ここはウォン財閥中枢、主星にある本社ビル。天にも届くような高さのそのビルの最上階に、チャーリー・ウォンの社長室がある。ウォングループトップの地位にあるのだから会長室というほうが正しいのだが、先代の「しゃちょー、と呼ばれた方がなんかエエ感じや」のツルの一声から、チャーリーの代になってもそのままになってしまっていた。庶民臭さの残った先代ウォンとは違って、チャーリー自身は、 あえて貧乏を体験させられた一期間を除いては、基本的に財閥御曹司のぼんぼん育ち。周囲の期待通りに、主星大学経済学部卒のインテリジェンスと気品溢れる青年実業家に成長したのである……一応は。実際、対外交・お仕事モード時は、そのように振る舞うことも容易いチャーリーではあったが、気の抜けた時は……今日も今日とて……。

「あのぅ〜、ジュリアス様、お仕事中、申し訳ないですがーーー」
とチャーリーが、傍らのデスクで報告書を作成しているジュリアスに声をかける。これでは、どちらが上司か秘書か判らないではないか……とジュリアスは思うが、今はあえてその事は口にせず「はい、なんでしょう?」と 、チャーリーに敬語を使うことで彼に注意を促した。チャーリーは一瞬、「うっ、嫌みや……」と小声で言った後、「えーーっとですね、ちょっとお断りしたいことが……ウォン&ヒヒン薬品のことで ですね……」
 と歯切れ悪くモジモジと話を切り出した。

 ウォン&ヒヒン薬品は、言わずと知れたヒヒン軟膏の製造会社である。ウォングループ最古の子会社であり、先々代がここから財を成したことは、ウォン財閥社史の一ページ目にも太字ゴシック体でしっかりと記されている。ヒヒン軟膏は、未だ昔と変わらぬ製法で製造し続け、関係筋に愛されているベストセラー商品ではあるが、それだけでは、ウォン&ヒヒン薬品は大きくなりようもなく、赤字経営スレスレの所で小規模で地味に運営され続けている。ちなみにこの会社は独立採算制を取っており、筆頭株主及び社長は 、代々ウォン家長子が勤めることになっている。

