神鳥の瑕 第二部 OUTER FILE-02

教皇様からの招待状
 

  
 パメス鉱山の東の第一現場は、例の事故と暴動の後、しばらくの間、使い物にならなくなっていたのだが、春が過ぎ、若葉が生い茂るようになった初夏、ようやく細々とながらも再開された 。
 余所の現場に回されていた鉱夫たちが戻り、廃墟のようになっていた現場近くの町も俄に活気づきだしたのだった。
 さらに、スイズ王城での動乱の仔細が、この地方にもようやく伝わり、スモーキーをはじめとする鉱夫たちも係わっていたことや、さらにスモーキー自身が、教皇庁管轄地鉱山の総監督に就任し、他の鉱夫たちも、しばらくの間は、壊れた城の補修の為に雇われているらしいことが判ると、酒場では連日、その話で持ちきりだった。
「……しかし、すげぇよな、あのスモーキーが……」と誰かが切り出すと、もう話は止まらない。毎夜毎夜、何度も何度も同じ話を鉱夫たちは興奮した様子で話し続けるのだった。
 
 夏の暑さが本格的になりだした頃、ようやくその話が男たちの口に出るのが落ち着きだしたのだが、それと入れ違うように、今度は、新教皇戴冠授与式の公布がなされ 、酒場はそのニュースで持ちきりとなった。酒場の壁にもその公布が貼り付けてある。神鳥の紋章の下に、十一月十一日、教皇様の第二皇子様が成人され、と、同時に皇位を継がれる、式典は正午ちょうどに行われる。同時刻には鐘という鐘を打ち鳴らし祝うべし……と記されている。成人前の皇族や王族の名は、一切公表しない風習があるため、教皇の第二皇子の名前はまだ記されていない。従ってその第二皇子がクラヴィスであることは、ガネットを始めとしてまだ誰も知らなかった。
 

 その日の夜も、店にやってきた鉱夫たちは上機嫌だった。鉱山での待遇は、目に見えて改善され始めていたし、何よりも新教皇が誕生することが彼らの心を躍らせていた。もちろんそれは、鉱夫だけではなく、この大陸全土の、特に弱者の部類に入る者たち全員がそうであったと言っても過言ではなかった。新しい時代になれば、平穏な良い年が十年は続く……そういう言い伝えがあるからだった。
 
