水曜日、午後五時。ウォン本社ビルに終礼の音楽が流れる。チャーリーは、溜息と共に立ち上がると、社長室の奥に設えてある室へと入った。多忙で館に戻れない時の為に用意されたプライベートルームだが、その広さや設備は、主星の最高級ホテルのスィート並だ。チャーリーはシャワーを浴びた後、クローゼットの扉を開け放ち、ズラリ……と掛けてあるスーツを見渡す。
あくまでも仕事、接待の延長のつもりではあるが、パリブレストでの食事、そしてマルジョレーヌ・アマンド嬢とのエスコート役として相応しいもの……と思うと、どれもパッとしない。置いてあるのはビジネスの場に相応しいもので、当然のことながら
極めて上質ではあるのだが、やや堅苦しい雰囲気が漂うものばかりである。
“どうでもええやん……”
と投げやりではあるのだが、のっけから、「ダサイ男」と思われるのも腹が立つ……と思い、
チャーリーは、一番端のカバーが掛けられたままのスーツ一式を取り出す。春らしい薄いグリーンのシャツと、同色の糸を使って斜めにステッチを入れたネイビーのネクタイ
、
スーツは織りの凝ったベージュ。プライベート用に誂えたもので、館に届けるよう指定してあったのが間違ってこちらに届いたものだった。
“俺の目や髪の色に合わせて作らせて、結構、エエ感じやから、ジュリアス様とのアフター5にいっぺん着てから館に持って帰ろーと思てたんやけど……”
ブツブツと文句を言いながら、適当にネクタイを結ぶ。
「アカン……似合う。爽やかや。男前過ぎる……、このままやったらホンマに好かれてしまうかも知れん」
と思わず自分に酔いしれるチャーリーである。もしそんなことになったら、もちろんあの口その口で言い逃れて丁重にお断りするつもりではある。アマンド公との関係は悪くなるだろうが、義理を立てた上での結果ならば、向こうも大財閥の総帥なのだから、それほど大きなトラブルにはならないだろう……とチャーリーは思う。
その時、ノックがし、ジュリアスが部屋に入ってきた。
「チャーリー、エアカーの用意が出来ている……ほう、よく似合っている」
「おおきに」
いつもならジュリアスに褒められたなら、犬が尻尾を振る如く喜ぶか、妄想モードに突入するチャーリーもさすがに、今日はそんな気分ではないようだった。
「行ってきます。帰りは……上手いこといってマルジョレーヌ嬢をアペリティフで退席させることができたら、8時には館に戻れるカモです」
「本気で怒らせて帰らせようとしているのか?」
「……無茶なことはしませんよ。俺かて場所柄は弁えて行動します。けど、この訛りはそのまんまにして普通に話します。それで下品と言われるのなら仕方ないことでしょ?」
「そうだな……少しネクタイが曲がっている……」
ジュリアスの指が自然にチャーリーの襟元に伸びた。チャーリーは首を小さく上げてジュリアスに直して貰う。そして目を閉じた。
“こっちの部屋はプライベートルームなんやし、もう仕事中と違うんですけど……”
と思いながら。ジュリアスがネクタイの位置をキュッと変えてくれた時、チャーリーは片目だけうっすらと開けた。ジュリアスが苦笑しているのが見える。
「も〜、ジュリアス様の愛想なし! 俺からしたる〜」
チャーリーは、ジュリアスの唇を目がけて躙りよったが軽く交わされて上手くいかず、結局、頬に軽く触れただけだった。それだけでも彼には充分なエネルギー源になる。
「さあ、早く行かないと待ち合わせに遅れてしまうぞ。……それと、チャーリー……もしマルジョレーヌ嬢が良い人だったら私に遠慮などせずにデートを楽しみ、その先の事も考えてみるのも良いだろう。アマンド公のあの人柄さえなければ、これ以上はないほどの縁組みなのだから……」
ジュリアスは、チャーリーの背中を押しながら、そう言った。くるり……とジュリアスの方を向き直ったチャーリーは真顔である。
「フフン、この場合のジュリアス様の忠告なんか、クソ食らえですわ! そんな事言うて、今頃、チャーリーはどうしているのだろう……と悶々としはっても知りませんからねっ」
「そうだな。そなたの事が気に掛からぬよう、館には仕事を持ち帰ることにしよう」
とジュリアスは言ったが、今は翻訳部の助っ人の仕事も落ち着いている。他に急ぎのものもなく持ち帰る仕事が無いことはチャーリーが一番よく知っている。
「へへん、そんな仕事なんかありませんよー」
「いや。メールの返事を沢山書かねばならぬ」
「メール? 何の返事です?」
「……様々な部署からの……招待の返事だ」
「招待?」
「よく判らぬのだが、妻帯者ではない者が、皆で集まって親交を深める類のものらしいのだ。主星での生活に馴染むためにも参加した方が良いのかも知れぬが、あまり賑やかな、若者たちが集う場所での宴はまだ苦手なのだが」
「……それってもしかして、合コン……」
チャーリーはブンブンと頭を振る。
「宴と違います。合コンと言ってステディな仲になる相手を求めて集まる飲み会ですよッ。おのれ〜各部署のヤツらめ、
自分らがブサイクやと思って、ジュリアス様を目玉商品にしてコンパする気に違いないでっ! なんちゅー恐れ多いことを!」
「それでは、それは社内の公式親睦会のようなものではないのだな?」
「違います。福利厚生費として予算の出るようなちゃんとした会じゃありません。まったくの個人的な集まりですっ。恋人のいてる……コホッ、つまり俺の事やけど、ジュリアス様には関係の無いものですっ。ったく、社内の連中も油断も隙もないわ、ジュリアス様ほどの男やで
。結婚してへんかってもフリーなワケないやん。ちゃあんとメッチャエエ人、つまり俺の事やけど、いてるのに決まってるやないですか!」
「わかった、わかった。私には、そなたがいる。今のところ、そのような会に参加する意思は無いとキッパリと返事しよう。さあ、早く行かなくては」
“私にはそなたがいる、そなたがいる、そなた、そなた、そなた〜”
ジュリアスは、慌ててスイッチが入りかけているチャーリーの背中を押し正気に戻す。
「あ〜せっかくエエとこやったのに、OFFにされてもうた〜。しゃーないなあ、じゃ、チャーリー、あくまでも接待に行ってきます!」
チャーリーは、そう言うとジュリアスに敬礼し、ガシガシと去って行った。
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