『各馬がパドック入りですーーー』
 とアナウンスが入る。ゼッケン一番の馬が、厩務員に牽かれてしずしずと登場した。観客の歓声にも動じず落ち着いた様子である。
「おお……」
 久しぶりに間近で馬を見たジュリアスは思わず声をあげた。
「さすがに立派な馬だ。……ヒヒンジュリアスは……?」
 次ぎに馬道から出てくる馬を確かめつつジュリアスは言った。
「えーと……、タハハ〜、馬主やのに枠順も知らんって、ホンマ、名ばかりのオーナーや……」
 と脱力気味に答えたチャーリーの近くで、「ヒヒンジュリアスは、最後の枠ですからまだまだですよ、オーナー」と声がした。ヒヒンジュリアスの調教師や装蹄師などスタッフが次々と挨拶に現れたのだ。彼らとの面識はほとんど無いチャーリーだが、そこは手慣れた様子で笑顔と労いの言葉を掛ける。
「よく仕上がりました。今日の出来なら期待できる走りになると思います」
 調教師がそう言って微笑んだことに気を良くしたチャーリーが、2、3質問をしようと口を開きかけた時、「誰かと思えばーーー」と背後から一際大きな声がした。 チャーリーとジュリアスが振り返ると、大袈裟なシルクハットにタキシード姿の恰幅の良い初老の紳士と若い頃の美貌が推測されるようなその夫人らしき女性が近づいてくる。 
「やあやあやあ、これはこれは、ウォン財閥の若き総帥殿ではありませんかな」
 わざとらしく両手を広げ、旧知の友を出迎えるかのような仕草で紳士は言う。 
「アマンド公爵夫妻。惑星カラメリゼの王位継承権も持ってる大金持ちですわ。親父の代からの知り合いです」
 チャーリーは、素早くジュリアスに耳打ちすると、作り笑顔で紳士と夫人に近づいていく。
「アマンド公、お久しぶりです〜。お元気そうで何よりです。マダムもいつ見てもお美しい」
 すかさずその手を取り、口づけをするチャーリー。
「ほほほ、お上手だこと。チャーリー、あなた一段と立派になられたわね。 “なかなかハンサムに育ったわね。末娘の婿候補としてどうかしら? 財産はともかく、家柄が釣り合わないけども、どうしてもと言うなら考えてあげてもいいわね”
「そうだな。前にもまして随分、手広く商売をやっているようじゃあないか。パーティの招待状を送ってもいつも欠席ばかりで “若造が調子に乗りよって。我が招待を蹴るとは何様のつもりだ”
「貧乏暇なしなんですよ。今度はぜひ行かせて頂きますよ “しょーもないパーティの為にカラメリゼまで行けるかいな〜何日かかると思てんねん〜”
「貧乏だと? 君の辞書にその言葉は無いだろう」
「それはお互い様でしょう」
「あっはっは」
「おっほっほ」
 ……普段とは別人のような訛りのない標準語で、卒なくアマンド公爵をあしらうチャーリーである。
“どうですぅ、ジュリアス様、俺かてやったらこれくらいのスマートな社交術のスキルくらいありまっせえ〜”
と後で見ているはずのジュリアスに心の中で語りかけるチャーリーである。と、その時、アマンド公爵夫人が、チャーリーから数歩下がった所にいるジュリアスに気づいた。
「あら、こちらの素敵な方はどなた? お友達?」
 と言うやもう既に夫人はジュリアスに近づいている。
「秘書の……サマーと申します」
 ジュリアスは、一礼して、さりげなくスッと身を退いた。手への口づけが許されるほど同等の身分ではありません……という意味合いを込めて。すると、夫人の方もあっさりと 、“あら、ただの秘書なのね” という表情をして、小さく笑顔を返した後、チャーリーの方に向き直った。
“くそー、控えおろう〜オバハン。ジュリアス様が何者やったか知ったら、そんな態度は取られへんばすやのに〜”
 チャーリーは、笑顔はそのままで、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
「あ、そうそう。君の所の馬も出ているのだったね」
「貴方のお馬さん、確かヒッヒィン〜ジュッリアスでしたかしらね」
「ええ……」
“ウチの馬を知ってるとは、なかなか通やな。そやけど、変なとこにアクセント置かんといてぇな〜”
 チャーリーは、背後のジュリアスを気にしつつ答え、咄嗟に考える。
“カラメリゼくんだりからアマンド公がわざわざ主星に来てるということは、このおっさんの馬も出てるということか? 待てよ……とすると他星からの招待馬……ということになるな。とすれば、かなりの人気馬のはず……えーい、ハッタリかましたれ〜”

