19


 火曜日。ジュリアスは、乗馬クラブの契約の前に、チャーリーも交えて話があると、フィリップにコンタクトを取った。土曜日の午前中にでもファームで……と言ったジュリアスに、何かを察知したフィリップは、それならば金曜日、仕事が終わってから会うのだどうだろうか……と申し出た。フィナンシェ製薬は、主星星都内に本社ビルがあり、フィリップは多忙時の時の為、ウォングループのセントラルビルの近くにマンションを持っており、そこで会うことになった……。

 金曜日、午後六時。チャーリーとジュリアスは、ウォングループ・セントラルビルから徒歩八分、万全のセキュリティ設備を配した超高級マンションの前にいた。 ガードマン……というより宮殿の近衛兵のような優美な制服姿の大男が三人、ニコリ……ともせずに立っている。
「まさか、こんな近くにフィリップがマンションを持ってるとは思わへんかった……うわ……すごいトコやなあ……一流ホテル並や……」
 チャーリーはそう言いながら、あらかじめフィリップから用意して貰った入室許可書を、ガードマンに提示する。
「どうぞお入り下さい」
 ガードマンの一人が、ぶ厚いガラスの玄関扉のロックを解除する。エントランスホールの受付にスーツ姿の執事のような紳士が座っている。ジュリアスが、フィリップにアポを取っていることを告げると 、「承っております、最上階直通のエレベーターにお乗り下さい。1001号室でございます」と頭を下げた。最上階にエレベータが着くと、先の受付から連絡が入っていたらしく 、既にフィリップが待っていてくれていた。

「やあ、いらっしゃい。僕もさっき会社から戻ったばかりでね……」
 上着を脱いだだけのワイシャツにネクタイ姿のフィリップは、いつものように爽やかな美男子ぶりだ。ジュリアスのように長くはないが同じような金髪で深く濃い青い瞳、気品のある身のこなし……、改めて見ると、やはりフィリップは、ジュリアスと似ている……とチャーリーは思う。
「フィリップ、せっかくの金曜日の夜やのに悪かったね。明日、ファームに伺っても良かったのに」
「いや、いつもは金曜の夜からファームに行くんだよ。で、週末はあっちにずっといるんだ。向こうで落ち合っても良かったけれど、厩務員たちも出入りしてるし、誰も居ない方が 落ち着くかと、こっちに来て貰ったんだが。さあ、どうぞ。まだ日は暮れてないけれど夜景が自慢の部屋だよ」
 1001号室の扉を開けてフィリップはそう言った。長い廊下の向こうに主星星都の見渡せる大窓が見えていて、暮れゆく都会の夕景がそれだけで絵になっている。シンプルなインテリアでまとめられた部屋に、置いてあるものは皆、飛び切り上質なものばかりである。 どこかの星に旅行した時に買ったような民芸品も飾ってあったりするのだが、どれも土産物というより芸術品の域に達しているものばかりだ。
「何か飲むものを用意するよ。軽く……飲むかい?」
 フィリップは、キッチンの横に設えてあるバーコーナーを指さす。
「おかまいなく。それよりも……」
 チャーリーとジュリアスの表情が固いことに気づいたフィリップは、「そうだね。何か大切な話だと言ってたね。何だろうと僕も気になってね……飲み物は、まずは話を聞いてからにしようか……さあ、君たちも掛けて」 と、ソファをジュリアスとチャーリーに勧めた。

「フィリップ。これから話すことは誰にも口外せぇへんと誓って欲しいんや」
 そう切り出したチャーリーの緊張した顔に、フィリップは一瞬黙り込んだ後、「犯罪に荷担するような話でないのなら、口外はしないよ。聖地の女王陛下に誓って。なんなら守護聖様にもお誓いするよ」とフィリップは言った。それは、別に特別な言い回しではなく、何かを誓う時の主星人の常套句ではあったが、この場で言われるとチャーリー もジュリアスも一瞬ドキッとした。

