ジュリアスが感じた小さな安堵は、他の何人かも同様に思ったことらしく、あちらこちらでホッとしたような呟きが漏れ聞こえた。担当官は咳払いをひとつした後、話を続ける。
 
「コホン。え〜、確かにカプセルは非常に迅速に稼働しますし、丈夫にできていますが、何日も機能を維持し続けるわけではありません。生命維持装置のリミットは100時間程度、それまでに回収されなければ……残念な事になってしまいます。また、慣性の法則に従い、放たれたカプセルは、事故現場から遠くへ遠くへと離れて行きますから、時が経つほど回収は困難となります。また脱出事に何らかの事で生命維持装置が正常に作動しなかった場合も考えられます…………」
「そうなればカプセルは永遠に宇宙を漂う棺桶になるわけだ……」
 担当者の説明を継ぐように誰かが言った。その言葉に場が静まりかえる。
「ですが、まあ……。既に対策本部では幾つかのカプセルの信号をキャッチし、サルベージに向かっています。そこにモニターをご覧下さい。数字の羅列が出ています。あれはシグナルをキャッチしサルベージできたものの個体番号です」
 皆が一斉にそのモニターを見る。ひとつの番号が映し出されている。番号の後ろに名前らしい文字が見えた。
「番号の後ろのイニシャル……S・ムースというのは名前ではないですか! 我が社の社員の……」
 慌てて立ち上がった男を担当者が落ち着くようにと手を上下に軽く振る。
「そうです。座席番号は、搭乗チケット購入時にパスポートと称号され登録されますので個人名も把握できるわけです。こうしてカプセルは新しくサルベージできると、すぐにこちらのシステムにも判るよう、警告音が鳴り表示されます。ですのでこのモニターに表示された関係者の方は、この部屋を出て、突き当たりの部屋までお越し下さい。またそこで次のステップのご説明をさせて頂きますので」
 担当者がそう言った時、タイミングよく警告音が鳴り、次の番号が表示された。
「あっ、私の同僚の名前だ! よ……よかった……」
 ジュリアスの背後で声があがる。
「では奥の部屋に移動してください。他の皆さんは、もうしばらく待機願います。尚、事故についての判りうる情報は総て、そちらの端末から引き出せますので自由に使って戴いて結構です。何か進展があればその都度、説明に参ります」
 担当官はそう言うとその場を離れた。と同時に居合わせた者同士で雑談が始まる。

 ふいにジュリアスの近くにある端末機の前に座っていた男が振り向いて、「同様の事故でのポッドの回収率は80%程度らしいですね」と言った。既に情報を引き出していたらしい。
「シャトル事故と聞いて、もうダメかと思ったが、それなら生存の確率は高いな」
 答えたのは、ジュリアスのすぐ隣に座っていた年配の男で、口調からこの若い男の上司と見て取れた。ジュリアスと目が合ったその男は、「私の所は副社長が乗ってましてね。ああ、申し遅れましたが、私はブッセ工業の……」と、社名と自身の名を言った。チタングロニウムの成形過程に携わる主星では大きな企業名だった。確かうちとも取引があったはずだ……とジュリアスは思う。
「……私は……。ウォン・グループの者で、サマーと申します」
 ジュリアスがそう言うと年配の男は、驚いた顔をした後、笑顔を作った。
「そうでしたか! ウォンさんが事故機に乗っておられた事は存知あげています。我が社とも取引がありますので、社長も心配しておりました」
 そう言われてジュリアスは曖昧に頷いた。とその時、もう一人、さらに若い男がトレイにコーヒーを乗せてやってきた。 ブッセ工業の者たちは三人でこちらにやってきたのだった。
「部長、コーヒーお持ちしました」
「ああ、ありがとう。君、サマーさんにもコーヒーをお持ちして。こちら、ウォン・グループの方だ」
 ジュリアスはその若い男に向かって軽く会釈する。
「え! そうなんですか! この度はとんだことで……。えー……っと、ご愁傷様でした」
 ペコンと頭を下げ、若い男は言う。その態度は悪びれた所がなく、いかに自分が無礼な発言をしたか気づいていない。
「ば、ばか! まだそうと決まったわけじゃないッ。も、申し訳ない。まだ新入社員で……」
 年配の男が慌てて取り繕ったが、ジュリアスは「いいえ……お気になさらず」と言って立ち上がるとその場を離れた。背中越しに「すいません〜」と若い男の消え入りそうな声がしたが、ジュリアスは振り返らなかった。
 一旦、控え室から出たジュリアスだが、他に身を置く場所もなく、仕方なしに喫煙場所になっているロビーへと移動した。簡易なソファとGNNの配信されているモニター、新聞と雑誌が置かれたテーブルがある。何人かの男たちが煙草を吸いながら雑談している。特別機で一緒だった者たちだ。口調からすると同じ社の者同士ではなく、彼らは初対面らしかった。

