ウォン財閥の中枢機関、ウォン・セントラルビルの60階にあるティーラウンジ。最上階ではないが主星星都の中枢部を一望でき、社内の福利厚生施設とは思えないほどの
洒落た設備で、社員同伴であれば外部者でも利用できる。退社時間後、高額な料金の余所の店に繰り出すよりも……とここで軽く飲んでから帰宅する者や、仲間内の集まりなどを持つ者も多い。
もちろんVIPルームも完備されていて、本日ここに集うのは、チャーリーとジュリアス、ザッハトルテ、それに、ゲストとして招かれたフィリップ・フィナンシェ。ザッハトルテとフィリップは互いに面識が無かったため、
「ジュリアス様についての総ての事情を知る者同士、いっぺん顔合わせをしとこ……」と、チャーリーはこの場を設けたのであった。改めて挨拶を交わした後、ビジネス上の話題
や乗馬クラブでの出来事などあれこれと会話が弾み、話題はジュリアスの身分証本登録の話へと変わったのであった。
聖地を去ることになった守護聖は、下界に於いて使用する名に幾つかの選択肢がある。主星政府によって新しい身分証明書が秘密裏に発行されるのだが、その申請は、一生のことでもあるので猶予期間がある。下界に降り立ってすぐに仮登録だけを済ませて置けば、一年間ゆっくりと考えることが出来るのだ。ジュリアスの場合は、現在、成り行き上、名乗ることになってしまったジュリアス・サマーの仮証明だけを持っている。だが、その期限もそろそろ尽きようとしていた
のだった。
「フィリップ、聞いてぇやー。ジュリアス様いうたら、名前をジュリアス・サマーのままで登録すると言わはるんや」
チャーリーは脱力気味にそう言った。
「ジュリアス様、本当に?」
フィリップは聞き返す。
「ああ、そのつもりだ」
ジュリアスは軽めのカクテルを飲みつつ、別にどうということもない……とばかりにあっさりと返事をした。
「そやけど……ジュリアス・デ・グランマルニエフィナンシェ……本当の名前の方が絶対エエのに……」
「私は、既に社内ではジュリアス・サマーで通っているのだし、そのような長い名前よりも使い勝手もよかろう」
「うう……、確かに俺、グランマルニエフィナンシェって舌噛みそうや……と言いましたよ……でもっ、本登録は、本名の方がエエと思います! 昨日からずっとそう言うてるのに〜。な、皆もそう思うやろ?」
チャーリーは、ザッハトルテとフィリップの賛同を得ようとする。
「ジュリアス、私もそう思いますよ。そもそもチャーリーが、どうしても貴方を呼び捨てに出来ず、ジュリアス様としか呼べなかったため、苦肉の策で、ジュリアス・サマーと言い出したことなんですから」
ザッハトルテがそう言うと、チャーリーはシュン……としつつ、「面目ない……」と頭を掻きながら俯いた。
「けれども一年近くこの名を使っているとそれなりに馴染みもできてしまった。私にとっては、ほとんど使ったことのないグランマルニエフィナンシェよりも
。それに今はもうフィナンシェ家として統合された古い家名を使用するとなると都合の悪いこともあろう……」
ジュリアスがそう答えると、フィリップがすかさず言う。
「ジュリアス様、フィナンシェ家の繋がりの事で、対外的な目を気にしておられるのなら、ご心配には及びません。もし何か尋ねてくれるような者があれば、しばらく他星に住まっていた遠い縁者だと説明します」
「フィリップもそう言うてくれるのやし、どう考えてもジュリアス様は、ジュリアス・デ・グランマルニエフィナンシェの方が似合う!」
チャーリーたち三人は、揃って深く頷き合う。
「……俺とジュリアス様が結婚する時、主星の法律上では、改名は強制と違うけど、俺がチャーリー・デ・グランマルニエフィナンシェ……になる選択肢もあるわけやし。
いやぁ、むっちゃカッコエエ〜。もう名前だけで男前三割り増しやで。チャーリー・サマーよかなんぼ素敵な名前なことか! 反対に、ジュリアス様がウォン名を名乗ることにしたら、ジュリアス・ウォン……ってなんか申し訳ないわ……イマイチすぎて……」
心の中の妄想がつい口について出たチャーリーの横で、フィリップが、“どうしてジュリアス様とチャーリーが結婚??”とほんの一瞬だが不審な顔をする。二人が深い仲にあるなど思いもしないフィリップである。もちろんチャーリーが、ジュリアスに多大な敬愛の念を抱いていることは知っている。だがそれはあくまでも一方的かつ精神的なもの……と思っているのだった。
と、その時、ザッハトルテが、「ふむ……例えば……ということですね。それなら、私だって、リチャードソン・ウォンよりも、リチャードソン・デ・グランマルニエフィナンシェの方が好みですね」
とまったくもって都合の良い解釈でチャーリーの妄想的発言を受け止めた。
「ジュリアス様の姓にお前の名前をくっつけるのは、例え話やとしてもムカツクけど、まあ今回だけは大目に見るとして……。お前、そうなるともの凄い貴族っぽい立派な名前やな〜、いけてる、いけてる」
「そうでしょう、自分でも今、ちょっと気恥ずかしくなりました……と、いうことでジュリアス、名前は大事ですよ。貴方は最初からこんな立派な御名前をお持ちだったのだから」
「サマーという名は、通り名として日常生活だけで使えばいいのではないですか? 僕もフィリップ・フィナンシェと名乗っているけれど正式名は違いますよ」
大貴族のフィリップがそう言うと説得力がある。
「え? そうなん? フィリップの正式名って何?」
「フィリップ・セプテム・デ・フィナンシェだよ」
「そんな長い名前やったん。真ん中はしょってたんや」
「ああ。貴族を表す『デ』という言葉は、今の時代、僕はあえて貴族ですと言う必要もないと思って省いてる。セプテム……というのは古い言葉で、数字の7という意味でね。フィナンシェは、フィリップという名前のものが多くて、違いがわかるように番号を打ってあるんだよ。
僕の前はフィリップ・セクス、その前はフィリップ・クィンクェと言う。ちなみにチャーリー、僕と結婚して僕の姓を名乗るのなら、君は、チャーリー・デ・フィナンシェもしくは、チャーリー・ウォン・デ・フィナンシェ……どうだろうか?」
優しい微笑みを浮かべてチャーリーを見つめるフィリップ。
「どうだろうか……って、何がどやねん〜〜。俺のことはアカンの〜、諦めて〜」
ブンブンと頭を横に振りつつチャーリーは真剣に訴えるが、フィリップは、打たれ強いのか自信があるのか、肩を竦めて「ふふふ」と笑っただけでまったく堪えていない。
「と、ともかくも……そしたら、ジュリアス様も、ジュリアス・サマー・デ・グランマルニエフィナンシェ……で登録しとかはったらどうですか?」
チャーリーは思い切り上がった心拍数を宥めつつ言う。
「それがいいと思います。少し長いですが、正式名を書く必要があるのはごくたまですからね。日常はジュリアス・サマーで通せばいいんですから」
「ジュリアス様、オネガイですからぁぁ〜っ」
「では……そう……しようか……」
三人に押し切られる形となり、ジュリアスはようやく頷いたのだった。
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