 午後七時になろうかという酒場にしてはまだ早い時刻、既に店には常連客が半数ほど入っており、客たちの合間を、ガネットは忙しく立ち回っていた。店の扉が開き、「いらっしゃぁい」とハリのある声を上げて振り向いた彼女は、そこに、鉱夫とは違う場違いな雰囲気の 、あまり若くない客の姿を見つけた。夏だというのに白い開襟シャツの襟元をぴったりと締め、深緑色した長ズボンと腕に撒かれた腕章、一見して役人の風情である彼は、酒場全体をぐるりと見回した後、眉間に皺を寄せて「コホン」と咳払いした。そして、神鳥の紋章がよく見えるように腕に撒いてあった腕章の位置を直した。
「お一人? さあさ、こちらの席に……」
 と女将がすかさず相手をしようとしたのだが、首を横に振った。
「客ではない。私は教皇庁からの通達を預かっている者だ。こちらに、ガネット嬢はいらっしゃるかね?」
 男は、こんな居酒屋など……と小馬鹿にしたような態度でフン……と、顔をあげて言った。
「ガネット……嬢……だって?」
 女将は、呆けたように呟いた後、腹を抱えて笑い出した。と同時に客たちの間にも笑いが起こる。訳のわからない配達人はますます不機嫌な顔になる。
「うるさいねっ、皆!」
 当のガネットがそう叫び、配達人の前に歩み出た。近くに座っている客が、「おいおい、ガネット、嬢っていうには、ちぃとばかし無理があるんじゃあ……」と囃し立てる。
「おだまり!」と言いつつ、客の足を軽く蹴ると、ガネットは配達人に向かって、特上の微笑みを投げかけた。配達人の顰めっ面が、少し戻る。
「ガネットは私だけれど……何か?」
 出て来たのが、清楚な若い娘ではなく、ただの酒場女と知ると配達人はあからさまに口調を変えた。
「秋に新教皇様がご誕生あそばすのは知っておるな?」
「ええ、もちろんよ!」
 ガネットは壁の貼り紙の方を指差しながら答えた。すると、配達人は手に携えていた大層な布箱から一通の封書を取り出した。女将も客たちも一体、何事が始まるのかとガネットたちの方を凝視する。配達人は、その封書を一旦、恭しく掲げるようにした後、ガネットに差し出した。
「これは……?」
「式典の招待状だ」
「はあ?」
「ぶ、無礼者! 謹んでお受け致しますと言わんか!」
「でも……これ間違いじゃない? どうして私宛なの?」
「間違いではない。ちゃんと処も名前も合っている。各国の要人だけではなく、何人かの民も式典のご招待に与ることになっておるのだ」
 配達人の言葉に、酒場中が、ざわつきだした。ガネット自身もどうしたものか判らなくなっている。
「でも、なんで、ガネットが選ばれたんだ?」
 彼女の代弁をするように客の一人が叫んだ。
「知らぬ。教皇様や枢機官様のお決めになった事だ。私はそれを伝えるだけ。民にとっては富くじに当たったようなものであろう。いずれにしても幸運なことだ」
 配達人は封書を、さらにガネットに差し向けた。
「つ、謹んで有り難くお受け……致します」
 ガネットは、まだ半信半疑ながらも封書を手にした。配達人は、こんな薄汚い酒場にもう用はないとばかりに踵を返す。
「あ、あのっ、こんな時間だし、せめて何か一杯でも……。ご馳走します」
 ガネットは慌ててそう言った。
「結構。前に馬車を待たせてある。仔細は封書の中に書き記してあるからな。他者に譲ることは許されん。くれぐれも時刻に遅れるでないぞ」
 配達人の忠告にガネットは、まだぼんやりとしたまま頷く。彼が出て行く扉のバタンと閉まる音が合図になったように、鉱夫たちは、一斉にガネットの元に集まった。
「なんで、私が……」
 ガネットは白い封書を手にしたまま呟く。
「そんなのどうだっていいじゃないの。ほら、私たちは鉱夫と違って、管轄地内に何年も住んでる、れっきとした教皇庁の民なんだから、台帳かなんかから、適当に選んだんじゃないのかい」
「そうかしらねぇ?」
「ねぇ、ガネット、開けてごらんよ。何て書いてあるか、早く教えて!」
 同じ酒場の仲間の女が、背後から覗き混んでいる。
「そ、そうね、ちょっと待って……ねぇ、ナイフでこの封印、切ってくれない?」
 ガネットは、側にいた男に招待状を手渡し、細い金色のリボンを切って貰った。
「えっと……」
 ガネットは、書かれている文書を懸命に、目で追った。
「どうなのよ? 本当に招待状なの?」
「本当みたい……。式典は十一月十一日、正午きっかりだって。その前日には教皇庁内にある迎賓館に入れって。教皇庁までは、大陸横断列車に乗せて貰えるって……この招待状が、予約の通行証も兼ねてるって……」
「じゃ、教皇庁の中に泊めて貰えるってことかい? す、すごいじゃないの!」
「夢みたいなことじゃねぇかよ。スモーキーはスイズのお偉いさんになっちまうし、ガネットにはこんなことが! 人間、諦めちゃなんねぇな、生きてりゃ、どんなオイシイ話しが舞い込んで来るかわからねぇ」
 酒場中が、蜂の巣を突いたような騒ぎの中、ガネットはやはり呟かずにはいられない。
「なんで、私が?」……と。

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