ウォンの館の上空に張り巡らされたセンサーが、チャーリーの乗るエアカーに反応し、主の帰宅を警備室に告げる。警備員は慌てて執事にそれを伝えると、エアカーの格納庫の屋根を全開にする。チャーリーを乗せたビジネス用セダンは、一旦、格納庫を素通りして、ウォンの館の別館前にエアカーを付けた。
「お帰りなさいませ、チャーリー様。今日は少し早うございますね」
出迎えた執事にチャーリーは、「ただいま。うん、たまには暇な時もあるんや。夕飯はいつもの時間でええよ」と心のざわめきを隠して答える。
「承知しました。……ジュリアス様は、お電話を戴いた後、少ししてお戻りになられました。お電話があったことは申しておりません」
執事は、何かを感じとっているらしく、控えめにそう言葉を付け足した。
「うん。ありがと。別に……具合が悪うなってはらへんねやったらええんや」
チャーリーは、そう取り繕いながら、ネクタイを少し緩めて館へと入る。ホールを抜け、自分たちの私室と居間のある奥へとチャーリーは向かい、鞄とスーツの上着を自分の部屋に投げ込むと、ジュリアスの部屋の扉を叩いた。だが何の返事も無かった。
「ただいま、ジュリアス様」
チャーリーは、そっと扉を開けて中を覗き込む。書斎になっている最初の部屋にはジュリアスの姿が無く、奥の寝室へと続く扉が空いている。そこから静かな音楽が聞こえてくる。チャーリーは、その半開きになった扉を叩いて、自分がいることをジュリアスに知らせた後、そこから顔だけを覗かせた。
「ああ……そなたか? ん? 少し早いようだが?」
リクライニングチェアに座り音楽を聴いていたジュリアスが身体を起こしながら言った。
「今日は暇でしたから早退して来ました。ジュリアス様もいてへんし、寂しいしー」
チャーリーは、やんわりとそう言うとジュリアスの近くの椅子に座った。
「調べ物、片が付きましたか?」
何故またシフォン・ファームに行ったのか? とは言い出せずにチャーリーはそう言った。
「うむ。……大体は。まだわからぬこともあるが……」
ジュリアスの表情はやはりまだ冴えない。そんな彼の様子にチャーリーは、グッと握り拳を作った。
“イライラする……。なんやねん? このジュリアス様の延びたうどんみたいな態度は! いつもはアルデンテなジュリアス様に一体、何があったというんや? 馬の事でここまで妙な感じになるとは思えへん……こうなったらハッキリ聞くしか!”
チャーリーが、そう思った時、ジュリアスの方から、「話がある……」と切り出した。バクバクとチャーリーの心臓が高鳴る。
「先日ファームで、フィリップと子馬を見に林の奥にある厩舎に行った時……」
ジュリアスの声は弱々しく、そこで重大な事があったのを予測させる。
“やっぱり何かあったんや! なんで、なんでや? ジュリアス様、なんでそんなに思い悩んだ風なんや? まさか、ホンマにフィリップと何か……い……いやや、聞きたくない……”
だが、ジュリアスは小声で話を続ける。
「林の向こうは、クラブハウスのある辺りと違って、一層、素朴な風情のある場所だった。厩舎の他は自然をそのまま利用したような草原となだらかな丘が拡がっていて、池には石造りの小さな橋が架かっていた。厩舎で子馬を見た後、私とフィリップは、
馬に乗ってその草原を抜けて丘に向かった。丘の上からは、木々に囲まれたファーム全体が見渡せた。あの日は初夏のような晴天で、風が心地よかった……。私たちは、馬を木立に括り付けて、しばらくそこで雑談をしながらその風景を楽しんでいた。そして……フィリップが言ったのだ……」
チャーリーは心の中で大きな溜息を付いた。良い眺めの中、爽やかな風に吹かれながら交わされた二人の楽しげな会話を思うと胸が詰まる。ふいに会話が途絶え、二人は見つめ合い、そして……そして? チャーリーの心の中に不安が押し寄せる。
「フィリップは……なんて言う……たんですか?」
「…………『そろそろ戻りましょう、ジュリアス。喉が渇きましたね』と」
ジュリアスはそこで額に手をやった。そのフィリップの言葉のどこが、ジュリアスに苦悩の表情を浮かべさせるのが判らないチャーリーは、ついに声を荒げた。
「ジュリアス様、どうしはったんです? 何かおかしいですよ。俺は……俺は、フィリップがジュリアス様に愛の告白でもしたんかと! まさか……まさかジュリアス様の方から?」
「愛の……告白? 何の事を言っているのだ?」
「だってそうやないですか! 大体、最初に競馬場でジュリアス様に声をかけてきたんはフィリップで、
最初からもしかしてジュリアス様に気ィがあるんと違うやろか……と心配やったんですよ。あの通りの男前やし気品もあるし、おまけにジュリアス様と趣味も一緒
やし。昨日のファームの様子では、ジュリアス様に対して恋愛感情があるようには見えへんかったんで安心したんやけど、肝心のジュリアス様の態度の方が
、ものすごー変や!」
チャーリーは、思わず立ち上がって、そう叫んだ。
「心配をかけてすまない。もう少し我慢して私の話を聞いてくれぬか?」
ジュリアスはチャーリーの手を引き、椅子に座るよう促した。チャーリーは渋々、もう一度、座る。
「『そろそろ戻りましょう、ジュリアス。喉が渇きましたね』とフィリップに言われた時、私は既視感に襲われたのだ……」
「既視感って……デジャヴ?」
「ああ、そうだ。言葉だけではない、風景も、風や草の匂いや、すべて知っていた……ように感じたのだ」
「聖地に雰囲気が似ているからと違って?」
「最初はそう思ったのだ。けれど、丘の上から全体の風景を見ていると……私は思ったのだ。もしや……シフォン・ファームは……私の生まれた館があった所ではないか……と」
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