15


 チャーリーが、クラブハウスに戻って休憩していると、フィリップだけがテラスに戻ってきた。
「お疲れ様、チャーリー。体験コースはどうだった?」
「楽しかったー。けど、乗馬があんなに大変なもんやとは思ってなかったー。もう背中やら膝やら筋力、必要なんやねえ。ところで、ジュリアス様は?」
 冷たいジュースを片手に、フーと息をついてチャーリーが言う。
「着替えてるよ。 何頭か子馬を気に入って貰えたようだ。彼は本当に馬が好きなんだね。それに何度も言うけれどあの騎乗スタイルの美しさったらない。会員としてより教官としてうちのファームに招きたい」
 フィリップが溜息まじにそう言うと、チャーリーは、「引き抜きはアカンよ。ジュリアス様は俺の秘書!」とワザと彼を睨みつけて言った。肩を竦め降参……のポーズを取るフィリップに、チャーリーは明るく笑う。
 しばらくして、着替えを済ませたジュリアスが戻ってきた。フィリップは手にしていた革張りのファイルをジュリアスに見せる。
「ここに乗馬クラブの会員規約、契約書一式が入っている。それと馬の購入についての一連の流れを記したものと……」
 黒革のファイルには、金の型押しで紋が入っている。中央に前脚を上げた馬には翼がある。それを守護するかのように両脇に一頭づつ。それらが蔦の絡んだ盾型の枠の中に配された荘厳かつ優美な飾り紋。
「立派な紋やなあ。これってフィナンシェ家の紋やねえ。カッコええなあ……」
 チャーリーは純粋に羨ましく思う。経済的にはフィナンシェ家に何ら劣るところのないウォン家だが、一般庶民の出身であるため家紋など元より持たない。
「ジュリアス、当ファームが気に入ったなら、どうぞよろしく。連絡を貰えれば契約書を取りに誰かを行かせる。もしくはまた週末にでも持参して貰えれば僕が手続きさせて貰うよ。他にも乗馬クラブは何カ所かあるし、ウチと縁が無かったとしても、いつでも遊びに来てくれると嬉しい」
「あ……ああ。判った。よく読ませて貰った上、後日、また連絡する」
 フィリップからファイルを受け取ったジュリアスの声に抑揚がない。チャーリーは、ハッとしてジュリアスの顔を見た。それを察したジュリアスが、小さく笑って、「久しぶりの 乗馬で少し疲れてしまったようだ……。フィリップ、今日はありがとう」と言った。
「いいえ、こちらこそ、とても楽しかった。チャーリー、ファーム以外でのお付き合いもよろしくお願いする。今度、食事にでも」
「ええ、ぜひ」
 フィリップから差し出された手を、チャーリーが握りしめた時、執事が「車を門前にまでご用意致しました」と告げに来た。

「運転はもちろん俺にまかせといてー」と、最近買ったばかりのスポーツタイプのエアカーの助手席にジュリアスを座らせてチャーリーは言う。
「すまないな。そなたも慣れぬ乗馬で疲れたのではないのか?」
「はい〜。身体中、心地よい疲労感でいっぱいです〜。……朝8時に館を出て、たっぷりファームに居て、帰りは4時前……。ジュリアス様が週末、乗馬を楽しまはるのには時間的にも無理がないし、フィリップはエエ人やったし、会員にならはるんでしょ?」
 そう言いながら、車をファーム上空の規定値まで上昇させたチャーリーは、カーナビの目的地をウォンの館へと設定する。後は半自動で自宅まで運んでくれるのだが、交通規則によってドライバーは、一応ハンドルに手を添え、周囲への注意を怠るわけにはいかない。前方を見たままチャーリーがジュリアスにそう言うと、「そうだな。とても良いファームだった。……たが、もう少しいろいろ調べてみないと……」と 、どこか頼りなげな返事をした。チラリ……とチャーリーが、ジュリアスの方を見ると、膝の上に、フィリップから渡されたファイルが開いていた。びっしりと規約の書き込まれた書類の上に、シフォン・ファームの全景写真と、生まれたばかりの子馬の写真が何枚か……。
「気に入ったお馬さん、いてましたか?」
 チャーリーの問いかけに、窓の外を眺めていたせいもあり、一瞬間が空いてジュリアスが答える。
「……え? あ、ああ。……二頭ほど……写真と血統図を貰ってきた。よく調べてみないと……」
「大きい買い物やからなあ。思う存分、悩んでください。そういうのってコレって決定する過程が楽しいですよねー。俺もこのエアカー買う時、さんざん迷ってカタログとかポロボロやったでしょ。あ、馬と車と一緒にしてスミマセン……」
「ああ……そうだ……よく調べてみないと……な」
 ジュリアスは窓の外を眺めたまま、ぼんやりとそう答えた。
 
