外務省を出たジュリアスは、ウォン・セントラルビルへと向かった。徒歩でならば十五分もあれば辿り着く場所だったが、車でなら迂回して行かねばならず、かえって時間がかかってしまうため、二人は歩いて来たのだった。
 社に戻ったジュリアスは、中座していた二時間ほどの間に入っていた連絡事項に目を通すと、書きかけの書類に取りかかった。社内の幾つかの部署は既に夏期休暇に入っており、隣室のチャーリー専属のブレーンたちも順次休暇に入っているせいもあって、社内全体が通常時よりひっそりとしていた。加えて今、この社長室には、その主で一番口数の多いチャーリーがいないためその静けさたるやかつてないほどだった。そのお陰で今日中には無理だろうと思っていた書類をジュリアスは、仕上げることができた。
 窓の外の日差しはやや落ち着き、夕刻にそれになりつつある。チャーリーはまだ戻っていない。
“遅い……。聖地からの通達とは何のことだろう? ただ話しを聞く程度なら半時間もあれば済むはずだが……もう三時間近くになるが……” 
 チャーリーは、途中でどこかに立ち寄るのであれば、必ず連絡を入れてくる。
 昨日も、『あ、ジュリアス様〜、えーっと俺、今、経団連の定例会合が終わったトコですねん〜。それで一時間ばかり油売ってから戻ってもエエですかー?』と了解を得る通信が入った。その程度、いちいち断ることもなかろう、とジュリアスが言ったのだが、『俺の帰りが予定より遅ぅて、ジュリアス様に心配かけるかも知れんと思うと〜心がチクチクと痛んでサボるにサボられへん〜』と大真面目に返事をしたチャーリーだった。
 ジュリアスがそれを思い出していると、扉の開く軽いフシュッとした空気音がし、「ただいまですぅー」と挨拶がし、チャーリーが戻ってきた。そして、肩にぶらさげた上着を椅子の上に無造作に置くと、そのままレストルームに入る。ザブザブと手と顔を洗う音がドア越しに微かに聞こえてくる。いつもと同じ口調と動作ではあるが、何かどこかが違うとジュリアスは思う。
「ふう……サッパリした……まだまだ外は暑いですねえー」
 前髪を少し濡らしたままチャーリーは椅子に座る。そしてもう一度、「ふう……」と言った後、「あ……えーっと……通達いうのは、聖地との取引のことで……」と話しを切り出した。
「何か新たに取引の申し出があったのか?」
 ウォングループは、聖地御用達の企業のひとつである。飛空都市を介しての流通ルートではあるが、ヒヒン軟膏だけではなく他にも幾つもの取引を持っている。その窓口は一括して専門の課を設けてあるが、何か新規に……ということであれば、まず総責任者であるチャーリー自身に正式通達されることはジュリアスも知っている。ただそれは先の聖地管轄課から文書を携えて役人が、こちらに訪問してくるのが常なのだが……。
「いや、新規やのうて……。聖地のカフェ・ド・ウォン……撤退命令です」
 チャーリーは視線をぼんやりとさせてそう言った。
「撤退……?」
「ええ。聖地店は、俺と聖地との関係が終わった後は、飛空都市から雇い入れた店長とバイトさんに任せっきりやったでしょ。主星から簡単に出入りできる場所やないから、こっちから人材派遣でけへんし、それしか手が無かったわけやけど。任せてた店長が体調を崩してしばらく休むことになり、今はバイトの子だけが管理してるらしいですが、責任者のいない現状は非常にマズイわけです。で、今後の事を考えても正式に撤退するべきでは……と打診されたんです」
 チャーリーは力なくそう言うと、手元のファイルを繰った。
「お客さんいうても聖地内では限られてるから、聖地店は最初から赤字になるのはわかってました。俺が聖地に上がってた時は、あの時空転移装置があったから、店に必要な備品やら仕入れ品は、大した量やないし、俺が持参しててその面でのコストはかからんかったんです。衛生面や機材の管理も、週に一回、俺がチェックしてたから何も問題は無かった。俺、こう見えても衛生管理の資格もバリスタマスターの資格もあるし……」
「なるほど。ではそなたの手が離れてからは……」
「飲食店をきちんと維持していく為の経費を入れると聖地店は、ずっと大赤字でした。この間のカフェ・ド・ウォンの決算会議でも、即刻撤退すべきやという意見と、どんなに赤字でも名誉を重んじて存続させるべきやの意見に 分かれて、最終的判断は俺に任せたいと通達が回ってきたトコですわ……」
 数日前、カフェ・ド・ウォン全体の決算書類とは別に届いていたチャーリー宛ての親書をジュリアスは思い出した。

「聖地店が赤字になるやろということは最初からに判ってたことやし、宣伝費やと思えばエエから存続の方向で……と俺は思ってたんです。そやけど……冷静になって経営者として考えてみたら……、カフェ・ド・ウォンのイメージアップという当初の目的は達せられたわけやし、今後の事まで考えると潮時かな……と……」
 そういうとチャーリーはファイルをパタンと閉じた。

「それで……、撤退することに承知し、庭園に設置してあるカフェの備品の回収はいつしたらエエかと、管轄課の担当者に聖地に連絡を取って貰いました。音声だけやけど聖地方と直で話したんですけど、向こうさんが言わはるのには、カフェそのものについては存続させたいらしいんです。聖地の住人の誰かを正式に担当者にして。当然、メニュー内容も変わるし、週末だけオープンさせて……まあ商売というよりボランティアみたいな感じで。で、できることなら、備品はそのまま譲って貰えないか、もちろんその代金については支払う……ということになったんですよ」
「うむ。あのカフェは聖地の皆の良い憩いの場であったからな。閉店してしまうことに反対の意見もあったのだろう」
「撤退するにもかなり費用がかかるわけやし、そのまま使って貰えるんやったらこっちにとってもエエ話やから、その方向で話を進めることにしました」
「そうか……」
 庭園のカフェは、二人にとって思い出の場所である。特にチャーリーには思い入れが多かろう……ジュリアスは、彼に掛ける言葉をつい選んでしまい、微妙な沈黙が生じた。チャーリーが、チラリとジュリアスを見た後、一旦、目を伏せた。まだ何か言いたい事、告げねばならない事がある時の彼の癖である。ジュリアスは視線で、“どうした?”と問うた。チャーリーは“やっぱりお見通しやなあ……”と 苦笑しながら頭を掻いた。
 

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