「いや、参りましたね。事故の発表から特別機に乗り込むまで一時間ほどしかなくて大慌てでしたよ」
「でも一便でこちらに来られて正解ですよ。二便、三便になると、家族と一緒だから、泣いたり叫いたり……そりゃ湿っぽい雰囲気で大変らしいですよ。小さい子どもも同行だったりするとその上、うるさいですしね」
「なるほど。にしてもカプセルのサルベージにどれくらい時間がかかるんでしょうね? いつまで控え室で待ってりゃいいのか……」
「生命維持装置のリミットは100時間って言ってたでしょう。ということは4日間ほどとして……事故が起きたの日から考えると残り二日……。今日明日中に回収されなかったらヤバイ……ってことですよね?」
「ええ。ウチなんかそんなに大きい会社でもないですけど、ウォンの総帥の名前が名簿にあったでしょう。アレ、ビックリしましたよねえ」
「確かウォン氏ってまだ若いでしょ。ウォン・グループの代表って親族で続いてるでしょう、もしもの時、誰が継ぐんです? まああれだけの規模のグループだから多少の事ではどうということもないでしょう」
「ウォンの関係者もこちらに来てるはず。誰か知ってます?」
「知りません。私も知りたいと思ってるんですけど。ウチとは取引関係にあるんで挨拶はしておきたいと思ってるんですが」
「判ったら教えて貰えませんか? 名刺でも交換しておきたい。後で葬儀とかあった場合、『繋ぎ』になりますしね。事故の遺族会とかも今後あるでしょうし、顔見知りになれば、都合の良いこともあるでしょう」
「おやおや、ちゃっかりなさってますね。ふふふ……私もですがね」
 聞くともなしに聞こえてきた会話に、ジュリアスは怒りを通り越し、やるせない気持ちになる。先ほどの若者といい、同僚や部下、上司、そういった関係でしかない者たちは気持ちのどこかに余裕があり、自分とは心配の度合いが違うのだ……、とジュリアスは自分に言い聞かせる。その時、何人かが廊下の突き当たりにある部屋へと走っていくのが見えた。新たにポッドが回収されたのでは? とジュリアスは思い慌てて控え室にと戻った。部屋から出ている間に、例のモニターの番号がまた更新されているようだった。ジュリアスはそれを確かめる。だがそこにチャーリーの名前は無かった。
 
