神鳥の瑕 第三部 OUTER FILE-01

遺されたもの
 

  
 懐かしい故郷の町並みや人々の様子は、私の知っている頃に比べれば、随分すっきりと美しくなっている。往来を行く馬車に代わって、自動車が行き来している。その数は 少ないし、機能的にもまだまだ未開発なものではあったが。固く舗装された灰色の道路が続く通りを渡りきると、美しい石畳の広場に出た。そこは遙かな昔のままだった。

 教皇庁ーーーー。

 幾つもの重なり合う尖塔を持った大聖堂の屋根も、四方を濠と木立塀で取り囲こんだその様も、以前とほとんど違うことはない。ただ大門の横手に私の知らぬ建物が建っていた。聖学院……と案内板には書かれている。教皇の世襲制を廃したクラヴィスが、リュミエールスイズ王 、ダダス大学のルヴァ総長と共に創った学舎だと、短い説明が付け加えられていた。よく知った彼らの名前と出逢い、私の心は昂ぶる。
 「戻ってきたのだな……ここに……」と。

 門前には多くの人が集まっており、今か今かと門が開くのを待っている。人波の中の一人となって私も列に並ぶ。やがて、門兵が声を張り上げた。
「開門します。押さないで順にお入り下さい。いいですか? 大聖堂に入れるのは当選の札を持っている人だけです。それ以外の方は、聖堂の外の指定の場所にお控え下さい。窓は開け放ちますから、楽師団の演奏は聞こえます。今日の音楽会には、教皇様もお出ましになっています。どうかお静かに、我先にと争うことのないようにして下さい」
 門兵が、同じことを三度繰り返した後、ゆっくりと大門が開いた。誰も言い付けをよく守って、静かに教皇庁の敷地内に入っていく。私の横にいる女性は手にしっかりと当たりの札を握りしめていた。 月に一度、一般の民に開放されていた音楽会のシステムは、以前と大差ないようだった。 今朝早く、この地に戻ってきた私は、聖堂の中に入る籤には外れたが、門から中に入れる整理券だけは手に入れることが出来たのだ。
 聖堂に続く道筋にある広場に、私の知らない人物の像が建っていた。遠目でその顔立ちまでははっきりと判らないが威厳のある老人の像であることは判る。 もしや……と思い、 「あの像は……どなたの?」と隣の男に尋ねた。身なりからするとスイズ城下の商人か職人のように思える男は、私をジロリと見た。どこか他国の者とでも思われたのか、フフンと鼻を鳴らした後、「あんた、教皇庁は初めてだね? あれこそがクラヴィス様の像だよ」とまるで自分の 祖先を自慢するように言った。
「そう……ですか……」
 クラヴィスの像なのではないか……という気はしたが、それにだけに驚いたのではなかった。私のいた頃は、教皇の名は、一般に流布していたわけではなく、もしも知っていたとしても口にするのは 慎まねばならぬことだった。今になって思うと馬鹿げたことだと思うがそういう風習だったのだ。だからこの男が、すんなりとクラヴィスの名を口にしたことが不思議でもあった。時代は変わったのだな……と思い、「今の教皇様の名は何と仰るのだろう?」と尋ねてみた。
「今? さあ……えーっと何だっけか? 教皇様の名は、あんまり知らされてないからなあ」
 男の言い様は矛盾していた。何代も前の教皇であるクラヴィスの名は知っているというのに? 私の納得できない顔が気にくわなかったのか男は、「クラヴィス様は、教皇様の中でも特別さ。スイズでは子どもだってその御名くらい知ってらあ」と呟くと 、ふいと横を向いてしまった。その名を口にし、像まで建てられるほどにクラヴィスは愛された教皇だった……ということだろう。私は自分のことのように嬉しく思った。しかし、この厳めしい姿の老人がクラヴィスの姿を写し取ったものだとはやはり信じられなかった。私の知るクラヴィスはいつまでも若いままだ……。
 


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