信じて貰えないかも知れないけれど……、そう思いながら、ルヴァは、ゆっくりと話し出した。
「私は、文官として視察を兼ねてルダ南部の故郷に戻ることを許されました。中央砂漠までは駅馬車で行くのですが、その同じ馬車にリュミエール……今のスイズ王ですが、彼が私を追って同乗していたことが
、途中で判りました……」
「リュミエール様の教育係をしていたことは娘からも聞いていたが……」
「リュミエールは、政略的にルダ音楽院に留学させられていました。彼の回りにいるスイズの文官、武官、使用人に至るまで、それは、中の王子の腹心の者たちで、彼は孤立していました」
こういう事は他言しない方がいい、ましてや中の王子アジュライトは、今では悔恨し、ルダを立て直す為に尽くしているのだから……と思いながらも、ここから話し始める以外に術のないルヴァは、ベリル公爵の人柄を信じることにした。
「やはり、リュミエール様の留学は、スイズがダダスに侵攻する為の拠点を抑える為だったのだな」
「ええ、そうです。戦火が激しくなってからは、ルダ音楽院は休校になったのに、本国に戻ることも許されず、リュミエールは、軟禁状態になっていました。私がルダを留守すれば、話相手もいません。それで、
彼は、思い余って私を追って来たのです……」
そうだ……あの時から全ては始まったのだ……とルヴァは回顧する。
「すぐに追っ手がかかりました。リュミエールは、何もすることもなく軟禁されているだけなら、ほんの少しの間、私と旅に出てもいいではないか、と自分の文官を説得しました。それは聞き入れられ、私たちは旅を続けられることになりました」
「よく許したものだな。それだけ、軽んじられていらっしゃった……ということか?」
「ええ。成人前の王子ですから、その名すら広まってはいませんし、私の従者ということにすればそれほどの危険はないだろうと判断されたのだと思いました。不遇にあったリュミエールに
、文官も同情したのだろうとその時は思いました」
ルヴァがそう言うと、ベリル公は、ハッと、何かに気づいたような顔をした。
「まさか、リュミエール王子がダダス軍に拉致され行方不明になった……という噂は!」
「お察しの通りです。スイズ側が、兵士の士気を上げる為と世間の同情を煽るために流したものです。そんな策略に利用されていることも知らずに私たちは旅を続け、
サンツ渓谷のある私の故郷に辿り着いたのですが……」
「君の故郷は戦火に巻き込まれ、失われていたのだね?」
「はい。跡形もなく。背後に山が崩れ、土砂に飲み込まれていました。悪天候が続き地盤が緩んでいたことや、山の内部が坑穴だらけで弱っていたことや……全ての条件が重なったのだと思っていたのですが、後になって、ただ単に戦火に巻き込まれただけではないと判りましたが……」
「何?」
ルヴァは、スモーキーたちとの出逢い、スイズが管理を教皇庁から任されている鉱山での不正の事実、先ほどのリュミエール行方不明の噂をそこで初めて知ったこと、結局、スモーキーたちと共に教皇庁を目指すことになったこと……を訥々と話し続けた。ベリル公は、相づち打つだけで、ほとんど話さず、ルヴァの話に聞き入っていた。
そして、ルヴァの話は、鉱山現場での事故の所に差しかかった。
「なんだと! まだ中に人がいるのに、ろくに助けもせずに水を流してしまっただと! ダダス軍の捕虜を、鉱夫にすればダダ働きさせられるから、それまで雇った者は不要だと
?……なんと卑劣な! 鳥持ちの子どもまでいるというのに」と、それまで静かにしていたベリル公が怒りの声を上げた。
「私たちが行った時は、もう水が流されたあとで、他の鉱夫たちが唖然とその場に立ち尽くしていました。暴動で殺された役人がおり、他の役人たちは逃げてしまった後でした……」
ルヴァは引き続き、あの後の一連の行動を説明した。旧坑道に逃げ込み助かったクラヴィスたちが戻って来たこと……。
