神鳥の瑕 第三部 OUTER FILE-01

遺されたもの
 

  
 やがて私を含めた一群が広場を抜け、大聖堂の前に集まった。誰しも少しでも聖堂の窓のある方へと近づこうとしているが、私は人込みをかき分け、反対方向へと移動した。そして、やっとのことで混み合った中から抜け出すと、そのまま違う場所を目指した。大聖堂と執務室棟の向こう、人工的に造った小川を挟んだ所が、教皇一家の館となっている。その手前に目立たぬ小さな庭園があり、そこには歴代の教皇が眠る墓所がある。一般の民にも開放されている場所だが、ほとんど知らされていないので、外来者で訪れる者は少ない。小川を超えた所で私は衛兵に呼び止められた。
「どちらに?」
 大聖堂に向かう者ばかりの中でやはり不審がられたようだった。
「こちらに歴代の教皇様の墓所があると聞いています。音楽会の前にぜひお祈りを捧げさせては頂けませんか?」
 私はそう言って頭を下げた。衛兵は私の様子をさらに伺い、「ほお、よくご存じですね。ご奇特なことです。案内しましょう」と言った。案内など不要ではあった。幼い頃からこの辺りは私の遊び場であったのだから……。 けれども私は黙って衛兵の後について歩いた。墓所に続く庭園の形ばかりの低い門を通り過ぎると、神鳥の紋章の入った薄灰色の長衣を着た老人が現れた。墓守の者だった。
 衛兵は低く頭を下げると私の事を彼に伝えた。教皇の墓所は神聖な場所であるとし、墓守は、教皇や枢機官と同じく選ばれた人物がその地位に就き、尊敬される立場にある。私のいた頃は、教皇の信任の厚い、植物を愛する温厚な執務官の中から選ばれていた。見たところ、 この老人もそのような人物に思える。墓守は優しげに微笑み、「この先からは私がご案内いたしましょう」と言った。彼を先頭に私は続き、その後から、先の衛兵が付いてくる。よく手入れされた庭園は以前よりも立派で綺麗になっていた。少し歩くと正面に歴代の教皇の石室が見えた。

「あれが歴代の教皇様の墓所でございます。その脇にやや小さい石室は、教皇様の御家族様のものです。それとは別にあちらに……」
 墓守の指さす方向に、知らぬ石室があった。そんなには大きくない。
「あちらも教皇様の墓所です。クラヴィス様以降の教皇様には血縁関係がございませんので、別つことに致しました」
「そういうことでしたか……」
 私は正面の教皇の石室の扉の前に立った。神鳥の紋章の下に、記録に残る歴代の教皇の名が刻まれている。私の祖先たちの。一番最後にクラヴィスの名があり、そのひとつ前に父の名があった。私は視線を隣の小さな石室へと移す。本当ならば、母と共に私もあそこで眠っているはずだった。
「もしよろしければこの石室の裏手を覗いてご覧になりませんか?」
 しばらくして、私の背後で墓守が静かに言った。
「裏手……?」
 何故に裏手を見せようと言うのだろう……と私は不思議に思った。石室の裏には何も無いはずだった。それとも何か見るべきものが建てられたのか? 私は誘われるままに、細い小径を通り石室の裏手へと回った。思わず「ああ……」と声が漏れた。鬱蒼とした木々の下、辺り一面に薄紫の小花がいっぱいに咲いていた。 ここもまた懐かしい風景だった。
「何ということもない野草ですが、こうして一面に咲くと良い風情でございましょう。ところで……この花の名をご存じですかな?」
「アンジェリカ……」
 私は花の名を墓守に告げた。よく覚えていたものだと思いながら、長く口にしなかったその花の名を呟いた時、心にその花の種を撒いた時の事が押し寄せた。

 あれは、クラヴィスが教皇庁に引き取られて間もないの頃……。クラヴィスの荷物の中に小瓶に入った種があった。故郷の野原に咲く花のものだという。植えてみようか、と言うとクラヴィスは 嬉しそうに頷いた。だが庁内の植物類は庭師が管理していて勝手に何かを植えるのは許されないことだった。もし内緒で植えたとしてもすぐに雑草と間違われて間引かれてしまう。墓所の裏手ならば、何も植わっていないし目立たないと思い立ち、当時の墓守に秘密にしておいて欲しいと頼み込み、二人してこっそりと植えたのだった。やがて春になり小さな花を付けた。野草だったから繁殖力も強く丈夫だったようで、次の年には、随分と拡がって、ついには庭師に見つかってしまったのだった。
 庭師からは、生態系というものがあり、このような野草は庭園に植えてある他の花たちに悪影響があるかも知れないのだと窘められた。 墓所には色や形を計算されて花々が植えられていた。それらは歴代の教皇が愛した花でもあった。例えば祖父は釣り鐘のような形をした濃い黄色の花が好きだった。庭師が扱っている花々に比べれば、指先ほどの薄紫の小花 アンジェリカは、雑草以外の何 ものでもないようだった。直ぐさま焼き払ってしまいたいと申し出た庭師を、クラヴィスは涙を溜めた目で睨み返した。結局、石室の裏手はそのままにして、そこからはみ出たものだけを処分するように……と父が取りなしてくれたのだった。
 懐かしさで胸がいっぱいになっていく。いつまでもここに場所に留まっていたい衝動に駆られた。そう思うと何とも言えない寂しさが私を襲った。ここは紛れもなく私の家だった。聖地から外に出て故郷に帰った時、時代が移り、取り壊されて何も残っていないのも辛かろうが、こうして以前のままに保たれているのに、何一つ自分のものではなく、勝手にもできないのも辛いものだと思い知った。涙が頬を伝う前に立ち去らねば……と私は思った。もう一度、石室の正面に移り、家族に別れを告げてから……と思い、振り返ると衛兵の姿はなく、墓守もやや離れた所に立っていた。誰にも見られていないと思うと涙が溢れてしまいそうだった。慌てて、正面へと移動し、再び教皇たちの墓前に私は跪き、祈るふりをして泣いた。
 


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