「フィリップ、まず、聞きたいことがあるのだ。唐突だとは思うが、グランマルニエフィナンシェ家のことを知っているだろうか?」
 ジュリアスは静かに問いかけた。
「へえ……これはまた古い家名を。知っているも何もグランマルニエフィナンシェ家は、フィナンシェ家のことだよ」
 フィリップは、あっさりとそう言った。
「どういう事? 頭に付いてるグランマルニエはいつ外れたん?」
「今からざっと五百年ほど前、当時のグランマルニエフィナンシェ家は、過去に守護聖を配したことがあり、主星で執政を担っていた幾つかの大貴族のうちのひとつだったのだけれど、後継者がいなくなったために執政権を失いかけたんだ。そこで分家にあたるビスキュイフィナンシェ家当主の息子のうち弟の方……フィリップと言って僕と同じ名なんだが、彼を養子に取り、グランマルニエの家名を残すことにしたらしい。けれどもその後、皮肉なことに兄の方が事故で亡くなり、今度はビスキュイの後継者がいなくなった。その時、両家の間でいざこざが起きたのだという。実の親はビスキュイの者、養父母はグランマルニエの者、二つの家の板挟みになったフィリップは、結局、グランマルニエとビスキュイ、二つの家を一つの家としフィナンシェ家として統合したんだよ」
 フィリップは、そう言うと立ち上がり、壁一面に造り付けてある書架へと歩いた。
「ええっと……確かこの辺りに……ああ、これだ。これが役に立つとは……ね」
 フィリップはやや古くなった一冊のバインダーを引き抜く。
「これは、フィナンシェの家系についてまとめたものだ。ハイスクールの時に学校の課題で調べたんだよ」
「自分の家系を調べましょうっていう課題? さすが聖ビクリニィ学院や。そんな課題、一般校の俺らが出されても、二、三代遡ったところで後はわからへんでー」
「ははは、まあ、ビクリニィは貴族層の子弟の為に創られた学校だからね。 この課題、我ながら良く纏まっていると思って残しておいたんだよ。ほら、ここ……家系図原本の写しだ」
 長い巻物のような家系図の一番最初の所をフィリップは指す。
「このフィナンシェ家一代目当主フィリップより以前の記録は、残念ながらきちんとした形では残っていないんだ。グランマルニエフィナンシェ家とビスキュイフィナンシェ家の最後の方の家系図だけは、当時の別の記録から判ってはいるけれど……。次の補足ページに確か記載したはず……ああ、これだ。グランマルニエ家の最後の当主とその妻の間に、子どもが一人……」
「え? 後継者がおれへんかったんで、養子を迎えたのと違うのん?」
「記録によると、男の子が一人いたのだけど五歳の時に、病死したことになっている。もしその子が生きていたなら、二つのフィナンシェは統合することも無かっただろうし、グランマルニエフィナンシェ家は今も残っていたかも知れないね……けれど、実はこの子は、病死ではないんだ」
 コピーされたものではあるが、原本の古さが伝わってくる家系図の欄外にその事が小さく書かれている。チャーリーが、ジュリアスをそっと見ると、何とも言えない表情でその部分を凝視していた。 そこに書かれたグランマルニエフィナンシェ家最後の当主の名前は、ジュリアスの両親のものだった。