「旧坑道か……そのクラヴィスとかいう若い鉱夫、よくぞ気づいたものだ。鳥もちの少年が助かったのは何よりだった」
ベリル公は、ルヴァの話にすっかり引き込まれており、彼がここにやってきた本来の目的のことなど忘れているかのようだった。ルヴァの方も、自分が経験した話を忠実に伝えるべく言葉を尽くして説明していた。
さらに、新たに加わった鉱夫たちとともに教皇庁へ向かい、道中での様々な苦難を、ルヴァは語り続けた。ベリル公は、指導者的な立場にあるスモーキーに共感する部分があるらしく、「一度、その男に会ってみたいものだ」と呟く。二人の年老いた鉱夫が自ら犠牲となって追っ手に捕まり、難を逃れた後、ヘイヤ側に渡った所で、ルヴァの話が途切れた。
「どうしたのかね?」
「あの……これからお話しすることは、特にお心だけに留めておいて下さるようお願いします……」
「ふむ……判った。ここまで話したのだ、さあ、先を話してくれ」
「はい……。ある夜、クラヴィスが、酷く魘されました」
「あの旧坑道へと導いた若い鉱夫のことだな? 悪夢でも見たのか?」
「仲間の鉱夫の話では、彼は前から定期的に酷く魘されるらしいのです。私とリュミエール、スモーキーは、心配になって起こそうとしましたが、苦しむばかり。しばらくして、ようやく彼は目覚めました。その時、スモーキーは、クラヴィスに心に抱えているものを吐き出してしまえと言ったのです。クラヴィスは他の鉱夫とは違いましたから……何か事情があって鉱夫になったらしいことは
、スモーキーにも、私にも判っていました」
「他とは違う? 例えば、学があるとか、生まれが良いとか……そういう事かな?」
「ええ、そんなところです。スモーキーは、私とリュミエールの関係についても怪しんでいました。私の従者にしては、着ているものも仕草もリュミエールの方が気品があるのですから……。スモーキーは、これから先の道中の厳しさを考えて、お互い心に隠していることがあるなら、吐き出してしまおうと言ったのです。その為、彼は自分の事から話し始めました……」
スモーキーは、実は貴族層の出であり、ジェイド公との一件で鉱夫になったのだと聞かされるとベリル公は、低い唸り声を上げた。
「ジェイド公といえばダダスでも名の通った大貴族。私も前に一度お逢いしたことがある。本当に惜しいお方を亡くしたものよ……と思っていたのだが。そのジェイド公とスモーキーとの間にそのような接点があったとは。スモーキー殿には同情するが、こういった情事の縺れの話は双方の言い分を聞かぬとどっちがどうとは言えぬからな。ここは聞き流しておこう。それにしてもスモーキー殿が貴族の出だったとは、彼の指導力、行動力から見て、さもありなん……と言った感じであるな。で、それから?」
ベリル公は、冷静な態度を崩さないが、心中では、ますますルヴァの話に惹かれ、ついつい先を促す。次にリュミエールが、スイズの第三王子であったことを明かした時のことを話すと、ベリル公はニヤリと笑った。
「いやはや、スモーキー殿は、さぞかし度肝を抜かれたことであろうな。こうして話を聞いているだけだから、落ち着いていられるが。で、そのクラヴィスとやらは、実はどこの家の者だったのだ?」
そう言われてルヴァは、自分たち以外には誰もいないと判っていても、つい背後を確認した。今から話す部分がもっとも秘密を要する事なのだ。クラヴィスが鉱夫をしていたことは、管轄地に働く鉱夫たちの間では、隠し事でも何でもないのだが、教皇庁内の執務官や枢機官、貴族層の間では、ただの噂として処理されている。クラヴィスが教皇庁を不在にしていた三年半ほどの年月は、あくまでも病気療養の為、ジェイド公の縁の館にて静養していたことになっている。
「あの……今上教皇様のお名前をご存じですか?」
ルヴァは小声でそう言った。
「はて……何と仰ったか……? 成人されたと同時に教皇様に御成になったからな。お名前までは公布されていたかな……存じ上げぬが、それがクラヴィスと何か関係が?」
