『誰も知らないウォン財閥の社史』


さらに秘密の……番外編

 

(金の曜日の夕方やったらジュリアス様に逢えるかも知れん……そしたら……聞かないと、ちゃんとあのことを……確かめんと……)
 そう思いながら、チャーリーは公園のカフェへと急いだ。

 その頃、ジュリアスは執務を終え、館に戻る途中であった。公園の方に走っていくチャーリーの後ろ姿を、ジュリアスは見つけた。
「あれは……来ていたのか?」
 (先日は懐かしさもあって、あの名刺を渡しててしまうところであったが、あの日、飛空都市で出逢ったことは、やはり私の胸の内に納めておこう。
 一般の一個人との接触は極力避けるべきだ。ましてやそれが、時差に係わることを示唆する場合は特に。それに私の事など、覚えてはいないだろう、彼はまだほんの子どもだったのだから……。まあ、よい、何にせよ、あのカフェが出来たのは私にとっても喜ばしいことだ。館に戻る前に、少し寄っていこう……)
 ジュリアスは、そう思いながら、彼の後を追って公園へ入って行った。

***

「ジュリアス様、まだ来てはらへん? えーと、今5時半か……今日はもう来はらへんかな……まぁ、しゃーないか……閉店まで後、ちょっとやけど、手伝うわ」
 カフェに着いたチャーリーは、ジュリアスの事をウェイトレスに尋ねて、少しガッカリした様子で、ギャルソンのエプロンを付けた。チャーリーの目前に座っていたカップルが、サッと立ち上がった。テーブルの上の飲み物は、まだ半分近く残っている。
(あれ? マズかったんかな?)
 チャーリーがそう思った瞬間、背後でジュリアスの声がした。
「ここでは、立ち上がらずともよい。そのままに」
 カップルはジュリアスに挨拶するために立ち上がったのだった。
「ジュリアス様、いらっしゃいませっ」
 チャーリーはすかさず、深々と挨拶すると、そのカップルから一番離れた席を、ジュリアスに勧めた。
「いつものでよろしゅうございますか?」
 と声を掛けたのはウェイトレスの方である。
「ああ」
「いつもありがとうございます」
 チャーリーはジュリアスの為に椅子を引いた。

「そなた、本日は金の曜日であるのに主星の方はよいのか?」
「はい。今日はスケジュールが空いたので、こちらに」
「そうなのか。ところで女王候補たちはそなたの店には?」
「先週初めて来てくれはりました。挨拶して、日の曜日にはここにいるから……と言うととても嬉しそうにしてくれはりました。今度、主星で流行ってるアクセサリー持ってくるって約束もしました」
 なるだけ主星標準語の発音で……と気にしながらチャーリーは話すのだが、なかなか細部までは上手くいかない。

「女王候補たちの良い楽しみになっているようだな。何よりだ」
 その時、ウェイトレスがジュリアスにエスプレッソを運んできた。チャーリーは、彼女からトレイを受け取ると、カップとソーサーをジュリアスの前に、そっと置いた。
「ところで……」
「あの、それでですね……」
 ジュリアスとチャーリーは同時に言った。
「失礼しました。ジュリアス様、どうぞ」
 チャーリーは頭を下げた。
「いや、いい。 そなたから話すといい。その前に、そこに座らぬか?」
 ジュリアスは自分の前の席をチャーリーに勧めた。
「では失礼して……」
 チャーリーはジュリアスと向き合う形で椅子に腰掛けた。

「あの……お聞きしたいことがあって。人を捜しているんです……。今は違うかも知れないのですが、飛空都市のお役人さんの秘書をなさってる人なんですが、時々、聖地で仕事をすることもあると仰ってましたから、ご存じないかと……」
 チャーリーは、ジュリアスの反応を確かめるように切り出した。
「そなた……それは……」
 ジュリアスは、手にしていたカップを、静かにソーサーに戻した。
「親父に連れられて飛空都市に上がった時、お逢いしたんです。当時、俺は十歳の子どもで、会議中に座ってるだけでも辛くて……その秘書の人にお世話になったので、一言御礼を言いたいんです……」
 チャーリーは、ゆっくりそう言うとジュリアスの返事を待った。だがジュリアスの返事はないので、彼はさらに言葉を続けた。

