パリプレストは、星都宇宙港に隣接する複合施設内にあるホテル・デ・カタルヘナの最上階にある。約束の時間の十分前……。

「いっそ遅刻して呆れられてしまいたいけど、マナーも知らんと思われるのも心外やしな。ここはひとつ、出会い頭だけはキッチリと……」
 チャーリーは、パリブレストの重厚な扉に近づく。二人のドアマンがにこやかに出迎えてくれる。
「ウォンですが……」
 とチャーリーがそう言うと、既に話が通っているらしく、「チャーリー・ウォン様、いらっしゃいませ」とドアマンが深くお辞儀をする。案内された席は、店の奥深く、完全な個室ではないものの他の客たちからは見えないように設えてあり、眼下に主星星都の夜景が拡がっている。
“エエ感じやなぁ……これで相手がジュリアス様やったらどんなに楽しかったやろ……”
 自然と溜息がひとつ。とその時、ウェイターと共についにマルジョレーヌ・アマンドが現れた。その顔を、ろくに見ないまま、チャーリーは立ち上がる。そして、「この度はアマンド公爵様のお計らいでこの様な席に私のようなものがお招き戴くことになり光栄でございます」と早口で一気にそう言うと 、また一段深く頭を下げた。
「いいえ、わたくしどもの方こそ、ご無理を申し上げました」
 柔らかな声、けれどもはきはきした言い様が心地よい。何より低姿勢なのが好印象だ。チャーリーは、“なんや……調子狂うわ……”と思いつつ、顔を挙げ、マルジョレーヌ嬢を見た。
“わ……び、美人。しかも正統派やのうて、知的キュート系や……、結構、いや、かなり好みのタイプ……”
 スッキリとしたショートヘアに、マニッシュなスーツ姿のマルジョレーヌ嬢は、大貴族の深窓の令嬢というよりも、ニュースキャスターや女性カメラマンのような雰囲気だった。チャーリーと共に席に着いた姿は、ビジネスマン同士が情報交換の為に一席設けた……という感じである。
「本当に良いお店ですね。感じがいいわ。堅苦しい所が感じられないのに、とても上質で」
 控えめに回りを見ては微笑む。彼女が言ったその言葉は、彼女自身にも当てはまるよう……とチャーリーは思う。アペリティフでソッコー退席〜のチャーリーの目論みはもはや挫折しつつあった。
「マルジョレーヌさん、主星にはご旅行で……と伺いましたが?」
 チャーリーは、言葉使いはそのままに、やや訛りを入れて話しかける。
「ええ……友人と。途中で私だけが両親と合流するはずでしたの。父は一緒に主星杯を見ようと誘ってくれたんですけれど日時の都合がつかなくて。でも行かなくて本当に良かったわ。あのような結果になって父ったらそれはもう……」
 マルジョレーヌ嬢は手を口に当ててクックッと笑いながら、話を続ける。
「動物の絡んだ勝負事ですもの、絶対なんて有り得ません。それなのに父ったら、勝つものと決め込んで優勝記念品まで作らせてたんですの。少し良いお薬になったわね」

“なんやなんや……話のよう判ったお嬢さんやないか……。あのアマンド公の娘とは思えへん……”
 と思いつつ、チャーリーは曖昧に微笑む。
「それと……今回の事について、父が随分、ご無礼を申し上げましたでしょう?」
 マルジョレーヌ嬢は、声のトーンを落として言った。チャーリーが「え?」と小さく呟いた後、無言だったので彼女がまた話し始める。
「今回の事は……母が良いエスコート役がいるから……と言い出したようなんです。そしたら父も乗り気になって」
「それが俺……いや私だったわけですね」
「ええ。わたくしもウォンさんの御名前は存知上げておりましたけれど、面識もないのに、いきなり失礼ではないかと父に言いました所、もう既にメールで申しつけたから行きなさい、と。“申しつけた”だなんてどういう事かと尋ねましたら……」
 そこで言い淀んだマルジョレーヌ嬢をフォローするようにチャーリーは笑った。
「ウォン財閥の総帥と言ってもただの成り上がりだ、当家から見れば格下、いや、比べようもない。とでも?」
 マルジョレーヌ嬢は、一瞬、目を見開き、溜息と共に肩を落とした。
「その通りですわ。本当に父のあの性格は……許せませんわね。そこまでそっくりに仰るなんて今までも随分、無礼な態度だったのでしょうね。わたくし、実は、食事の事よりも、お詫び申し上げるつもりでここに参りました。」
 マルジョレーヌ嬢は心から父であるアマンド公の態度を恥じている様子だった。そして、チャーリーはここで勝負に出た。
「ええ、そりゃもう。父親の時代から逢う度に。たまにお褒め戴くと、庶民パワーは凄いものだな、とか、ハングリー精神の賜だな、とか。ま、ホンマの事ですからこっちも黙って聞いてるしか仕方ないわけですわー」
 テレビのバラエティ番組でしか聞いたことのない強い訛りが、一応はスマートな青年実業家チャーリー・ウォンの口から発せられる。マルジョレーヌ嬢は目をパチパチと瞬きさせたまま固まった。
「この喋り方は、ウォン家代々のモンですわ。なんせホンマに田舎モンですからね。親父なんか主星標準の発音はほとんど出来ませんでしたから。アマンド公から、下品、成り上がりと言われても仕方なかったんですよ。 私はまだ誤魔化せますけどね。ですのでもうお気になさらないでください。怒ってなどいません。本当に貴女のエスコート役が務まるような身分ではないんです。今夜はお逢いできただけで光栄でした」
“あ〜スッキリした。このお嬢さんはエエ人みたいやけど。ま、これで、退席しはるやろ……よいしょっと……”
 チャーリーは、マルジョレーヌ嬢が先に立ち上がるのを待ちつつ、自分も少し椅子を引いたが……。
「よかった……そんな風に仰ってくださって。もうバカな父親のことは忘れて、食事を楽しめますわ。怒ってらっしゃらないのなら、このまま食事をして頂けるととても嬉しいわ 。本当にここでの食事は楽しみでしたの」
 彼女がそう言った時、絶妙のタイミングで食前酒が運ばれてきた。滅多に口にすることは適わないレアな酒であることが、そのラベルからチャーリーにも判る。
“げっ……こっこれは、ジュリアス様にプレゼントしたくて探し回ったけど主星では手に入れへんかった幻のワイン、ミドリーノカティス……しかも19256年モノ!  俺かてよう手の出さんプラチナラベルや……これ一本で地方に家が建つでっ!”