「何かトラブルでもあったのか?」
 言いにくそうにしているチャーリーに、ジュリアスは敬語を使わずに問うた。
「いいえ、トラブルやのうて、むしろ目出度いことなんですけども」
「それならば何を言い淀んでいるのだ?」
「はあ……。えーっと、ヒヒン軟膏は昔と同じ製法、成分とはいえ、その配合とかは、主成分の薬草の育ち具合などによって多少は変化してます。で基本ベースの軟膏の他に、馬の体格や出身地に合わせて特注で作ることもあるし、よりアロマテラピー成分を高めた新製品なんかもコツコツと発売はしてるわけです」
 何を今更、説明を? 思いつつもジュリアスは、黙ってチャーリーの話を聞く。
「で、研究用に小さい牧場があって何頭か馬を飼育してます。でまあ、先代の頃、ええ馬が生まれて、いっぺん競走馬にしてみよかということになって調教師に預けて。 小さいレースで一勝しかしませんでしたけど 、主星中央競馬会に進出を果たしたわけです。それ以来、ウォン&ヒヒン薬品では、ちゃんとしたソコソコの競馬馬を買い付けて馬主になってきました。最初の馬がヒヒングレート 。PRの為もあって、頭にヒヒン……と付けることにしたんです。その次が、ヒヒンパレード、ヒヒンランナー、ヒヒンヴィクトリー……このあたりのものごっつうセンスの悪いベタ な名は親父の命名ですぅ」
 チャーリーは、嫌そうな顔をして言った。ジュリアスは、そういえば分厚いウォングループの社史本の中にそのような記述があった……と朧気に思い出す。
「それでですね……。今までウチの馬たちはどれも泣かず飛ばすの成績やったんですけど、今、競馬界に送っている馬のうち、結構早いのがいてポツポツと勝ちを重ねて、なんと今度の主星杯に出ることになったんですよ……」
 チャーリーは、何故か浮かぬ顔のままそう言った。だか、ジュリアスは「ほう……」と感嘆の声をあげ、話の続きを楽しみにして笑顔を見せる。乗馬を趣味としてはいるが、競馬への興味はほとんどない ジュリアスだが、主星に競馬界があることや、その仕組み程度はなんとなく知っている。ニュース番組で何度か重賞レースを見た程度の知識だが。
「主星杯は、春と秋に一度づつあって、専門審査会と一般投票で出馬が決定するんです。特に春のレースは、他の惑星の馬も招待されるから事実上、宇宙一の馬を決定するような大きな賞です」
 それならばもっと喜んでも良さそうなものなのに、チャーリーのテンションは低くなる一方である。
「人気と実力を兼ね備えねばならぬのだな。それは名誉なことではないか。ぜひ応援せねば!」
「もしウチの馬が勝ったら、馬主として俺が表彰台に上がることになってます。でもまあそれは有り得へんと思います。なんせギリギリで選ばれたらしいし、出場馬の中では 、実は血統もあんまり良うないし…… 」
 チャーリーが、いまひとつ喜んでいなかったのは、ウォン&ヒヒン製薬の所有馬が本命になりうるだけの力が無かったからか……とジュリアスは思う。 
「そやけど、レースには各界の名士も大勢参加しはるから、社のPRにはなりますねえ。あ、もちろん代理人に行かせることもできるんですけども……」
「ああ……スケジュールの空きのことなら……競馬の大きなレースは確か日の曜日や祝日に開催されるのだろう? それならば休日が潰れるだけで何の問題もない 。参加できるだけでも意義のある大きなレースなのだから応援に行けば良い」
「ええ、そうなんですけどもね。あの、あのね、ジュリアス様」
 チャーリーが上目使いになっている。
「まだ何か問題があるのか?」
 チャーリーは観念したかのように天井を見上げた後、ジュリアスに視線を戻す。

「えーっと、その馬ですけども……名前が」
「確かヒヒン……と最初につけるのが習わしとなっているのだな?」
「はい〜。ヒヒン……」
「ヒヒン? 何という名前だ?」
ジュリアス……
 消え入りそうな声で、そう言うとチャーリーは、床に視線を落とす。
「ヒヒン……ジュリアス?」
「ヒヒンジュリアス……です。わーー、ゴメンナサイです、堪忍したってやーですぅ」
 手を合わせて詫びるチャーリー。
「…………」
「いやあ、俺、まさかジュリアス様とこんな関係になるとは知らず、その馬を買うことになった時、協力者として聖地に上がった直後で、スマートな白系の馬やったからついジュリアス様の名前を……。もうそれで登録させてしもてるから今更、改名もでけへんのですー」
「いや……重賞レースに出られるほどの馬なのだ。私の名が付けられているのは名誉なことだ」
「そやけど、頭のヒヒンが……ヒヒンがものすごーーーダサイ……」
「何を言う。ヒヒン軟膏は他に類を見ない優れた薬品だ。それに、そなたの祖父と私を巡り合わせてくれた品でもある。ヒヒン軟膏がなければ、私とそなたの出会いもなかったのだぞ」
 ジュリアスの言葉にチャーリーの胸が熱くなる。
「ジュリアス様……」
 その胸の内と同じほどの熱い眼差しで最愛の人を見つめるチャーリー。たとえ午前中でも私邸であれば、ヒシと抱き合い、口づけを交わすような雰囲気だが、ここはビジネスの場である。 ジュリアスは当然、やや微笑んだだけだ。
“そんな堅苦しい! カモ〜ンですぅ 〜。せめて、軽くチュッチュッと!”
な顔をしているチャーリーを、サラリとかわしたジュリアスは、あくまでも視線だけを受け止めるのみ。
「フン……オトナなんてキライ……」
 と呟き、スゴスゴと自分のデスクに戻るチャーリーであった。
 

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