“何や……。もう心はお馬さんでいっぱいみたいやなあ……。調べてみないと……ってさっきからソレばっかりやん。馬って血統が大事って聞くからなあ、親や祖父母の馬がどんなレースに出て勝ったかとか、長距離、短距離、どっちに向いてるかとか、いろいろチェックしどころがあるらしいなあ。フィリップの事なんか心配してる場合やないカモ、俺にとっての最大の恋のライバルは、もしかして、!? 馬と俺とどっちが大事なん?……なんて乙女ちっくな質問してジュリアス様を問い詰めるよーなことになったりせんとエエけどなー。すまぬ、チャーリー、馬のあの愛くるしい純粋な瞳には敵わぬ……許してくれ、私には馬が大事だ……、とかなんとか言われた日にゃ〜……ってアホな事考えるのやめとこ……”
 脱力気味に、チャーリーはハンドルに凭れかかるのだった。
 
 館に帰ってからもジュリアスは、どこか上の空だった。チャーリーも慣れぬ乗馬の疲れがドッと出、二人は夕食の後、早々に私室に籠もったのだった。
 
 そして翌朝、月曜日。目覚まし時計のアラームによって叩き起こされたチャーリーが、筋肉痛に耐えながら身支度を整えて、ダイニングルームに行くと、いつもは既に完璧な姿で、食後のコーヒーを片手に新聞を読んでいるジュリアスの姿がそこになかった。
「あれ? ジュリアス様は?」
「朝食は少し前にお召し上がりになりました。お部屋に戻られたようですけれど……」とチャーリーの為の配膳をしながらメイドが言った。
「ふうん……」
 不審に思いつつも、朝食を食べ終えたチャーリーは、時計を見た。出社時間まで十五分ほど。
「ごちそーさま」
 と言って立ち上がったチャーリーは、ジュリアスの部屋へと向かおうとした。が、丁度、ジュリアスが居間からこちらに向かってくる。ビジネス用のスーツ姿ではなく、ソフトシャツ姿の彼に、チャーリーは「え?」と思う。
「チャーリー、すまないが今日は休みを取らせて貰って良いだろうか?」
 ジュリアスが有給を取るのは、去年の夏にエアカーの免許更新の為に休んで以来、二度目である。まったくの私用で休むのは初めてだ。
「どっか具合でも悪いんですか?」
「いや……。少し気調べたいことがあるのだ。ファームの事を含め、いろいろと。このままでは気になって仕事が手につきそうにもないので。週明けは、そなたのスケジュールを調整する大事な仕事があるのだが、それは一覧にまとめ、先ほどそなたとブレーンスタッフたちのPC宛てにメールを入れておいた。今日は特にどこからのアポも入っていないし、時間的に余裕があると判断したので休ませて欲しい……」
「そんな申し訳そーに言わはらんでも〜。ジュリアス様、有給ぜんぜん使ってはらへんのやし、気にせんと休んで下さい」
 どこか曖昧な口調のジュリアスを、らしくない……と思いながらも、チャーリーはニコッと笑って快諾した。
「そしたら、俺、もうそろそろ出社しますね。昨日の疲れも残ってるやろし、今日はゆっくりして下さいね」
 チャーリーの心使いに、ジュリアスは小さな笑みを見せる。そして、「では、行ってらっしゃいませ、社長」と丁寧に頭を下げた。些かなりともジュリアスの笑顔を見たチャーリーはホッと、して、「いやー、ジュリアス様にそんなされると……執事プレイでもしてる気になって 、よからぬ所が疼くわ〜」と明るく言いながら手を振って出社して行った。
 

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