暑さの盛りが過ぎ、季節が変わる。ガネットだけではなく、彼女の式典出席を知る者は、自分の事のようにそれを心待ちにしていた。そして、秋晴れのある日、ガネットは、一番上等のドレスに身を包み、 酒場の仲間たちに盛大に見送られて、教皇庁へと向かったのだった。
 大陸横断列車には、他の要人と同じく、彼女用に、世話係付きの個室が用意されており、何から何まで至れり尽くせりの状態だった。一張羅のドレスを着て、澄ましてもいるし、容姿に関しては そこそこの自信もあるガネットだが、やはり長年染みついた田舎の酒場女の雰囲気までは、打ち消せないことは自分でも知っている。それなのに、世話係の者は、 嫌な態度も見せずに、まるで貴婦人の如くに扱ってくれている。どうしてなのだろう? と、ガネットは、思い切って、スイズ王都終着駅に降りる間際に尋ねてみた。
「招待状にもいろいろございまして、執務官が作成したものが普通なのでございますが、ガネット様のお持ちの招待状は、金縁に銀の神鳥の紋章、そして教皇御様自らのお手による印が押されております。これは、実は招待状の中でも、特例のものでして各国の王族に送られるほどのものなのでございます」
「じゃ、やっぱりこれは何かの間違いだったんだわ……。だって私はただの鉱山町の民なのよ。貴方だっておかしいと思うでしょう? どうしよう……きっと教皇庁の門前で 、恐れ多いと鞭打たれて追い払われるわ……。このまま引き返した方が恥をかかなくてすむかも……」
 ガネットは、彼女らしくなく弱気になり、列車から駅に降りるのを躊躇う。世話係の者も、確かにこの招待状を、一般人が受け取ったことは、かなり驚きだが……とも思う。しかし、彼は、「ですが、きちんとお名前も記されておりますし、教皇様は、王侯も民も、聖地の御前では、皆、平等だと説いておられますから……」と、ガネットを励ますように言った。
「戦争や不作で民には辛い日々が続いたし、お優しい教皇様のご配慮なのかしらねえ」
「ええ。それにたとえ間違いであったとしても、鞭打たれるようなことはないと思います。駅前に、教皇庁までの馬車が用意れているはずですし、行くだけでも行ってみられてはいかがでしょう?」
「そうね……。皆に餞別まで貰ったんだし……せめて大聖堂を拝んでからでないと帰れないわね。ねえ、教皇様にお逢いになったことはある? どんなお方?」
「私は若い頃、教皇庁内の厨房で働いていたことがありましてね、何度かお言葉まで頂戴致しました。お優しい尊い方でございますよ。残念ながら新教皇様となられる皇子様は存じ上げません。まだご成人されていらっしゃいませんから、役人や王都の民でも知る者は少ないでしょう。成人の儀も兼ねておいでですから、盛大な式典になるのでしょうね」
「私みたいな人、他にもいた?」
「他のお客様の事は申し上げられない規則なのですが……。七号車にお乗りのご夫婦がやはりガネット様と同じ招待状をお持ちなのでございますが……」
「貴族ではない夫婦なのね! どんな人たち?」
「東の管轄地の駅からお乗りの温和な老夫婦でいらっしゃいます。あの……、まあ、ごく普通の……」
 貧しげな……とまでは言えず、世話係は口ごもる。
「その人たちも、招待状が当たってビックリしてるでしょうねえ……」
 自分と同じような者も招待されていると聞き、ガネットはホッとする。列車は完全に停止し、扉が開けられると、世話係は、ガネットの荷物を持ち上げ、ホームへと引率した。スッと彼が右手を高く上げると、紺色の制服を着た男が駆け寄ってくる。神鳥の紋章の入った帽子を被った馬車の御者である。
「馬車の用意は出来ているかね?」
 世話係は、ガネットの招待状をチラリと見せた。