 控え室の宇宙が見渡せる窓辺に椅子を置き、ジュリアスはそこに座った。部屋の中にいる者たちに背を向ける形となる。モニターに新たな番号が表示された時のアラームが鳴った時だけ 立ち上がり確認の為に動く……それをジュリアスは、繰り返し続けている。窓の外、遠くにシャトルが見えた。と同時に室内が騒がしくなる。事故の担当者が入ってきたのだ。ジュリアスは座ったまま顔だけを振り向かせた。
「事故機……が……回収されました。その映像が……これです」
 担当者の操作でモニターのひとつが切り替わる。すこぶる映りが悪いが、胴体部分が大破したシャトルの残骸だと判る。大破……と言っても過言ではない。
「一体、シャトルはどんな事故にあったんだ?」
 誰かの問いかけにジュリアスは耳を澄ませる。
「詳しいことはまだ判りませんが、何か初めに小規模のダメージを受けた後、連鎖的に爆発が起きた……と考えられます。ですが、脱出カプセルは乗客分250個総て船外に放出されています。シグナル自体はほぼ全部キャッチできています。後は……」
 そこで担当者は少し言い澱む。
「サルベージの……時間との戦いか……」
 誰かが言った。
「そうです。全力をあげて回収作業をしています……それから……」
 担当者の説明は続いたが、もう既に何度も聞いたもので目新しい情報では無かった。ジュリアスは窓の外に視線を移した。担当者が去ると、また少し控え室の雑談が増え、騒がしくなった。
「あの……」
 ジュリアスの背後で小さな声がした。先ほど、『ご愁傷様』と言った若い男だった。
「さきほどは本当に申し訳ありませんでした」
 男の目の下が少し赤い。きっと上司にこっぴどく叱られたのだろう……、そう思ったジュリアスは「いや……もういいから。気にしないでいい」と短く言った。若い男は「どうか今後ともよろしくお付き合い下さい」と深々と頭を下げる。結局は、ビジネス上の繋がりの為に 謝りに来たのでしか無い 。ジュリアスは、心の中で溜息を付き、男にはもうなにも声をかけず、主星のザッハトルテに連絡を取るべく立ち上がり、その場を離れた。
 テキストベースでのメールならば持参の端末機から発信でき、サルベージの進展の有無にかかわらず現状を一定時間ごとにブレイン室宛てに送信していたが、ザッハトルテ個人にはまだだった。モニターを通して対面するように会話できる通信の場合は、特別料金を支払い、通信ブースから繋げるしか無かった 為、所定のカウンターに行き、主星への通信を申し込み、料金を支払うと、受付の女性が恐らく日に何度も何度も口にしている注意事項を早口で言う。
「主星とこことは非常に距離があります。ですので通信の途中で途切れるということも多々ございます。その場合でも基本料は返還できかねます。それでは8番ブースが空いてございますので、カードキーをどうぞ」
 ジュリアスは、それを受け取ると小さな個室へと入る。モニターと端末の置かれたデスクの前に座ると、手順に従い、主星のウォン・セントラルビルのザッハトルテ宛てに通信を申し込んだ。ややあって、モニターにザッハトルテが映し出される。画像と音声のずれが改めて距離感を思わせる。
「ジュリアス、お疲れ様です。何か進展がありましたか? 事故機の脱出ブースシステムについてはこちらでもGNNが特番の中で説明していました。もう既に回収 作業に入っていると聞きました」
 モニターの向こうのザッハトルテは、ネクタイの襟元が緩み、目の辺りが落ち込んでいる。チャーリーの代行として処理すべきことが多すぎ、ほとんど睡眠をとっていないのだろう。
「回収作業は着々と進んでいる様子です。が……チャーリーのものは……まだ」
「そうですか……。ジュリアス、チャーリーが気掛かりでしょうけれど、できるだけ体を休めてください。人の事は言えないですが、モニター越しでも貴方が相当疲れているのが判ります」
「ええ…………」
 ジュリアスがそう答えた後、モニターの中のザッハトルテの画像が乱れた。数秒後にまた綺麗になり、ザッハトテルテの神妙な顔が映る。
「……ジュリアス……もし……」
「はい?」
「もしチャーリーが戻らなかった場合……」
「え?」
「チャーリーは……貴方に……」
 音声が一瞬途絶える。画面にノイズが走った後、正常に戻った。
「貴方にすべてを託すと……」
 また音が途絶えたがそれはザッハトルテの声が掠れたためだ。
「どういう……ことですか?」
「貴方がジュリアス・サマー・デ・グランマルニエフィナンシェと登録し、正式に主星人になったその日、チャーリーは遺言状を書き換えました。公証人を私の執務室に待機さてせておいて、社に戻るといち早く処理したのです。私も立ち会い人として署名しました。自分にもしもの事があった場合、ウォン・グループの総てを貴方に任せる……と」
 唖然としているジュリアスに、さらにザッハトルテは言う。
「チャーリーの秘書にしかすぎない貴方を、ウォンの代表になることを役員会で承認させるのは、正直な所、困難ですが、他言無用の契約書を書かせた上、貴方がかつて何者であられたかを告げるように……とも書かれています。それを知って尚、反対できる者などいないでしょう」
 ジュリアスは言葉が出ない。
「ですが、チャーリーはきっと戻ってきますよ。あの人は強運の元に生まれついてますからね。ただ……貴方には、万が一の時の心積もりだけをお願いしたくこの事をお話しました。こんな時に殊更、心に負担を掛けるような事を言って申し訳ありません」
 ザッハトルテは頭を下げた。事故機にチャーリーが乗っていたと乗っていると報道された直後から、ウォン・グループの関連株は大幅に値を下げ続けている。その事は主星から遠く離れた宇宙域にいるジュリアスも配信されているニュースを通じて知っている。株価が下がるということは会社の価値が下がり、融資の際不利になり、買収リスクも増加する。ウォン・グループの配下にある企業ならばその影響によって買収や倒産に及ぶことはすぐには無いが、小さな企業ならばたちまちのうちに死活問題となる。チャーリーにもしもの事があった場合、空いた会長の席を巡ってウォン・グループ全体が揺れる事は予測され、早急な対策が必要とされるのは当然のことだった。あえてこういう事も口にせざるを得なかったザッハトルテの立場はよく判る。今はただ黙ってその言葉を受け取っておくしかなかった。
「……腹を据えてチャーリーの帰還を待ちます。それでは……何かありましたら、また……」
 通信を終えた後、ジュリアスはしばらくの間、ブースに座り込んだまま、こめかみを押さえた。
 