「俺……その人がいてたから……頑張れたと思うんです。一時、会社を継ぐのが嫌になった時も、その人と約束したから……。もうその人は俺のことなんか忘れてはると思うけど……ジュリアス様に似た金髪と青い瞳の人でした……」
「……では、……心当たりを尋ねてみよう……」
 ジュリアスはそう答えると、エスプレッソを飲みほして、立ち上がった。
「あの……申し訳ありません。私的なことを言ってしまって……」
「いや、かまわぬ。気にしないでよい………」
 ジュリアスはテーブルの上に、コインを一枚置いた。
「も、もう、行きはるんですか?」
 チャーリーは慌てて自分も立ち上がった。
「ああ、まだ用が残っているので……」
 ジュリアスが去ってゆく後ろ姿を見つめながら、チャーリーは小さな溜息をついた。
(あの日の秘書の人……もしかしてジュリアス様と似てた気がしたんやけど。俺のカンも当てにならんわ。ああ、そやけど、もしかして忘れてしまわはったんかも……そやなぁ、いっぺん会議で逢っただけの子どもの事なんか、覚えてへんよなあ……)
 
 ジュリアスの方も、歩きながら己の心に問いかけていた。
(やはり、その秘書は私だったと言えば良かったのか。いつも陽気にしている風情のあの者が、あのように思い詰めた顔をするから……彼の人生に係わるような大切な事を言ってしまうのかも知れないと思うと 、気後れしてしまったのか?)
 ジュリアスは、微妙で奇妙な感情を持て余しつつ館への帰路についた。

 
***

 二日後の日の曜日……ジュリアスは執務室にいた。気になっていた書類の整理や調べ物をしようと、ジュリアスは 、執務室にやってきたのだった。
 その仕事が幾分進んだところで、ジュリアスは、机に載っていた深緑の本を手に取った。栞の挟んであるページを開く。ジュリアスの目は、主星の古い言葉で書かれた詩編ではなく、その栞……例の名刺に留まった。
「時の差が造りだした、たわいもない思い出話にすぎぬ……大袈裟に考えぬ方がいいのだろう。チャーリーがああ言うのだから、次回にでも渡すことにしよう……」
 ジュリアスは、本を閉じて、やりかけていた整理に戻った。やがて、二時間ほど過ぎたところで、扉を叩く音がした。

「チャーリー・ウォンです」
 と名乗る声がした。
「そなたか? 入れ」
「失礼します」
 チャーリーは、銀のトレイにポットとカップを持参している。ジュリアスは些か不審そうに彼を見つめた。
「お客さんから、ジュリアス様は、日の曜日なのに仕事してらっしゃるってチラッと聞いたもので、お持ちしました。先日は、なんかプライベートな事で人捜しの相談させてもろたし……ええっとこれはサービスですから」
 チャーリーは、そういうと扉の前に立ったまま、ニコッと笑った。

「また無料なのか?」
「ジュリアス様は、タダがお嫌いなんですか? この前の時も何かガッカリされてたようですが……」
「いや、そうではない。これには理由があるのだ」
「なんでしょう?」
 ジュリアスに改まってそう言われたチャーリーは不安げにジュリアスを見た。
「とにかく今日の分は、支払わせてもらおう」
「は、はぁ、そうですか……」
 ジュリアスの様子を何か不自然だと思いながら、チャーリーは、ジュリアスの元に歩み出た。
「置かせて頂いていいでしょうか?」
 チャーリーは、ジュリアスの机の片隅を見て言った。
「ああ。良い香りがするな。少し休みたいと思っていたところだ」
「日の曜日なのに、お忙しいんですねぇ」
 チャーリーはトレイを置くと、手際よくポットからコーヒーをカップに注ぐ。
「気になる調べものがあったので。そなたの方こそ、大変なのではないか?出店の方はいいのか?」
「はい、レイチェルちゃんは何やら研究があると言うて、エルンストさんのとこに行ったし、アンジェ嬢ちゃんは、オリヴィエ様とお茶してはりましたから、もう今日は店じまいしてしまいました。ちなみにジュリアス様が仕事してるって教えてくれはったのは、オリヴィエ様です」

「ああ、先ほど、ここに来る前に、すれ違ったのだ」
「はい、どうぞ、ジュリアス様」
チャーリーは、ジュリアスの前にコーヒーを置いた。
「ありがとう」
 ジュリアスはそう言った。
「ありがとう……やて……光の守護聖様が、ジュリアス様が俺に言うてくれはった……」
 チャーリーは呆然として呟いた。
「?」
「申し訳ありません、なんか感動して……嬉しゅうて……」

「そうか。では、もうひとつ、そなたを喜ばせたいことがあるのだ。その前に私は、そなたに謝っておかねばならぬのだが……」
「え?」
 立っているチャーリーの位置からは、ジュリアスを見下げる恰好になってしまうので、わざと視線を外していた彼だが、そう言われて、ついジュリアスの顔を 、チャーリーは見つめた。

