『誰も知らないウォン財閥の社史』


さらに秘密の……番外編

 女王試験が始まって二週間ほどの時が過ぎていた。聖地との契約では、謎の商人ことチャーリー・ウォンは、日の曜日にのみ出店をすればよいことになっている。ウィークデーは、従来通り主星上のウォン財閥の本社ビルに出勤しているのである。
 
「ふう……5時か……今日の予定は、もう終わり?……やったらええなァ。せっかくの花金やのに、まだ俺かて若いのに、お金も地位もあるのに……ブツブツブツ」
 チャーリーは、書類にサインをすると、恨みがましい目で、秘書の一人に尋ねた。彼の秘書は、ジャンル別に五人いる。主にスケジュールの管理をしているのは、チャーリーよりも十歳 近く年上になる男性である。
「はい。本日の予定はもうありません」
 とアッサリ、ダークスーツに身を包んだ七三分け頭の秘書は言った。
「ええっ、ホンマ、帰ってもええん?」
 チャーリーは、意外な秘書の言葉に、大袈裟に身を退いて言った。
「私を、悪徳マネージャーのように言うのはお止めください。週末に聖地に上がれるようになってから、極力、社長のご負担にならぬようにしておりますのに」
 男は、むっとした顔でそう言って、ぶ暑いスケジュール帳を開いて見せた。
「今時、そんなアナログな手帳使わんでもええのに。ホンマ堅物やなァ」
 チャーリーは小声で呟く。
「は? 何か仰いましたか? え? 時間が空いているようなので、急遽、新しいチタングロウニュウム鉱山の見学に行きたい……と聞こえましたが?」
 表情を崩さず秘書は言う。
「俺が悪かったーー」
 チャーリーがそう言うと、回りの別の秘書から忍び笑いが洩れる。
「では、お帰りの用意を。エアカーを回すように……」
「あ、エアカーはいらんわ。このまま聖地に行くし」
 チャーリーは立ち上がった。
「聖地……へですか? 聖地へは日の曜日だけ行けばよろしいのでしょう? 何かトラブルでも?」
「いや、別に何もないけど、気になることがあるから」
「なるほど……聖地で情報収集なさるんですね。聖地に上がれる機会など、一般人には99%ありませんからね」
 秘書にそう言われて、チャーリーは深く頷いた。
「そうそう、これも仕事のうち。くれぐれも言うとくけど、聖地のことはここだけの話し……外部には言わへんという契約やからな」

 チャーリーは人差し指を唇の前に立てた。秘書たちは無言で深く頷く。何れも信頼の於ける口の堅い人物たちである。
「ほんだら、行ってくるし」

 チャーリーは満足気に秘書たちの顔を見回すと、社長室のさらに奥にある扉の向こうに消えた。そこはチャーリーの私室である。もちろん彼自身の本宅は、主都郊外に目も眩むほどの大きな屋敷がある。ここはいわば別宅のようなものである。
 チャーリーは、それまで着ていた紺のスーツを脱ぎ捨てた。そして、下着姿のまま、彼はシャワールームに入った。スイッチを押して、チャーリーは瞳を閉じる。
(ふう……こんな姿、あの堅物秘書に見られたら、またバカにしよるなーー。
”社長、何の為のアイソトニックシャワーなのですか。このシャワーは、全ての汚れを分子レベルで分解してしまうのですから、着たままでよろしいのに”とか言うんや。ほっといて、ちゅーねん。スーツ着たままやと、なんかリラックスでけへんやん。俺はホンマはシャワーはアナログの方が好きやねん。髪の毛、濡れて乾かすの面倒やけど。あ……なんかアイツの手帳へのコダワリと似てるか……」
 ブツブツと呟くうちに、チャーリーはふと、体が軽くなったように感じで瞳を開けた。
 と同時にピピピと電子音がシャワールーム内に響いた。シャワー完了の合図である。
「ふう……サッパリした……さぁてと、謎の商人さんの衣装は……と」
 チャーリーは手際よく着替えると、キャビネットの一番下部の引き出しから、一メートル四方のチタングロウニュウム合金の薄いシートを取りだした。大きさの割には、それは軽い。部屋の丁度中央にそれを置き、その上にチャーリーは立った。
 そして、シートの片隅にあるごく小さなスイッチを、つま先で押す。軽い電子音が三回なった後、シート全体が、わずかに振動し、光のカーテンが下からせり上がってくる。彼の体はその中に完全に包まれる。
(何回やっても面白いわ……コレ。どういう仕組みなんやろなァ。聖地ちゅートコは、ムチャクチャ科学が進歩してるくせに、馬車なんか使うてるし、ホンマようわからんわ……)
 とチャーリーが思っていると、突如として彼の体は上下の区別のない漆黒の空間に放り出される。それは時間にして一秒にも満たないような一瞬の事である。
(時空転移……ってホンマにカラダに影響ないん? なんか背ェ延びる気がするんやけど……、延びるんやったら足の方にしてや……) 
 と、チャーリーはいつも思う。
 再び、電子音がした時には、彼は聖地・王立研究院の一室に立っている。彼の会社にある私室と聖地とを結んでいる専用ルートは、女王陛下の特別のはからいで許されたものだ。聖地と主星の間に生じる時差を越えて、この二つの空間は結ぱれている。
 
 さて、王立研究院を出たチャーリーは、公園へと急ぐ。
(ジュリアス様、来はるかなァ……)
 チャーリーが、契約外の金の曜日の夕方に慌てて聖地にやってきたのには理由があった。秘書が言ったような情報収集などではない。それは先週の日の曜日の夕方のこと……。
「今日は、ジュリアス様来はらへんかったなァ。初めて来てくれはったのが、先週のこの時間やったから、今日も……と思ったんやけど。やっぱりジュリアス様は、こんなオープンカフェはお嫌いなんやろか……」
 チャーリーは少しガッカリして呟いた。
「あら、ジュリアス様なら、金の曜日にいらっしゃいましたよ」
 とウェイトレスの一人が言った。
「え? ホンマか?」
「ええ。金の曜日の夕方。やはり翌日が休日だとくつろげる……とか仰って」
「よかった。このカフェ、気に入ってくれたはったんやな」
「奥のお席で、エスプレッソをご注文なさって、閉店間際までご本を読んでらっしゃったわ。知的で素敵でしたわ。夕日に金の髪がキラキラと輝いて。私がお水を取り替えに行くと、パッと顔を上げて下さったの。青い綺麗な瞳が、それはもう素敵で……」
 ウェイトレスはウットリした様子で言った。チャーリーは深く頷いた。
「そやな。綺麗な金色の髪してはるよなァ。それに、あんな青い色の目の人って、滅多にいてはらへ……、ちょっと……待てよ……、あの目の色……まさか……な」
 チャーリーの裡で、あの時の秘書の顔つきとジュリアスが、オーバーラップし、顔のそれぞれのパーツが、マッチングしてゆく。
「アカン、イマイチ確証とれへん……けど……似てるちゅーたら似てる」
「どうかなさったの?」
 ウェイトレスは小首を傾げた。
「いや、なんでもないんや。なんでも……」 
 チャーリーは、その場を笑って誤魔化した。

*** 

つづく 


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