『もしチャーリーが戻らなかった場合……』

 頭の片隅にあったその言葉が自分を飲み込もうとしているような感覚に指先が震える。
 とその時、電子音が鳴り、「8番ブースの方、通信を終えられたのならすみやかに退席してください」と無情な警告のアナウンスが入った。ジュリアスは立ち上がりブースを出た。胃の辺りに違和感がある。鈍い傷み。何か温かいものでも胃に入れなくては……と思い、ジュリアスは控え室の片隅にある軽食と飲み物のコーナーへと向かった。コーヒーを取りかけて、それを思い留まりミルクにする。一口、二口と飲むと体がそれを欲していたかのように染みていくようだった。それを飲み干した頃、ジュリアスの元に、「あの、失礼ですが、ウォン・グループの方ですか?」と見知らぬ男が数名、寄ってきた。
「ええ……」
 と答えるや否や、男たちは名刺を取り出す。
「先ほど、ブッセ工業の方たちからウォン・グループの方がいらしてると聞きましてね。ウチは技術者が数名乗ってまして。この度は、お互いとんだことになりました」
 今度はご愁傷様……とは言われなかったが、ジュリアスは、差し出された名刺を受け取る気になれない。他の者たちも似たり寄ったりの挨拶をし、それぞれウォン・グループとの繋がりを誇示する。ジュリアスは生返事をし、無表情のまま、仕方なく名刺を受け取り、自身のものを返す。
 
“馬鹿馬鹿しい!”

 ジュリアスの中で怒りが込み上げてくる。グッと握り拳を作った後、「失礼。社に連絡を入れる時間ですので」とその場を離れた。メールを打つふりをして窓際の席に座る。否が応にも聞こえてくる利害関係の絡んだ会話や、上辺だけ心配している様子……、そう言ったものにジュリアスの怒りがますます募る。何か違うことに気持ちを集中させて、心を落ち着かさなくては……と思った後、ジュリアスは、チャーリーの妄想癖について前にザッハトルテが言った言葉を思い出した。幼い頃からビジネスの現場に同席させられていたチャーリーは、大人たちの会話の仲、退屈しのぎにあれこれと自身の心の中で空想の羽根を広げていた……というのだ。子どもの目には、裏表のある会話はどう映るのだろう……とジュリアスは思う。
 まだ幼いうちは、笑顔の裏にある下心まで読み取れはしないだろうが、その微笑みが作られたものであることを勘の良いチャーリーなら感じ取っていただろう。嫌だ……と思う気持ちの中、チャーリーは空想の翼を広げていたのだろうか……。 何か楽しいことだけを想像して……。ジュリアスの中にチャーリーの顔が広がっていく。謎の商人さんの姿で。

“まいど、おおきに〜。はい、これサービスッ。その代わり、またよろしゅう。損して得とれちゅーてね、えへへ〜”


 チャーリーがずっと居たのは、そんな人情味あふれるまったりとした行商人の世界では無いのだ……。
 ジュリアスの心が閉鎖的になっていく中、新たに回収された救命カプセルの番号が表示されたが、その中にチャーリー・ウォンの名前はまだ無かった。
 

■NEXT■


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