「このコーヒーの代金は、これで……」
 ジュリアスは本の間から、名刺を引き抜いて、彼に渡した。
「あ…………これ……は……」
 と言ったまま、チャーリーは固まった。
「すまなかった。あの秘書は私だったのだ。隠すつもりはなかったのだが、先日は、いろいろと思うところもあり黙っていたのだ」
「やっぱり……やっぱりやったんや……ジュリアス様があの時の。……あの時の名刺まで持っててくれはったなんて……」
 チャーリーは、名刺を握りしめたまま呟いた。
「そなたが聖地に出店を出したいと言ってきた時、私はとても嬉しかったぞ。」
 ジュリアスがそう言ったとたん、チャーリーの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「俺、俺……う……う、ふぇ〜ん」
 大の男があからさまに泣く姿を、ジュリアスは不思議な気持ちで見上げていた。あの時の小さなチャーリーの姿が、目の前の若者に重っていく。
「家の商売、継いで良かった〜、ホンマ、良かった〜、うぉーーん。俺、もうアカン……えぐえぐえぐ……」
 最初は暖かい目で見ていたジュリアスだが、チャーリーの泣き方がだんだんエスカーレートしていくので、次第に笑いが込み上げてくる。
「グスン………グスン、………」
「もう泣くでない」
 ジュリアスは笑いをかみ殺しながら、自分のハンカチを取りだして、チャーリーに渡した。
「ありがとう……ぐす……ございます……グスン……」
 チャーリーは顔を拭くと、はれぼったい目でジュリアスを見つめた。
「その節は、大変お世話になりました。お陰様で聖地と直で取引できるまでになりました」
 まだ鼻を啜りながらチャーリーは、深々とお辞儀をした。

「出店は女王試験の間だけの予定だが、皆の要望が強く、カフェの方はこれからもずっと残してはと、陛下も仰って……」
 そこまで言ってジュリアスは、チャーリーを見た。泣きやんだばかりの顔が、また崩れていく。
「う、……うううううう、それは、聖地の人に受け入れられたってことで……」
「また、そんなに……泣かなくてもよいではないか………ちょっと、そこに座って休むといい。その顔では外に出ていけまい……」
 ジュリアスは執務室の片隅にある椅子を、チャーリーに勧めた。
「ずびません……ぐ……ずずず……」
「そなたは泣き方まで面白いのだな」
 ジュリアスは何気なく言ったつもりであった。
「あ、なんで……グスン……笑ろてはるのん? ヒドイお人やな……グスン、ジュリアス様のせいやのに。だいたい最初、逢った時に言うといてくれはったら、俺かて、こんな無様な……ズズズ……」
 そこで、チャーリーが思いっきり鼻をすすったのが決定打になった。ジュリアスの口元は完全に崩れてしまった。
 「そ、そんな声をたててまで笑わはらんでも、ええやんか〜、うお〜〜ん」
 「す、すまぬ……だが、しかし……くっ、クックック……」

 人前で声をあげて笑っている自分と、臆面もなく泣いているチャーリーを、不思議に思いながらジュリアスは、ようやくコーヒーカップに手を延ばした。
 気恥ずかしそうに頭を掻きながら、俯いているチャーリーの姿が視界に入る。彼と視線が合った瞬間、ジュリアスは、にっこりと優しげに微笑んだ。

(うわ……ドッキュンや……こんな笑顔、たまらん……)
 チャーリーは赤くなってしまい、さらに頭をさげて顔を隠した。早くなっていく心臓の鼓動を、彼は数える。
(いちにいさんしぃごぉろく……アカン、アカン、アカンて〜、早すぎる。相手はジュリアス様やで、恋のドキドキは、アカン〜〜、静まれ〜、俺の心臓〜。ああ、でもジュリアス様の笑顔、ごっつぅ良すぎ……)
  チャーリーは上目使いで、そっとジュリアスを見た。コーヒーカップを手にしたジュリアスが、まだ口元に微笑みを残したまま、こっちを見ていた。戸惑いながらも、チャーリーは、そのジュリアスの青い目を見つめ続けた。 

 そして、ジュリアスもまた、チャーリーから視線を外せないことに、困惑していた……。


つづく
お互いの気持ちが動き始めた?!
ジュリチャリの仲はどうなる?
次回もサービス、サービスゥ。
(なつかしいフレーズ(^^;)


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