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 翌日、木曜日。昨夜、ジュリアスとの濃密な夜を過ごし損ねたチャーリーだったが、ジュリアスとの仲を再確認したことで機嫌は上々だった。いつものように、二人して朝食を取り、出社する。エアカーの中では、お抱え運転手の手前、こっそりジュリアスの手に触れたチャーリーに、ジュリアスは例の『必殺 ・俺だけに見せる至上の微笑み』を浮かべ、車が本社ビルの上空に着くまでそのままにしてくれたのだった。
「おっはよー、今日も頑張って働くでー」
 とエアカーを降りたチャーリーは、社員駐車場を管理する警備員に声を掛ける。先代の頃からここで働く最古参の警備員は、「チャーリー様、ご機嫌ですねえー」と笑う。
「うん、今日もエエ天気! うふ」
 ジュリアスは、“うふ、は止めなさい”と目で訴えるが、チャーリーは元気いっぱい、まさに充電完了状態で、社長室へと向かったのだった。
 
 社長室にチャーリーが到着したことは、セキュリティシステムを通じてすぐに隣室のスタッフルームに伝わる仕組みになっている。
「社長、おはようございます。ジュリアス、おはよう」
 とすぐに室長が現れる。
「おはようございます」とジュリアスは一旦立ち止まり軽く頭を下げる。チャーリー付きの筆頭秘書であるジュリアスも所属は、ブレーンスタッフの一員であり、この室長の部下という立場になるのだ。
“礼儀正しいジュリアス様、素敵や〜、室長よかだいぶ年下やけど、どう見てもジュリアス様の方が威厳あるしーーぷぷぷ”
 と笑いつつ、チャーリーは、室長から本日の連絡事項を受け取る。
「ああ、ジュリアス、先ほど、君宛に外線が入っていたんだ。プライベートなので、時間がある時にでも、ここに連絡が欲しいと言っていた」
 室長はメモをジュリアスに手渡す。
「ありがとうございます」
 ジュリアスはそう言って腑に落ちない顔付きながらメモを受け取った。私用で連絡が入るような知り合いは、社外にはまだいないのである。不審の思っているのはチャーリーも同じで、室長が去った後、すかさず「誰ですか?」と尋ねた。
「……シフォン・ファームと書いてある」
「ファームって……もしかして……」
 チャーリーの眉がピクリと動いた。
「心あたりがあるとすれば、聖地杯の時に知り合った……あの」
「フィリップ・フィナンシェ! きっとそうや。名前くらいウチのスタッフたちも知ってるから、あえて告げずにファーム名を言うたんと違いますか? そやとしたら有り難い配慮や。スタッフたちの中には親父の代からの古参もいてるし、ヒヒン軟膏の件で、フィナンシェ製薬にはあんまりええ印象がないし」
「うむ。けれど彼から私が馬を欲しがっていると聞いたファームの担当者が連絡してきたのかも知れない」
「時間がある時に……と言うんやから急ぎではないやろけど、今、連絡してみはったらどうですか?」
「いや……私用であるのだから……」
「昼休みまで待つやなんて、なんや俺の方が気に掛かりますよ。さ、早よ、掛けてください」
 チャーリーにそう言われて、ジュリアスは受話器を取った。呼び出し音の後、相手が出たらしくジュリアスが名を告げる。
「やはり貴方でしたか」とジュリアスがそう言ったことで、相手がフィリップ・フィナンシェと判る。
“む……やっぱりや……”
 思わず耳の大きさが三倍くらいになるチャーリーだが、その時、チャーリー自身のデスク上の通信機も鳴り始め、彼は「はい」と仕方なく受話器を取った。通信相手が大切な取引先とあっては適当にあしらって切ってしまうわけにも行かない。仕事上の打ち合わせの後、「では、また……」と受話器を置いた時、ジュリアスは既にフィリップ・フィナンシェとの通信を終えていた。

「ジュリアス様、フィリップ・フィナンシェは何て言うてきたんですか?」
「春は馬の出産シーズンなのだ。彼の経営するファームでも続々と子馬が生まれ、競りに出す前に、週末にでも下見に来ないかと誘いを受けたのだ。一応、まだ返事はしていないのだが」
「ふうん……競りの前の下見やなんて親切やなあ……、なんかこう……下心のよーな雰囲気ありませんでしたか?」
 口を尖らせているチャーリーにジュリアスは首を振る。
「いや、そんな感じはしなかったと思う。それに私だけでなく、そなたも一緒に……と言っていたぞ」
「俺も?」
「ああ。若い世代の経営者同士でもあるし、これを機にお近づきになれたら……と言っていた」
「うーん、そやけど社交辞令やないですか?」
「いや、ファームには厩務員と乗馬クラブの会員以外は立ち入り禁止の為、通行許可書が必要なのだそうだが、そなたの分も発行してくれたようだ。昨日、こちらに送付したそうで、午後にでも届くだろう……ということだった。来る来ないに関わらず、それがあればいつでも見学できるので、都合の良い時にでも……と」
「へえ……。なんや……親切さんやなあ」
「うむ。その他の事でも配慮の行き届いた対応だった」
「判りました。じゃあ、今週末にでも行きましょうか? そやけど……一応、フィリップ・フィナンシェの事、調べさせます。個人的な事もそうですけど、ヒヒン薬品にとっては最大のライバル会社の経営者やから、良くない噂があるようやったら……」
「うむ。判っている。私もそのような人物なら繋がりは持ちたくない」
「じゃ、今からちょっとザッハトルテのとこ、行ってきます」
「リチャード?」
「ムカツクことに俺よか情報部に顔が利くんです。私用絡みの急ぎの調査はアイツを通した方が早い。それに昨日のマルジョレーヌさんとの事も一応報告しといた方がええやろし」
「そうだな。彼なりにそなたの事は心配していたから」
「うん、そーですね、おおきに〜のひとつも言うときます」