「アマンド公のお馬、さすがの人気ですね……」
 チャーリーがそう言うと、アマンド公の相好がたちまち崩れた。
「いやいやいやいやいや〜、なんのなんの〜」
「おーっほっほっほ」
 夫妻は同時に笑う。異常なほどの上機嫌である。
“うわ、ハッタリがドンピシャやったみたいや。なんていう馬やろな……”
 とチャーリーが思った瞬間、ギャラリーのざわめきが大きくなった。そして、公爵が目がキューーーッと細くなり、「おお! 我が馬の登場だ」と叫んだ。その視線の先に一頭の青毛……艶々と美しい黒 い馬がいる。殆どの馬は、茶褐色でこのような黒馬は珍しい。
「見事な黒さだろう。普通、どこかに褐色の部分があるのだが、あれにはない。その美しさだけでも価値があるのだよ」
「しかも大型馬なのに速いときてますでしょ、血統も申し分ございませんのよ。ほほほ、三億聖地ドルは安い買い物でしたわねえ、あなた」
 その値段は、ごく一般の競走馬の落札価格、例えばヒヒンジュリアスの購入額の五倍である。その黒馬を牽いていた厩務員は、馬主であるアマンド夫妻がいるのを見つけ、サービスするように殊更ゆっくりと歩いてきた。
“自慢タラタラやな〜。そやけど、馬のことはようわからん俺でもこの馬が見事な馬やなあ……ということは判る気がする……ええっと、名前は……”
 とチャーリーが、馬体に掛けられたゼッケンを見ようとした時、夫人の年甲斐もない甲高い声がした。
「クラヴィスアマンド〜頑張ってねぇー」
「クラヴィスアマンド……」
 チャーリーはジュリアスをチラリと見てから呟く。ジュリアスの方も何ともリアクションに困ったような顔をしている。
「知っているとは思うが、クラヴィスアマンドは我が星では敵なし。無敗の五冠馬なのだよ。今の所、十七戦十七勝なのだ。このレースには、招待馬として特別に招かれたのだが、並みいる主星馬を押しのけて第一本命だよ。君の馬は、ヒヒンジュリアスだったか……確か批評家によると、万が一、まぐれでトップ集団と競り合うようなことがあれば、その勝ち気な性格で思わぬ力を発揮するかも知れないと書かれていたねえ」