「病死と違うってどういうこと?」
 チャーリーはジュリアスの代わりとなってフィリップに問う。
「フィナンシェ一代目のフィリップは、二つの家のいざこざがよほど嫌だったらしくて、一つの家として統合させた後、グランマルニエとビスキュイの記録については、ろくに管理もしなかったようなんだ。けれど、自分が一代目になった前後の経緯は、彼自身の日記が残っていてある程度、判っている。それによると、グランマルニエフィナンシェ家の当主となるはずだったその子は、実は聖地に守護聖として召されたのだという」
 チャーリーとジュリアスは、互いに顔を見合わせた。
「なんで病死ってことなってるんやろ? 女王や守護聖を配した家は自慢こそすれ隠すようなことはせぇへんのと違う?」
「子どもが何人もいて、ある程度の年齢になった時に、そのうちの一人が守護聖として召されたのというのと、たった五歳の一人息子が召還された……というのでは、親の気持ちは違うだろう?  まだ幼い息子が召されることになってグランマルニエルフィナンシェ夫妻の悲しみは大きかったようだ。息子の手前、それは名誉な喜ばしい事だと振る舞いもしたが、世間に大々的に公表し来客を招いての盛大な宴を催すような気にはなれなかったようだ。当時は特に守護聖を配したとなると、その名前さえ有り難がって生まれた子に同じ名を付ける風潮もあったし、それはそれはお祭り騒ぎになったから、 寂しさの癒えるまでその名さえ伏せておきたかったんじゃないだろうか。フィリップの日記にもそんな風に記されていたよ。その後も、夫妻は二人目の子に恵まれず、このままではグランマルニエフィナンシェ家を継ぐ者がいないと周りが騒ぎ出し、ビスキュイからフィリップが養子に入ったんだ 」
「フィリップ。……その……グランマルニエフィナンシェ家の夫妻についての記述は他に何か無かっただろうか……?」
 ジュリアスの問いに、フィリップは、「確か……」と言って考え込む。
「フィリップの日記が手元にあれば良かったのだけど、実家の保管庫にあるので、僕の記憶だけが頼りだけれど……。グランマルニエフィナンシェの養父母の事をとても褒め称えている記載があったよ。夫婦仲も睦まじく、立派な人たちだと。執政権を養子であるフィリップに譲って引退した後は、福祉活動にも熱心で、誰からも尊敬される良い晩年を過ごされたそうだ」
 ジュリアスはそれを聞くと、やっと小さな微笑みを浮かべた。
「……でも、本当にどうしたんだい? どうしてこんな古い時代のフィナンシェ家のことが気になるんだ?」
 フィリップの不審顔に、チャーリーは意を決して口を開く……。

「フィリップ……。よう聞いてや。この守護聖になった子の名前、ジュリアス……って言うんや……」
 ふう……と一息ついて、チャーリーはそう言った。
「………………ジュリアス? ……ジュリアスって?!」
 フィリップは、チャーリーからジュリアスに視線を移した。
「この間、ファームの林の奥に行った時、ジュリアス様は思い出されたそうなんや。あそこが自分の館があったとこや……って」
「シフォン・ファームにグランマルニエの館が? あの辺りは確かにうちが持っている地所の中でもっとも古いものだが……」
 フィリップは、そこで大きく深呼吸した後、無言になった。そしてジュリアスを凝視する。ジュリアスは、あの日ファームで体験した既視感についてを 語り始めた。
 