“俺まで誘うんやから、別にジュリアス様に対してモーションかけるつもりやないみたいやなあ。ふーー美人の恋人持つと疑い深かなるわー。主星での同性同士の結婚は多いと言うでも男女のそれに比べたらやっぱり少ないし、同姓にはまったく興味ないタイプかもやし。今度の事は本当に馬繋がりだけの事かも知れへんけど……”
 
 
 ザッハトルテの執務室に着いたチャーリーは、昨夜の事をザッと報告した後、「……それと調べ欲しいことがあるんやけど。まあ、私用で……」と切り出した。
「なんですか?」
「うん、フィリップ・フィナンシェについて。特にプライベートな部分、悪い噂とか……」
 とチャーリーが言い出すと、ザッハトルテはガバッ……と椅子から立ち上がり、チャーリーの手を両手で堅く握りしめた。
「チャーリー、ついに……ついにその気になったんですね」
「な……なんや、いきなし……??」
「この時を待っていました。何時かきっとその時が来るだろうと。機は熟しました。ようやくこの時が。さすが、チャーリー。プライベートな部分もリサーチ対象なわけですねっ」
 ザッハトルテの目が爛々と輝いている。
「一体、なんのことや……?」
「大丈夫。この部屋は盗聴などされていません。しらばっくれなくても。でも一応は小声で……」
「はあ? 小声はエエけど、ホンマに何のこと?」
「フィナンシェ製薬にTOBをしかけるおつもりなんでしょう?」
「TOB……って……ば、買収? フィナンシェ製薬を?」
「ヒヒン軟膏の屈辱、いまこそ晴らす時です。敵対的TOB、大いに結構。今のウォン財閥の力なら勝算は充分あります!」
「ちょ、ちょーっと待ち。違う、違う。買収なんかせぇへん。フィナンシェ製薬は由緒ある製薬会社、研究部門もしっかりしててエエ薬もちゃんと開発してはる。そのノウハウがきちんと維持して行ける部門も管理者もウチにはいてへんのに買収は無謀やろ。ヒヒン軟膏の事やったら、もうええ……とお父ちゃんも言うてたやないか」
「……そうですけど、フィナンシェの名が出たのでてっきり……」
「いつも冷静なくせに、先代絡みとなるとリチャードは熱なるなあ。そやけど、これはまったくプライベートな事や……」
 チャーリーは、主星杯のパドックで、ジュリアスとフィリップ・フィナンシェが出逢ったこと、意気投合し馬の買い付けの話が持ち上がっていること……を話した。
「よさげな人ではあるんやけど、一応はちゃんと調べてから、と思ってな」
「そういうことでしたか……」
「この事はジュリアス様も知ってるから、何か判ったらナイショやのうて、社長室に連絡してくれてもええ」
「判りました。ジュリアスに取り入って我が社の情報を聞きだそうとしているのかも知れませんからね」
 姑息な手など通用しませんよ……とばかりにザッハトルテは銀縁メガネの縁を持ち上げる。
「よろしく頼むでー」
 ザッハトルテの部屋から出た後、社長室に戻る長い回廊を歩きながら、チャーリーは、フィリップ・フィナンシェの姿を思い出していた。金髪、碧眼、貴族然とした上品な佇まいはジュリアスと通じるものがある。加えて、明るい笑顔、爽やかな雰囲気、洗練された物腰は、チラリと一見しただけのチャーリーにも伝わってきた。何よりその家柄は、主星貴族階級のうちでも、カタルヘナ家 同様、大貴族に列せられる古く由緒あるものだった。聖地杯でのパドックの彼の姿は、ジュリアスと並んでいても何ら見劣りする所は無かった。チャーリーはふと立ち止まり大きな窓に映る自分の姿を見た。
“俺かて、ジュリアス様と並んでたら、まあまあな感じやと思うけど……181センチ、65キロ……ジュリアス様よかちょい小ぶりやけど。 パートナー的にはOKや。う〜ん、まあええわ、ナーバスになるのやめとこ。なんちゅーても俺らラブラブなんやから……”
 胸騒ぎを押し隠して、そう自分に言い聞かせるチャーリーだった。
 

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