「今上教皇様の御名は、クラヴィスと言うのですよ」
ルヴァは少し溜息混じりに答えた。ベリル公は、一瞬黙り込んだ後、何度か瞬きをした。
「寸での所で、間の抜けた声を上げてしまうところだった……、君がそのような下らぬ冗談を言うような人物とは思えぬ。さあ、その訳を話してくれ。むろん、他言はせぬ。あ、いや、娘にだけは話すことを許して欲しい」
ベリル公は、もう冷静さを保つことを放棄してしまったかのように、ルヴァの方に体を乗り出した。
「クラヴィスは、ある事情から東の辺境地帯に赴き、そこで崖から落ち瀕死の重傷を負いました。たまた山中に住む老夫婦に助けられ、傷が癒えるまでそこで世話になった後、西の鉱山地帯に流れ着き、そこで鉱夫として働いていたのです」
そう聞かされれば誰しもが疑問に思うこと……ある事情とは何なのか? 教皇の皇子ならば共の者もいたであろうに、何故そのような事故に至ったのか? そしてクラヴィスは何故、傷の癒えた後、教皇庁へ戻らなかったのか? それらをベリル公はあえて口には出さない。“言えることならば、この後の会話で明らかになろう、言えぬことなら聞くまい”と。ルヴァは、ベリル公の年齢に恥じぬ思慮深さに、ますます尊敬の念を深める。クラヴィスが鉱夫になった経緯を話すことは、ジェイド公の死にも繋がることである。他国の者たちからも尊敬を集めている彼の死の真実にまで……。
「申し訳ありません、ベリル公爵様。詳しい事情は私の口からは、今は話せません」
「そうか。あいわかった。ともかくも何らかの事情で、教皇様の皇子であらせられるクラヴィス様が鉱夫をなさっていた事実だけを聞いておこう」
「ありがとうございます。クラヴィスが定期的に魘されていることは、その身に宿る聖地よりのお力と関係するのですが、ともあれ、クラヴィスは自分が何者であるかを、告白したのです。あ、リュミエールとクラヴィスはお互い面識があったので、出逢った時に気づいてたそうですけれど、スモーキーや私は、どんなに驚いたことか……」
「今ここで聞いていた私でも腰を抜かしそうになったぞ」
「結局、今まで通りでいようと言うことで私たちは旅を続けました……そして」
スイズ山間部に入り、そこの農夫たちと投合し、スイズ王都に入ったこと、王都には北部から来た者たちが既に多数入っており、広場で合流することになったこと、見せしめの処刑を食い止めたこと、そしてスイズ王城の暴動へと続く経緯をルヴァは一気に話し続けた。クラヴィス暗殺の当事者であったジンカイトの事だけは伏せて。
「スモーキーは、今、鉱山の総責任者となっています。私は教皇庁の執務官ということになってますが、実質はスイズ王城の新体制に係わる様々な調べ者をしています。フローライトさんのご婚約のお話は、たまたまリュミエールの執事さんから聞きました。まだまだ先の事らしいのですが、リュミエールのお相手の候補としてフローライトさんも上がっていたのです。彼とは、ルダでのご学友同士でもあるし、趣味も合うからと」
「フローライトが?!」
「正式のものではないのですが釣書と、少し前の肖像画が添えられてありました」
「うむ。心当たりはある。もう四年ほども前になるが、スイズの外務大臣より、末の王子のために年頃の見合う姫を捜していると言われて、当家でもフローライトの釣書を出したことがある。王家とでは、身分も釣り合わぬし、一人娘なのでとお断り申し上げたのだが、ダダス王から、ぜひにと言われてな。ま、数のうち、ということであろう」
「執事さんはフローライトさんのご婚約の噂を、ダダスにいるスイズの文官から教えて貰ったそうです」
「それで、君は、慌てて駆けつけたのだね」
「はい……」
ようやく話がここに戻ってきた……、全てを話し終えたルヴァは、審判を待つ罪人のように、次第に俯き加減になっていく。
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