『
 

真夏の夜の悪夢 

『誰も知らないウォン財閥の社史』
外伝3・真夏の夜の悪夢

 
 二日後、社長室……。
 その日、主星星都は、今年の夏の最高気温を記録した。建物の中は、どこもかしこも快適な気温に設定されているとはいえ、窓の外の風景だけは誤魔化せない。
“午後のけだるさが一気に襲ってくるような気がするなあ……”
 と思いながら、チャーリーは書類を処理していく。後、数枚のそれにサインをすれば一段落だと自分に言い聞かせて。
 その時、扉が静かに開きザッハトルテが入ってきた。腕に分厚いファイルを抱えている。チャーリーに次ぐ役職にある彼が直接、書類や資料を持参する必要はないのだが、彼曰く、ちょっとした息抜きの為に、たまにチャーリーとジュリアスのいる社長室にやってくるのである。ザッハトルテは例によって例の如く情け容赦なく、そのファイルをチャーリーの机の上にドサッと置くと「今日中に目を通しておいてください」と言った後、ジュリアスと、仕事上の会話を交わした。チャーリーに対する態度とは違っていたってスマートで優しげな口調だった。そして、部屋を出て行く間際、ふと、「ああ、そうだ。例の天球儀、やはりなんともありませんでしたか?」と尋ねた。
「ええ。別に何とも」
 ジュリアスは爽やかに笑う。
「やはり。帝王の怨恨だのいう名称は所詮、後付のもの。所有者の不幸な末路もたまたま、なんですよ」
 ザッハトルテは、笑いながら去って行き、再び社長室には静けさが戻った。 ジュリアスは再び、黙々と仕事を続け始めた。チャーリーは、そっとその姿を見る。いつもと変わらぬ高潔な横顔……。

“……のようには見える。そやけど……もしかしてホンマにジュリアス様もまだ気づいてないところで、天球儀の呪いになんてことは……?”
 チャーリーの額に汗が滲む。部屋は暑くはない。冷汗だ。
 
 
 それは昨夜のこと。
 談合の席から、二人が帰宅したのは午後十一時をとっくに過ぎていた。まさにクタクタの状態だった二人は、すぐに互いの私室へ引っ込んだのだった。
 館には一泳ぎもできるほどの大きなジャグシーがあったがそこに入る元気もない。チャーリーは、私室の備え付けのシャワールームを使うと、ガウン姿のままベッドの上に倒れ込んだ。
“はー、今日も忙しかったなあ。ここ二日間は特に。八月に入ってから、あれこれと急な予定が入ったりして、ジュリアス様ともすれ違いばっかりや。……なんやかんやでもう十日も“していない”やん〜”
 ふかふかの枕に顔を埋めてチャーリーは虚しく呟いた。明日の予定も詰まっている。帰宅も遅くなりそうだった。現在時刻は既に翌日を示していて、そういう余力がないのはチャーリーにも判ってはいるが、疲れすぎると妙に昂ぶってくるものがある。
“ジュリアス様、まだ寝てはらへんやろ……”
 チャーリーは、仕事の用にかこつけてジュリアスの私室を訪れることにした。
控えめにノックをすると「はい」と中から声がした。書斎のジュリアスの姿はなく、チャーリーは、寝室の扉を開ける。ジュリアスは既にベッドに入っていて本を開けていた。
「すいません〜、ちょっと確認ですぅ。明日の主星経団連の会議のことやけど……」とチャーリーは、扉の所から顔だけを覗かせて控えめに尋ねた。もちろんそんな会議ことなどまったく気にはなっていないのだが、ジュリアスの寝室に入ってしまえば、なし崩しに長居を決め込むつもりなのだった。アレコレとどうでもいい確認をした後、チャーリーは、「えーーと、ちょーっとだけ、あの〜」とジュリアスに、ツツツとすり寄ろうとした。だが、ジュリアスは本からろくに視線も上げず、「おやすみ」と冷たく言い放ったのだった。
“やっばりアカンかったか……”とすごすごと引き返そうとしたチャーリーの背後で、ふいに「ハッハッハッ」と高笑いが聞こえた。
「ど、どうしはりましたん?」と慌ててチャーリーは振り向いた。ジュリアスは、「この書物に書かれていたことが笑えたのだ。何を不抜けた事を……たわけ者が!」と言った後、何事も無かったかのように再び本へと視線を戻した。ジュリアスは、疲れた様子もなくむしろ喜々として本を熱心に読んでいるように思える。
“そんな面白い本なんやろか……”
 首を傾げつつチャーリーは私室へと戻った。翌朝、チャーリーが身支度を調え、部屋から広間に出ると、いつも先に新聞を読んでいるジュリアスの姿がなかった。チャーリーは、ベルを鳴らしメイドを呼ぶ。
「おはようございます、チャーリー様。それとジュリアス様は、既に出社なさいました。会議の前に片付けておかねばならない事が、おありになるとかで」
「ふうん。そうか……申し訳ないなあ、ジュリアス様もしんどいやろに……」
 チャーリーはふと、昨日のジュリアスの様子を思い出した。
“笑止千万……みたいな笑い方やったなあ。たわけ者やて……なんかジュリアス様らしくない感じやったけど、何の本やったんやろ?”

 気になりだしたチャーリーは、後ろめたい気がしながらも、ジュリアスの私室へと向かった。書斎、そして寝室。例の天球儀の側に、昨夜ジュリアスが読んでいた本が置かれている。チャーリーは、それを手にとった。かなりの厚みのある専門書のような感じだった。
「……ラムダ星系年代記、第五巻?」
 革表紙に書かれた金文字のタイトルを呟いた後、彼は一ページ目を捲る。
 
 【ラムダ星系暗黒時代−ガラドゥ帝国】
 
「…………」
 チャーリーはギクリとし、傍らの天球儀を思わず見てしまい、慌てて視線を逸らす。そしてその本の栞が挟まっている所を開けた。そこから少し遡り、昨夜ジュリアスが読んでいたと思われる部分を読む。ガラドゥ帝国第三次侵略なる事項についての記述は、それがいかに凄惨なものであったかを示している。
【……この時、ガラドゥの抵抗勢力であったラムダ解放軍が勝利していたならば、その後十数年に渡るこの星域の地獄はなかったであろう。】
という記述と昨夜のジュリアスの「何を不抜けた事を……たわけ者が!」と言った声が、チャーリーの心の中が重なった。彼は、本を元に戻し部屋を出た。心を落ち着かせ、冷静になって考える。

“ジュリアス様のことや。あの天球儀の謂われが気になって歴史書を紐解かれたんやろ。あの高笑いは……きっと指導者ガラドゥをあざ笑うものやった……きっとそうや”
 無理矢理そういうことだと自分自身に言い聞かせたチャーリーだった。

「社長? ……チャーリー、どうかしたのか?」
 ぼんやりしているチャーリーに気づいたジュリアスが声をかけた。
「え? あ、は、はい。い、いえ、別に。ちょっとこの決算書の数字が納得いかんなーーって考え込んでで」
 チャーリーが取り繕うと、ジュリアスがフッ……と笑顔を返した。あまり根を詰めるなと労るような暖かい眼差しに、チャーリーは嬉しくなる。
 
“ふう……。やっぱりジュリアス様が辺境の極悪非道指導者の呪いにかかるなんて、そんなことあらへん! 思い過ごしや。ん〜、もーー、チャーリーのお バカさんッ!”
 自分の頭をポカポカと叩くチャーリーだった。 
 

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