こういうパターン平気なお人やろか? ずーーっと昔、主星では男同士のカップルが違法って時代もあったそうやけど、まさかジュリアス様、その頃に生まれたお人やったら、俺とは倫理観が違うわけやんか。それやのに、俺が好きですーー言うたりしたら、きしょく悪がられたりして……そんなん、いやや〜、悲しすぎる〜、どうしたらええんや〜」
 チャーリーは髪の毛をクシャクシャにして、そう呟いた。と、その時、彼のズボンのポケットの中で、緊急時にのみ使用を許される呼び出しの為だけの装置の電子音が鳴り響いた。
「お、なんや? 会社からや……何かあったんか……」
 仔細を確かめるためには、彼自身が、主星に戻るしかない。チャーリーは、店を閉めにかかった。折り畳み式になっている台座の部分を、引き延ばして壁を四方に作る。並べた商品はそのままにして、その回りに壁を作ってしまうわけである。屋台を一つの大きな箱の形にして、店をしまい、ロックしてあった車輪を引き出して、それを公園の角まで移動させた。
 「ここには泥棒が絶対いてへんからなァ、主星の平和度とはレベルが違うわ……鍵、閉めんでも何も無くなってへんし……これでよしっと。そやけど、何やろ、この呼び出し。なんか嫌な感じやな……」
 チャーリーは、慌てて王立研究院へと向かった。


つづく
ジュリアスと逢えなかったチャーリーの恋心は募る……。
次回、ジュリチャリの仲に進展はあるのか?
会社からの呼び出しは一体?

 


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