「では、登録いたします。しばらくお待ちください」
 男は端末機を操作し始めた。極秘事項になっている仮申請時のジュリアスのデータを呼び出す為には、五十桁のパスワードを三回、違えずに打ち込まねばならない。その大仕事を終えた彼は、呼吸を整えながら、モニターにジュリアスのデータが現れるのを待つ。通常ならばすぐに表示されるそれは、特別のプロテクトが掛かっているため、解除に五分ほどの時間を要する。モニターの向こうに姿勢を正し座っているジュリアスの姿をチラリ……とみた男は、“……光の守護聖であったお方がここにいらっしゃる……”と、再び自分の心拍数が上がっていくのを感じていた。彼は改めて一年ほど前の事を思い起こした。

 主星の最高権力者であるナッツ代表議長の元に、局長と共に呼ばれた時の事だ。ナッツ代表議長と局長は、固い表情をして緋色の革表紙に金の神鳥の紋章の入った重厚なファイルを男に手渡した。それが聖地より通達された極めて稀な、そして最重要最機密事項であることは、すぐに判った。
「近く守護聖様が降りられる。その事は、ここにいる私とナッツ代表議長、そして君しか知らない事だ。聖地管轄課の他の職員たちにも、聖地の執務官が退官し降り立った……という事にする。判っていると思うがこのことは他言ならん。君の人柄を見込んで、担当者として選ばせて貰ったのだよ」
 局長は静かにそう言うと、後の言葉はナッツ代表議長が引き継いだ。
「しかも光の守護聖様が降りていらっしゃるのだ。この事が、マスコミに漏れでもしたらどんなことになるか……。もちろんそんなことになったらどんな手を使ってでも揉み消すことになるが、場合によっては君や局長、そして私の存在自体も消さねばならない」
 男はそれを聞くとファイルを開く勇気がなく、ただ俯くしか無かった。
「脅すつもりはなかった。どうか顔を上げてくれ。長きに渡って重い責務を背負って来られた方が、ようやく荷を降ろされたのだ。お健やかにお幸せにその人生をまっとうしていただく……その為に君の力を貸して欲しい、ただそれだけだよ。通常ならば当座の滞在先となるホテルの手配など、要望に応じて用意しておかねばならないが、この守護聖様は、既に主星で身元引受人となる方がいらっしゃる。ビジネス上で既に聖地と繋がりを持っているチャーリー・ウォン氏だ」
「あのウォン財閥の?」
「さよう。彼とは先代を通じて面識があるが、明るい良い青年だよ。しばらくの間はウォン氏の館に滞在されるらしいから、担当者の君の仕事は身分証の発行など事務的なことのみとなるだろう」
 ナッツ議長からそう言われた男は、幾分、冷静さを取り戻した。
「わかりました」
 こうして元・光の守護聖の担当者となった彼の、最初の仕事が手渡されたファイルに記載されたジュリアスのデータを主星民としてのデータベースに仮登録することだった。
“あれからもうすぐ一年……。降り立って仮登録をされていた時は、固い表情をしていらしたが……。少し髪を短くされたせいか、いや……何かスポーツでもされたのだろうか、日焼けされているご様子だ……いずれにせよ、お元気でいらしたことに間違いはない……”

 男は再び、ジュリアスのデータが表示されたモニターへ視線を戻す。本登録の内容を確認して承認キーを押す。
「登録は終わりました。こちらが仮発行のIDカードです。正式のものは一週間ほどで指定の住所に私自身が持参いたします。その時、この仮発行のカードと引き替えになりますので大切に保管してください」
 男はうやうやしく両手でIDカードを差し出すと頭を下げ、ジュリアスが受け取った後もしばらくそのままでいた。
「お手数をかけました」
 ジュリアスはそう言い、チャーリーと共に退室した。男は慌てて二人を見送るために後を追う。とその時、隣室から出てきた職員と鉢合わせになった。
「ああ、良かった……間に合った、ウォンさんですね?」
 まだ若いがどことなく上品な物腰が、いかにも聖地担当者に相応しい青年である。
「なんだ? 今日はこの……聖地より退官された方の身元引き受け人としてウォン氏はいらしたのだぞ? 何用か知らないが、ついでにと、足をお止めするのは失礼ではないか」
 男がそう言い眉をしかめた。
「申し訳ありません。実は少し前に、聖地より通達事項が届き、すぐにウォン氏の会社に連絡したのですが、こちらに向かっておられるとの事でしたので」
「通達……?」
 チャーリーはそう聞き返す。
「はい。ご説明させていただきますので、こちらへどうぞ」
 彼は今し方入っていた応接室とは別の部屋にチャーリーを促す。
「何の通達やろ……?」
 とチャーリーは小声で呟き、ジュリアスを見た。ジュリアスも首を傾げ、チャーリーとともに部屋に入ろうとしたが……。
「申し訳ありません。通達事項はご本人にしかお話しできません」
 青年は、ジュリアスを聖地から退官した執務官と思っている。
「え……っと、あの私は別にかまいませんのですが……。むしろ一緒に聞いて貰いたい」
 チャーリーがそう言ったが、彼は首を左右に振る。
「いいえ。それはできません。聖地からの直接の通達事項は、ご本人と担当者しか開示されません」
 そういう規約があることは、協力者として過去に聖地とコンタクトを取り続けたチャーリーも充分に知っているので、仕方なしに頷くしかなかった。そして誰よりも、そういった規約が頭に入っているジュリアスも、「チャーリー、私は先に社に戻っていることにしよう」と言った。
「そうですか……。何やわからんけど通達の内容を説明して貰ったらすぐに戻ります」
「うむ」
 ジュリアスが頷くと、チャーリーは担当者とともに応接室へと消えた。先のIDカードを発行した男は、ジュリアスをエレベーターまで誘うと「彼は貴方様がどなたか存じ上げず失礼いたしました」と言って申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいえ。お気になさらずに。見送りは結構です。ここで」
 ジュリアスは一人エレベータに乗り、一階へのボタンを押す。
「ご足労お掛けいたしました。お気を付けて」
 男はそう言い、扉が閉まるまでずっと頭を下げたままだった。
 

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