“万が一、万が一、まんがぁぁぁいちぃぃぃーーー”
 カッチーーーーンとチャーリーの中で音が鳴った。何か皮肉のひとつも言い返そうとした所にまた夫人が叫ぶ。
「あ、出てきましてよ、ヒッヒンジュッリアスが。綺麗な白い馬じゃありませんこと」
「美しい部類には入るが、あれでは白馬とは言えんな。ま、芦毛だな」
「そうねえ。まあ白馬ほどの白さはないわね。でも、まあまあ立派だわ」
「うむ、人気投票の最後の方で選ばれたにしては、引き締まった体をしている。かなり気合いを入れて仕上げてきたのだな」
「けれど、クラヴィスアマンドとは比べようもありませんわね、あなた」
「そうだな、トモの張りはクラヴィスに適うまい。まあうちのに比べると大抵の馬は格下だからな」
 夫妻は馬に詳しいらしく念入りに馬体の状態を見ている。
“格下、格下、かくぅぅぅぅぅぅしたぁぁぁぁーーー”
 ムカムカしながらチャーリーはジュリアスに「ジュリアス様、トモの張りって何のことが知ってはります?」と小声で尋ねた。
「腰のあたりから後足にかけての部分のことだ。地を蹴る原動力となるので、ここがよく鍛えられ発達していることが大事なのだ」
「ウチのと、あのクラヴィスアマンド、そんなに違いますか? 俺にはワカラン」
「そう……だな。確かにあのクラヴィスの体は素晴らしい。尻から足にかけての引き締まった様は……ああ……思わず触れたいほどだ。……名前は些か気に食わぬが」
 ジュリアスの視線は、クラヴィスアマンドから離れない。
「クラヴィス(様)……やのうてクラヴィスア・マ・ン・ドッ。馬の事やと判っててもそんなにウットリとした目で、クラヴィスのカラダ……と言われたら、ものすごーなんかジェラシー感じますやん」
 チャーリーが、口を尖らせていると、そのクラヴィスアマンドとヒヒンジュリアスの間を歩いていた馬が、むずかりだした。ふいに立ち止まり、その場で足踏みをする。後を歩いていたヒヒンジュリアスは、それに釣られもせずに落ち着いた様子で追い越して、クラヴィスアマンドのすぐ後を歩くことになった。クラヴィスアマンドが、あまりにも悠々とゆっくり歩きすぎているので、彼の尻尾が当たろうかという位置にヒヒンジュリアスの顔がある。その時、クラヴィスアマンドが、尻尾を二、三度振ったため、ヒヒンジュリアスの鼻面を軽く叩いたような形となった。ヒヒンジュリアスは怒りを露わにし「ヒヒヒンー!」と嘶いた。
まるで、そなた、もう少し速く歩けぬのか? と言うてるようですねえ」
 とチャーリーも不快そうな顔をして言う。すると今度はクラヴィスアマンドが、後から急かされたことを気にした様子で「ヒヒヒブヒンッ」と啼いた。
「ほぉぉ、こっちは、フッ……あまり急かすな。お前のように私はできていないので、な。と言うてるようですよー。馬も会話してるみたいやなー」
 と感心するチャーリー。
「解説はありがたいが、何故、口調が私とクラヴィスなのだ?」
「いやあ……つい……色合いかてなんとなく似てるし。あれ? あの二頭、並んで歩き出しましたよ、実は案外、仲良しサンなんやろか……」
「いや……違うようだ……」
 ジュリアスにそう言われてチャーリーがよく見ると、二頭は互いの体をぶつからんばかりに寄せ合って、けん制しあっているようだ。
どけ。もっとあっちに行くがいい。 何? そなたこそ邪魔だ。みたいな感じや……」
 まだジュリアスとクラヴィス@リアルのような口調でチャーリーは言う。

「おやおや、ヒヒンジュリアスは、気が荒いようですなあ。しかしウチのクールなクラヴィスアマンドをけしかけるとは身の程知らずな……」
 とアマンド公が言う。
“身の程知らず、身の程知らず、みぃぃのぉぉほどぉぉぉしらずぅぅぅーーー”
 チャーリーは、自分のこめかみがブチッと裂かれた気がした。
“もう我慢ならん、いてもうたろか〜おっさん。カラメリゼの王族がなんぼのモンじゃああ〜”
だが、今、彼の心の中には、天秤が描き出されていて、そこには『ウォン財閥総帥としての立場』と、『俺のプライド』がゆらゆらと揺れながら乗せられている。
“クソじじぃめ、何か強烈な皮肉をお見舞いするのは俺の口先を持ってすれば容易いことやが、惑星カラメリゼの経済界に君臨し、ウチとも取引関係にあるアマンド公爵をぶちかますのはマズイ……我慢や、チャーリー、耐えるんや、チャーリー”
 天秤の上で、ウォン財閥総帥の立場がグン……と沈み込む。
「ふ……ふふふ、そーーーーーーーーおですねぇぇぇぇぇぇ」
 と目の据わった笑顔でチャーリーは言った後、「それではそろそろ個別ブースの方に移りますので失礼」と握り拳を後ろに隠して挨拶をした。
「では、また。後でお茶でも……と思ったが、私たちは表彰式や記者会見があるだろうから時間が取れんなあ。残念だがまた。近いうち優勝パーティでも開くから来てくれたまえよ」
 ダメ押しのようにそう言ったアマンド公爵に、チャーリーは、もう一度作り笑顔を見せてから、踵を返した。
「あーー、ムカツク〜、ねぇ、ジュリアス様」
 周囲の人混みの手前、チャーリーは、傍らにいるはずのジュリアスの名を呼んだのだが、返事はない。あれ? と思いつつ周囲を見渡すと、やや離れた所でジュリアスが、見知らぬ紳士と並んでいるのが見えた。チャーリーは人混みに押されてしまい、二人の所にはすぐに行けない。
「む……。誰やろ……むむ、男前や……どっかで見たような顔やけど……」
 また心の中で、『危険や……』が大合唱しそうな予感に震えるチャーリー・ウォンであった。 
 

■NEXT■


聖地の森の11月  陽だまり ジュリ★チャリTOP