「父が先走って、聖地杯の祝杯に相応しいからと手配していたものです。ご遠慮無くガブガブお飲みになって。どうせお会計は父持ちですわ」
 くくく……と笑ったマルジョレーヌ嬢は、とてもチャーミングだった。
「乾杯しましょう」
 とグラスを持ち上げられては、チャーリーも、従う他なかった。浮かしかけた腰を落として座り直す。
「チャーリーさんに」
 そう言ってマルジョレーヌ嬢は微笑む。
「マ、マルジョレーヌさんに……乾杯」
 チャーリーは、アペリティフ退席作戦を観念し、滅多に口にすることが出来ないレアワインに口をつけた……。
 

 アペリティフからメインディッシュ、そしてラストにデザートが運ばれて来る間に、マルジョレーヌとチャーリーはすっかりうち解けあっていた。 その一人称も、『わたくし』と言っていたマルジョレーヌは『私』、『私』と言っていたチャーリーは『俺』に、タメ口とまではいかないが、二人の口調は同世代の知人同士のそれに変わっていた。

 会話の中で得たマルジョレーヌの情報を整理すると、彼女は末娘として生まれた為、兄姉に比べて比較的自由に進路を選択することが出来たらしい。成績も優秀であったので、カラメリゼの良家の子女が通うスクールではなく、実力本位の学校へと進学し、大学院生となり現在に至る。彼女の専門とする形而上学観点から探求するカラメリゼとその近隣星系の古代文化と哲学思想……が、いかなるものかは、いま三つくらい理解できないチャーリーだったが、彼女が研究職に就く非常に聡明な人であるということと、カラメリゼの社交界には興味がないということははっきりと判った。マルジョレーヌの方も、チャーリーが、下品な成り上がり者でも、好かした青年実業家でもなく、とても楽しい人物であり、尚かつ、その言葉使いとは かけ離れた知性と教養の持ち主であることに好意を抱いていた。
 