 フィリップは、聞き終えた後、「……あのクラッシック・カスタード・スタイルの騎乗を目の当たりにしなかったら、とうてい信じられなかった話だ……。貴方が光の守護聖様だったなんて……」と呟いた。
「驚かせてすまなかった。私は事実を知りたかっただけなのだ。そなたの乗馬クラブはとても気に入ったし会員になりたいと思う。だが、この事を胸に納めたままあのファームに出入りすることは出来ないと思ったのだ」
「俺、フィリップに聞けば、何か判るはずと思って、ジュリアス様に打ち明けることを勧めたんや。フィリップなら話せば判ってくれる、秘密は守れる人やと思ったから 。俺とジュリアス様の出逢いは話せば長いことやからまたの機会にするとして、再会したのは、カフェ・ド・ウォン聖地店の出店で知り合って、仲良うしてもろてるうちに、ジュリアス様が退任されることになったんで、まあ、それやったらウチに……ってことで……」
 別の宇宙の新たなる女王試験の協力者として……ということは伏せたまま、チャーリーは自分とジュリアスが共にいることの説明を大雑把にした。フィリップは、顔を挙げて、二人を交互の見つめ、そして小さな溜息の後、笑った。その手がジュリアスに 向かってそっと差し出される……。
「チャーリーが、ジュリアス様、と頑なに貴方に言ってる理由が判りましたよ。それを聞いたからには僕も貴方を呼び捨てには出来ないな。ジュリアス様……と呼ばせて戴きます。 本当に驚いた……でも、打ち明けて下さってとても嬉しい。……お帰りなさい、ジュリアス様、長年、お疲れ様でしたね……」
 ジュリアスはフィリップの手を取り、「ありがとう」と言った。握手をし会う二人の横で、チャーリーが、「うぉーーーん」と叫びつつ泣き出した。
「フィリップ〜、あんたエエ人やなあ〜。やっぱり、さすが守護聖を配した家系の血筋や〜」
 ポロポロと涙を溢すチャーリーに、フィリップは、慌ててテイッシュの入った繊細な象眼細工の箱を差し出す。
「こら、えらい立派な所にティッシュが納まってるわ……グスッ……ありがと……うう……グシュ……失礼して……」
 ゴソゴソと涙を拭うチャーリーを見て、フィリップも、流れ落ちそうになる涙を拭う。ジュリアスはソッと目尻を押さえた。

「そうだ。乾杯しよう! こんな時の為のとっておきのワインがあるんだよ! あいにく食べ物の方は、チーズやハムくらいで大したものはないけれど……」
 フィリップが立ち上がり、グラスとワイン、それに簡単な料理を用意してを持ってくる。
「出た! ミドリーノカティスや!」
 レアワインの登場に、チャーリーの涙も吹き飛ぶ。
「好きかい? プラチナラベルは、さすがにこれ一本しか持ってないけど、ゴールドやシルバーなら何本かあるよ」
「プラチナラベル……開けてもええの……?」
“うわあ、一生飲めへんと思ってたプラチナラベルを一ヶ月に二度も!!”

「何か特別のお祝い事の時に開けようと思っていたんだ。今夜がその日だよ」
「そやけど、よう手に入ったなあ。ミドリーノカティスをジュリアス様に飲んで貰おうと思ってさんざん探したのに見つかれへん 。一番リーズナブルとされるグリーンラベルでもなかなか。たまに見つけても値段もまっとうやないし」
「チャーリー、実はミドリーノカティスワインは、とあるルートでしか手に入らないんだよ」
 申し訳なさそうにフィリップが言った。
「む……それって、もしかして、どっかの星の王族とか貴族だけの仲良しルートとか? ずるいなあっ」
「販売ルートが秘密裏に独占されているのは、法に触れるのではないのか?」
ジュリアスは、ワインのボトルを見つめながら言った。
「ええ。通常に発売されているものならば。けれど、このワイナリーは今はもう無いんです。同じ場所でワインの製造はされているのですけれど、創業者の遺言で、彼の死後、このミドリーノカティスラベルのワインはお終いになったんです。どうしてだか謎ですけれど……。で、このラベルのワインは、美術品などと同等の扱いを受けているため、販売ルートが制約されてもお咎めはないんですよ。むしろ贋作を作らせないために主星政府からは、その方が良いと推奨されてもいるんです。本当に美味しいワインなんですよ……さあ……ジュリアス様、チャーリー、飲みましょう」
 フィリップはグラスを掲げる。そして、三人は、「乾杯……」と微笑み会った。ジュリアスは、香りを確かめ、一口……それを飲む。
“ああ……この味……間違いない……これはカティスの……”
 
と、彼はそっと心の中で呟いた。 このワインを作った主の事を、二人に話せばきっと驚くだろうが、またそれは別の機会にして、今はただこの懐かしい味を楽しもう……と思うジュリアスだった。

 

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