18


 驚きで声さえも出ないチャーリーを見つめた後、ジュリアスは話を続ける。
「かつて、丘の上で私に戻ろうと言ったのは、私の乗馬の先生だった。五歳の時のことだ。顔は思い出させないが、あれは、聖地に召される前日の事だった。先生は私に別れを告げる為にいらして、最後だからと二人して丘まで出掛けたのだ……。私はその事をフィリップの言葉によって思い出した。心の奥底から一気に記憶が押し寄せて……だが、確証が無かった。ただ似ているだけのことかも知れない、と。クラブハウスに戻った時、フィリップが契約書のファイルをくれただろう?」
「あの……家紋の入った黒革のですね」
「中央の翼のある馬は、聖地の女王陛下を表す。両脇の馬は、富と力……見覚えのある紋だった……」
「そしたら、フィナンシェ家は……ジュリアス様のご実家……?」
「いや、それが判らぬのだ。確かに紋は似ているものではあるが、はっきりと同じと言えるだけの記憶がない。チャーリー、私の本当の名は、ジュリアス・デ・グランマルニエフィナンシェという。確かにフィナンシェと入ってはいるのだが繋がりがあるのかどうか判らない。調べたいことというのは、あのファームが本当に私の生家のあった場所なのか、現在のフィナンシェ家との関係はどうなのか……ということだった。昨晩から部屋のコンピュータで検索をかけて調べてみたのだが、どうもはっきりとしないのだ。現在のフィナンシェ家が携わっているビジネスなどは容易にヒットするのだが、歴史的な部分となると、肝心な所で詳しい記載がない。およそ五百年ほど前、そこから現在のフィナンシェ家が始まっている。だがそれ以前の記録となると……」
 ジュリアスは首を左右に振った。
「ずっと昔……。主星は今とは違う共和制を布いていました。主星には外の星と違って王というものは存在せえへん。主星にとっては、王と呼べるのは、聖地の女王陛下只お一人やから。その代わり、 貴族の中でも選りすぐりの大貴族と呼ばれる家の主が政治を担ってました。時代が移り変わるうちに何度か革命や改革が起こって、だんだんと貴族という層は薄れて、特に大貴族と謂われたものは、家の維持が出来ずに消えていった……今、残ってるのは、カタルヘナやフィナンシェ や……ごく僅か……」
 チャーリーは歴史の授業で習ったことを、自分自身に思い出させるように呟く。
「グランマルニエフィナンシェも消えた家柄のひとつなのだろう。フィナンシェ家とは親戚関係のようなものがあったのではと思うのだが……」
「古すぎてわからへんのや……それに、そういう貴族層の家柄に関する情報は、一般のデータベースではセキュリティ上、ヒットせえへんようになってますからね。主星政府のマザーコンピュータやったらデータが残ってるやろけど 、開示申請しやな見せては貰えへん……」
「今日、もう一度、シフォン・ファームに行ってみたのだ。上空から確かめただけなのだが、やはりあそこは私の家があった所だと思う。だが、やはりはっきりとそうと判ったわけではなく、気持ちがすっきりとしないのだ……」
 ジュリアスが、昨日今日と塞ぎ込んでいたのは、フィリップとの関係ではなかったと判るとチャーリーの心は、あっさりと晴れていく。ジュリアスの生家についての事実は、チャーリーにとっても衝撃ではあったが、ジュリアスとの心変わりや別れ云々に比べたら、何を思い悩むことがあろうか……なのだった。
「ジュリアス様、ご実家の事はおいといて、シフォン・ファームの乗馬クラブは、気に入ったのでしょ? 会員になりたいと思ってはるのでしょ?」
「距離的にも条件に合うし、設備も整っている。総ての点に於いて申し分ないと思う」
「そやったら、会員になるという前提で考えてみたらエエんですよ。すっきりするには、グランマルニエフィナンシェ家とフィナンシェ家との関係が明らかになって、あの場所がジュリアス様の家やとはっきり判って……それでいいんでしょう?」
「そうだ。明確になればそれで良い。グランマルニエフィナンシェ……その名を私は永らく忘れていた。聖地に上がって以来、一度も使う事の無かった名だ。判ったからと言って、どうこうしようと思っているのではない」
「それなら話は簡単や。フィリップに事情を話しましょ。あのファームの付近は昔、フィナンシェ領やった……と彼も言うてたでしょ。もし本当にジュリアス様の家があったんならグランマルニエフィナンシェ家から何らかの形で渡ったものやから記録があると思うんですよ。それに大昔のデータに関する開示申請も血筋の者やったらすぐにできるわけやから何か調べるにしても話しが早い。俺、フィリップはエエ人やと思います。クラシック・なんとか・スタイルっていう馬の乗り方の事から、ジュリアス様の事をアレコレ聞いてきた時も、俺がピシャッと言うとすぐに詫びてくれたし」
「彼は、二人きりの時、私の騎乗スタイルの事を褒めてくれたが、詮索めいた発言はしなかった」
「うん。ジュリアス様が守護聖やったこと、ぶっちゃけやなアカンけど、フィリップやったら口外せぇへんと思うし、ましてやそれを利用してどうこうなんて考えへんと思う」
 チャーリーは、すっく……と立ち上がり、その場を何かを考える風にウロウロと歩きながら、「もし、フィリップがジュリアス様の過去を口外したり、利用しようとした時は……主星経済界からフィナンシェの名前は消えることになる。俺がウォンの全勢力を持って完膚無きまでに潰す!」と言った。チャーリーが本気なのは、いつもはせわしなく動くその瞳が据わっていて、口調もいつもより数段低いので判る。強い意志の籠もったチャーリーの背中をジュリアスは見上げた。