「……というわけですねん。あっはっはっはーー」
「いやだわー、もう。大袈裟に言ってるだけでしょう?」
「嘘違いますて。ホンマ、ホンマ。ナッツ代表議長、あんなお堅い雰囲気やけど、かなりのお茶目さん」
 二人は偶然、共通の知り合いである人物の、ここだけの話……に盛り上がる。
「ナッツ議長と言えば、ウチの父も普段は厳めしい顔してるけど、相当おマヌケよ。今回、主星杯に行く前の激励会で、クラヴィスアマンドと一緒の写真を撮ることになったの。調子に乗って騎乗している姿を撮ろうとして……くっくっく」
「どうなったんです?」
「振り落とされたのよ。あの馬、気むずかしいから。で、飼い葉の上に落ちたから怪我は無かったけど、落ちたところに……」
 マルジョレーヌ嬢は小声になり「アレが……」と言った。チャーリーも合わせて言う。
「アレ……ってアレ? 食事の席では言うてはならんアレ?」
 と言いつつ、右手はこんもりとアレの様を表し、左手は鼻をつまんでいる。
「そう、アレ。私、思わずケータイで写真撮ってやったわ」
「ええっ、み、見たいなあっ」
「じゃ、ちょっとだけ……えーっと、これよ」
 マルジョレーヌは、バッグから携帯電話を取り出し、素早く件の写真を表示する。
「ぷ……ぷぷぷ。いや……し、失礼。笑ろうてしもた……くくく」
「威厳を取り繕おうとしている所がまた笑えるでしょう〜、あはははは」
「た、たまらん……」
「今度、父が貴方に無礼な事を言ったら、この写真、流出してやるわ」
「いや、それはあんまり可哀想や。もう何を言われても俺、平気。それよか、アマンド公のお顔見る度に、この写真思い出して笑ろてまうわー、どうしよー」
 二人は涙目になって笑い合う。ひとしきり笑い合った後、二人は、はあはあと息を整えながら、お茶に口を付ける。
「あれ……これ変わった味……美味しい」
 チャーリーはすっきりとした甘みのあるお茶を見つめて呟いた。
「これも父が食事の最後にお願いして用意させていたものなの。カラメリゼのお茶です。お口に合って良かったわ 。あ、でも初めてお飲みになるのなら少し控えめになさって。後で眠くなるかも知れません」
「ん〜リラックス効果があるハーブティーなんですねえ〜、さっきのワインといい、食事のチョイスといい、アマンダ公はホントに美食家や」
 そこのところは感心してチャーリーは言った。
「そりゃああれだけエンゲル係数が高ければ」
 また朗らかに笑った後、マルジョレーヌは、ちょっと肩を竦めてからこう話し出した。
「父の事、馬鹿にしているけれど、尊敬できる所もあるのよ。カラメリゼや隣星などで大きな災害があった時、他の富裕層に先駆けて支援を送るのが父よ。言い方はどうかと思うのだけれど、こう言うの。庶民にできぬ事ができるから貴族なのだ。誇りを持ち、責務を担う事が出来るから貴族と言うのだ……って……」
「…………」
 チャーリーは黙って彼女を話を聞いていた。さらにマルジョレーヌは話を続ける。
「実は、貴方の事も父は褒めていたことがあるの」
「俺を?」
「ええ。何だか原因は知らないけれど、少し前に兄が父にお説教されていたことがあったの。その時、チャーリー・ウォンは、あの若さで総帥になり、事業を傾かせもせずにやっている。商才があったというだけでなく、人望もあるということだろう。でないと誰があんな若造に付いていくのだ? お前も見習いなさい、って。言い方は、父らしく、目線が高くて失礼だけれど」
「へえ……そんな風に……」
 何か照れくさい気がして、チャーリーは視線をマルジョレーヌから外す。そんなチャーリーに、「それ……で……もうお食事も終わりだし……」と今までの口調とは違って、歯切れ悪く彼女が言った。
「今日、両親が私と貴方を引き合わせたこと……どうお考えになって?」
「どう……って、それは……その……」
「やっぱりそういう魂胆だとお思いになる?」
 チャーリーは素直に頷いた。
「でも貴方ほどの人だもの、恋人がいらっしゃるでしょう?」
 “うわ、これまた直球やな〜”と思いながらチャーリーは頷いた。そして、「もちろん、貴女ほどの人やし、いてはるでしょ? 恋人」と切り返した。
 マルジョレーヌは、小さく笑って「ええ……」と曖昧に答えた。
「チャーリーさんの恋人ならきっと素敵な人ね? お写真持ってらっしゃる?」
「それは……ええ、もうかなり、写真は……持ってませんよぉー」
 照れながら答えたチャーリーは、上着の内ポケットに手を伸ばしかけて“やっぱり、内緒……”と思い留まった。 携帯電話のデータフォルダーの中に一枚だけジュリアスのものが入っている。いつも一緒にいたい……とは思うが、やはりチャーリーは男であり、こまめに妄想はするものの、事ある事に記念に写真を撮りたい……という思考はない。たまたま少し前、その時のジュリアスがあまりにも素敵だったので思わずシャッターを切ってしまったものだ。次の瞬間、シャッター音に気づいたジュリアスがこちらを向いて不審な顔をしたが、“夕陽が……ほら、あまり綺麗で思わず……”と誤魔化したものだった。
“別に隠すことも無かったんやけど……”
とチャーリーはその時の事を思い出す。その画像を見る度に、チャーリーは、ああ素敵や〜と心底そう思うと同時に、妙に寂しい気持ちになる。
ジュリアスの横顔に夕陽が当たっている。ただそれだけの写真なのだが、光の守護聖であった頃のジュリアスそのままの神々しさで写っている。すぐ側にいるのに手の届かない存在に思えて……。

 一瞬、妙な間が空いてしまったのを誤魔化すように、チャーリーは「そしたら……今回のことは……」と話しを繋いだ。
「両親の思惑通りにはさせないわ。私はまだ研究がしたいし、チャーリーさんには恋人がいらっしゃる……今後のことはともかく、今は結婚の意思など無いと、私から両親には、あくまでも、言い付け通りにお食事をしただけときっぱり伝えます」
「俺の方からも、御礼メールを入れておきます」
「でもチャーリーさんと出逢えたことは感謝しなければ。これからもこのご縁は大切にしていてもいいかしら?」
「それはもちろんです。ホントに今夜は楽しかったです」
 二人は同時に手をさしだして、微笑みながら握手した。
 ……こうして、マルジョレーヌとの食事は、チャーリーが懸念していたようなことはなく、実にあっさりと、尚かつ楽しいひとときとして終わったのだった。

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