気がついた時、私はまだ視力が完全には回復しておらず、あまり回りが見えなかった。が、そこがどこだかすぐに判った。聖地、王立研究院の最中枢部、次元回廊のすぐ近くにある部屋だ。私の……闇の守護聖の為に設えられた一時的な安息の為の部屋だ。こんな風にして任務を終えた後、倒れ込んだ時の為の……。
「クラヴィス、気がつきましたね」
ふいに部屋の隅から声がした。ルヴァの声だった。
「ああ……」
私は横たわったまま返事をした。
「少しだけ照明を付けましょうね」
天井に埋め込まれた照明が僅かに灯り、ルヴァの姿がぼんやりとしか見えなかった。こんな事があった時は、いつもそうだった。幼い頃、初めてそうなった時に医師が、脳神経が圧迫されるのだと言っていた。触れたくない、見たくないものに対する拒絶反応がそうさせるのだと。一時的なもので安静にしていればすぐに戻る。
「調べ物があって研究院に立ち寄ったところ、貴方が戻ってきたと告げられましてね、意識が戻るまで待っていました」
「そうか……随分、待ったのか?」
「いえいえ、ほんの十分ほどですよ。お疲れ様でしたね。まだ目はよく見えませんか?」
「ぼんやりと……」
「陛下が倒れられるほどの感情です。さぞかし辛い光景を目にしたんでしょう……」
「陛下に干渉していた者は、まだ少年だった。マルセル……ほどの歳の」
私は少年の瞳を思い出す。絶望の中でさえ尚も澄んだあの目。
「その少年の苦しみは貴方が拭って逝かせてあげましたが、貴方ご自身は……辛いお役目でしたね。すぐにジュリアスに来て貰いましょう」
安らぎを与える事を大きな使命とする闇のサクリアを癒せるものは、相反する光のサクリア。負を浄化させる聖なる力……。
「いや……よい。もう子どもの頃のように一刻も争うように苦しむこともない。光のサクリアに触れるのは明日でもかまわぬ。それにジュリアスはもう眠っているかも知れぬ」
今は何時であるかは確かではなかったが、出掛けた時間から見てそれなりの時間だろうと思った。
「まだ九時過ぎですよ」
「あれは早寝早起きだ……」
そう答えた時に咳払いが聞こえた……。
「いくら私でも子どもではないのだ。そんな時刻に寝所に入るものか」
ジュリアスの声だった。
「ジュリアス〜、来て下さったんですねー」
「ああ。クラヴィスが戻ったら連絡するよう告げてあったのだ。すぐに来るつもりだったがロザリアからも連絡があって陛下の元に立ち寄ってから来たのだ」
「陛下のお加減は?」
「身を起こされ飲み物を口にされた。顔色も良くなられた。もう大丈夫だと、そなたにお疲れ様でしたと伝えて欲しいと、仰っていた」
「それは良かった。では……ジュリアスも来てくれたことですし、私も失礼するとしましょう。クラヴィス、どうかお大事に」
「ああ……調べ物の途中で悪かった……な」
私はルヴァの声のする方向に頭を動かしてそう言った。
「いえいえ、どういたしまして」
ルヴァが出て行く足音が消え、ジュリアスが近づく気配がした。まだ視力はもどってはいなかった。ジュリアスのシルエットが辛うじて判る程度だ。
「護衛官からザッとだが報告を聞いた。そなたが倒れてしまうほどの負の感情は……十年ほど前だったか……久しぶりの事で、そなたも疲れたであろう……」
ベッドの側にある椅子にジュリアスが座る気配がした。私の視力が一気に戻って来る……。あの蒼い瞳が鮮やかに判るほどではないが。
「新しい陛下の御代になっても、あのような戦いは鎮められぬものなのだな……」
ジュリアスが呟いた。そうだ。今もどこかの星で、戦争は続いている。我々の知らぬところで。稀に陛下や守護聖のサクリアと干渉してくる感情があった時にだけそれが判り、手が打たれるのだ。けれどもそれは直接、戦いを止めるものではない。我々に出来るのは人の心に必要なサクリアを送り、正しきへと向かう道筋を垣間見させることだけだ。
「クラヴィス……では始めよう」
ジュリアスが静かにそう言った。
「始める?」
私は聞き返した。疲れ切った闇のサクリアに光のサクリアを与えるのはもう済んでいた。ジュリアスが私の側に来たその瞬間に。ジュリアスは、私に労いの言葉のひとつもかけて退室しても何の問題もない。
「話だ。約束であろう?」
「何を今更……」
と私は言ったが、ジュリアスはもう既に訥々と語り始めている。
約束……それは幼い頃のことだ。私が今回のように辛い視察に初めて出て戻った後、倒れ込み、自分のサクリアと引き替えにした負の感情に耐えきれず震えていた時に、私が泣きながら『恐ろしい光景で心がいっぱいだ』と訴えると、ジュリアスはこう言った。
『クラヴィス、しっかりせよ。光のサクリアがそなたにしっかり届くまで私が側にいるから。そうだ、何か良い話をしよう。美しい事や楽しい事を。今、そなたの心にあるものををそれに置き換えるのだ。これは……ある星の森での事だけど……』
木漏れ日の穏やかな森、変わった小動物、色鮮やかな花々……ジュリアスは、視察に出た際に体験した事を話し出した。心を占めていた先に見てきた悲惨な世界が、少しづつ薄れていく。
『そなたが闇の守護聖である限り、また同じようなことがこれからもあるだろう。その時、はいつもこうしてそなたの心が癒えるよう、何か良い話をしよう。つまらない話もあるかも知れないが、少なくとも気が紛れるであろう?』
ジュリアスはそう言い、それから律儀に約束を守っている。幼い頃はともかくとして、長じてからは、そうしょっちゅうそんなことがあったわけではない。成長するにつれて闇のサクリアの力も、私自身の心も随分、強くなった。慣れもある。女王自身の力の有り様も大きく作用する。前回は十年前だったか……。聖地に戻った後、倒れ込みはしたが、取り乱して泣くような年齢では無かった。にもかかわらず、ジュリアスは、話を始めた。視察に出た時に見たという絵画とその画家の数奇な運命についてで、なかなか面白かった……。
今回のジュリアスの話も、どこか辺境の星のことだった。その星の小難しい政治体系から話は始まった。
「…………それから、私は……、ん? クラヴィス、眠ってしまったのか?」
ふいにジュリアスが話すのを止めた。
「いや……」
「ちゃんと聞いていたのか?」
ジュリアスの声が少し不機嫌になっている。
「聞いていた……女王試験の中盤、ある星へと出掛けた……変わった政治体系の星だと……そんな話しだ」
私は耳に入ってきたことを口にする。昔の事を思い出していて、細かい事は素通りだったが、差し支えはあるまい。ジュリアスは、気を取り直して続きを話し出した。
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