「チャーリー……そなた……」
 ジュリアスは立ち上がってチャーリーを追い、背後から抱きすくめた。
「わ、ジュリアス様……?」と驚いた後、チャーリーは、胸元にあるジュリアスの手の上に自分の手を重ね合わせた。顔がにやけてゆく……。
「さっきの俺、もしかして、ちょーっと格好良かった?」
「そう……いや、ビジネスに私情を挟むのはどうか。それにワンマンな経営者は、次の株主総会で解任されるぞ……」
「また……そんなザッハのおっさんみたいなこと言うて……そやけど、誰がなんと言おうと、やる時はやりますからね……」
 チャーリーは、ジュリアスの腕の中でクルリと反転し、二人は向き合った。
「実際のトコ……そんなアッサリいかんのかも知れんけど……。どうなるかは、出たトコ勝負や。ご実家があんな良いファームに生まれ変わってて、しかも少しは当時の雰囲気が残ってるやなんて、良かったと俺は思います。競馬場でフィリップに会うたんも、何もかも、縁……っていうか、運命を感じる。俺のおじいちゃんがジュリアス様と出会ったのと同じように、会うべくして巡り会った……と」
 チャーリーはそう言うと、身悶えしつつ、「あーん、ジュリアス様、このまま押し倒してかまへん? 幸い、ココ寝室やし!」とグイッと下腹部をジュリアスに密着させた。
「ならぬ。まだ日は沈まぬ」
 春の夕暮れは、五時を過ぎてもまだ明るい。
「明るかってもエエやないですかー」
「房事は夜の帳が降りてからするものであろう」
「ぼ、房事……って……アレの事ですか? 夜にしかしたらアカンやなんて、そんなアホな。誰ですかー、そんな事、教えたんはー」
「最初の閨係の者が……」
「ね……ねや係……、最初の……閨……あーー、何か腹立つ、くやしい。いたいけな何も知らん純白なジュリアス様とっ。くーっ、俺がしたかったーー」
「その頃、そなたは生まれてもいなかったな……」
「陰も形もありませんて。ともかく房事は、いつでもどこでも愛し合う二人の間に於いてはしてもエエんです! 真っ昼間であろうと、青天の下であろうと! やっぱり押し倒す〜、うおおーー」
 ジュリアスの腰にガッシと手を回したチャーリーは、ベッドの縁までがぶり寄る。
バタン……と二人はベッドに倒れ込んだ。だが、チャーリーはそれ以上のことをしようとはせず、押し倒したジュリアスの横に同じようにゴロリ……と仰向けになった。
「ジュリアス様、もしかして、昨夜、寝てはれへんかったんでしょ?」
「ああ」
「俺やったら……。ジュリアス様、どないしょー、あのファーム、俺の昔の家のあった場所やと思うねん。そやけど証拠あらへん。検索しても何もヒットせぇへん〜、なんかモヤモヤして寝られへん〜……って、ジュリアス様に言いに行きますよ。そしたら、たぶん、ジュリアス様は、チャーリー、それは衝撃の事実ではあるが、とりあえず今宵はゆっくり休め。明日にでも一緒に調べてみよう……って言わはると思うな。で、俺は些かなりとも気持ちがホッとして、 じゃあ寝ます……ってなると思う」
 頼って貰えなかったことを少し拗ねるようにチャーリーは言った。ジュリアスは、無言のままチャーリーの手に触れる。少ししてから、「確かでないことを口にするのは私には難しい。思い過ごしかも知れぬと言われればそれまでのこと……」と、言った。
「俺は……思いつきで言葉を先に口に出し過ぎるから……そんなジュリアス様の性格は見習うべきやなあ」
「私はそなたを見習うべきだったな」
 二人はそう言い合いお互いを見て笑った。いつものジュリアスの笑顔にチャーリーは嬉しくなる。
「やっぱり襲てエエですか?」
「ならぬ。房事は、夜の帳が降りてから。夕食のしばらく後に致すものだ」
「ええっ、しかも食後やないとアカン取り決めまであるんですか? もー、笑えるわ、その閨係の人!  そら、今までも必然的に、えっちするのは、夜、食後になってたけど、それは、時間的にそれしか仕方なかったんやとばかり思てきたけど、違うかったんか……ジュリアス様なりのルールの範疇やっ たとは!」
「空腹では体が持たぬであろう? それに事後、疲れてしまっても後は眠るだけなので何の差し支えもない。理に適っているではないか」
「いや、まあそうですけどもー。そしたら、食後に改めてジュリアス様の方から襲てくれはる? どんなけ疲れてもエエぐらいに!」
「善処しよう。だが明日は火曜日。朝一番に地区本部会議、その後、環境事業部のプレゼンと夕方まで予定がビッシリだ。それに差し支えのないようにせねば ならぬ」
 澄ました顔のいつものその言い様がチャーリーにはとても嬉しい。嬉しいのだが、少し癪に障りもする。
「……こっそりジュリアス様の食後のコーヒーに精力剤を仕込んだる! チャーリー特製・絶倫エスプレッソや!」
「声に出して言ってしまうと何の意味も無いと思うがな……」
「あはははは」と笑いながら、チャーリーは心の中で、
ジュリアス・デ・グランマルニエフィナンシェ……か……”
 
と、どこか遠い所にあるようなそよそよしい感じのするその名を呟いていた。
 

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