「はい。教皇庁までご案内致します、どうぞこちらへ」
 ガネットの荷物は、御者に渡される。
「行ってらっしゃいませ」
「いろいろありがとう。まだ何か信じられない気持ち……」
 ガネットは、世話係に礼を言うと、今度は御者に向かって、小さく頭を下げた。
 御者の後に続いて、駅の構内から出ると、駅前の広場に、ずらり……と大小、様々な馬車が停まっている。明らかに貴族と判る者たちが、それに乗り込んでいく。
「皆さん、教皇庁に向かわれるの?」
 辺りを見回しながらガネットは御者に尋ねた。
「大半は、明日の式典のご招待客様ですから。スイズ城の馬車もございますよ。教皇庁の迎賓館ではなく、スイズ城にお泊まりになる方もいらっしゃいますので。貴女様は、この馬車でございます、どうぞ」
 ガネットの馬車は、純白で扉に金の神鳥の紋章が入った婦人用の小さな馬車だった。
「なんて可愛い、綺麗な馬車なんだろ……」
 ガネットはそう呟きながら、ドレスの裾を持ち上げて、深紅のビロードの貼ってあるふかふかの座席に座った。
 動き出した馬車から流れていくスイズの街の風景は、辺鄙な鉱山町で何年も過ごしてきたガネットにとっては、それだけで夢のようだった。石畳の道、調えられた外観の続く大通りの店、行き交う民たちも、小綺麗で垢抜けている。ちょっとしたことにも感心している間に、馬車は教皇庁へと着く。
 自分が招待されたのは、何かの間違いで追い返されるのでは……というガネットの懸念は当たらず、ここでも彼女は、王族並の扱いを受け、手際よく迎賓館へと通された。用意してあった部屋も側仕え付きの豪華なもので、ガネットの到着を推し量っていたかのように、すぐに側仕えが、お茶を運んでくる。どうやら追い返されないらしいと判るとホッとするものの、ここまでの手厚い持てなしをされると、今度は、身分にそぐわぬ悪い事 をしているような気がして、だんだんと気分が滅入ってくるガネットだった。

「大聖堂の方は明日の準備で立ち入ることは出来ませんが、この迎賓館の中では、ご自由にして頂いて構いません。中庭でお茶を飲むことも出来ますし、談話室では、他のお客様も集っておいででございます。美術室、図書室もございます、もしよろしければいつでもご案内致します。なんなりとご用をお言いつけ下さいませ」
 自分より数段、上品そうな年配の側仕えにそう言われ、恐縮しながらガネットは、困った風に曖昧に微笑み、「少し疲れたので横になります」と小声で言った。側仕えが去った後の広すぎる豪華な部屋で、溜息を付きながらお茶を飲み干した彼女は、本当に横になりたくなってきた。だが、この広い部屋のどこにもベッドがない。部屋の奥に続く扉の向こうが寝室なんだろうか……と思いつつ、そっとその扉を開けると、薄い紗でゆったり覆われ、絹地でてきた布団が掛けられている天蓋付きのベットが見つかった。
「いやだ……まるでお姫様の寝台だわ。もう帰りたいわ……こんなので寝れない、勿体なくて」
 と言いながらも、ガネットはそっと紗を開き、ベッドの縁に腰掛けた。そして、そのまま後へと倒れた。ふわふわと優しく体が揺れる。
「はは……ふかふかだわよ。こんな良い目するとバチが当たるね、きっと」
 寝ながら見上げた天井の梁にも小さな金細工が、取り付けられ、どこもかしこも美しい。それを眺めているうちにガネットは、だんだんと、もう、どうにでもなれ……という本来の明るい性格を取り戻し始めた。
「もういいわ。この後の私の人生がハズレでも。ここで一生分の運、使い果たしたとしてもかまうもんか!」
 ガネットは、天井に向かってそう叫ぶと、手足を存分に伸ばした。

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