第二章 再 会

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 漁夫の息子が、村長の手を引っ張って、浜辺まで戻ってきた時、霧はほとんど晴れていた。はあはあと息を切らした村長は、漁夫の足元にへたりこみ、沖合を見た。確かに見かけぬ船が停っている。
「あ……あれだな?」
 息も絶え絶えにそう言うと、漁夫が頷いた。
「最初はもっと沖にいましたぜ。霧が晴れてあそこまで進んで停まったんだ。あの辺りから浅瀬になってますからね」
「やはり東からの船か……?」
「たぶん、そう思います。あんな船、このあたりのもんじゃありません」
 その時、漁夫の後にいた彼の息子が「あっ」と叫んだ。
「どうした?」
「父ちゃん、小舟が来るよ」
 少年は、沖をまっすぐ指差す。漁夫は、望遠鏡を覗いた。確かに二艘の小舟がやって来る。
「どんな連中だ? 海賊のような身なりではないだろうな?」
 村長は、なんとか立ち上がり、服についた砂を払いながら問うた。
「一艘に五、六人乗っているようです……まだよく見えませんが、別にどうということもない感じがしますがね……武官みたいな感じだが」
 漁夫たちが浜に並んでいる姿も、ジュリアスたちの乗る小舟から望遠鏡を通して見えている。最も、彼らのものは、漁夫の持っているものよりも精度が落ち、ぼんやりと人影が見えるに過ぎなかったが。
「人の形をしていますよ! 魑魅魍魎なんかじゃないみたいです!」
 ヤンが、少し前を行く別の小舟に乗っているジュリアスにもよく聞こえるように、元気よく答えると皆の間に、ホッとしたようなどよめきが起こった。小舟には、ジュリアス、オスカー、オリヴィエ、第一騎士団長と、ラオ、そして騎士団の中でも 、泳ぎや剣の腕が立つヤンを含めた数名が選ばれて乗船している。
“陸にいる者たちにも我らの姿はもう見えているじゃろうが……。友好的な者たちだと良いが……”
 ラオは、全身全霊を傾けて浜を睨み付けている。万が一、言葉も通じず、いきなり襲ってくるような者たちだったら、身を呈してジュリアスや他の若い連中を守らねばならん……と思っているのだ。もちろんジュリアスたちも、騎士団の他の者たちも、今となっては老いた自分よりも腕の立つ者たちばかりだが、万が一の時は、自分が盾になる覚悟だけは出来ている。その間に、撤退するにしても 、戦うにしても、体勢を整えることくらいは出来るはずだ……と。
「じぃちゃん。顔が恐いよ。もしかして船に酔ってるの?」
 ヤンは、そんなラオの顔を覗き込む。
「馬鹿者。酔ってなどおらん。緊張しておるのだ。もちろん良い意味での。お前のようにヘラヘラしておっては西の者たちに見下されてしまうぞ」
 祖父に一喝されてヤンは頷いて黙り込んだが、そっとラオの背中に手を置いたままでいる。上陸する者たちを決めていた時、ラオが、ぜひともジュリアスと一緒に上陸させてくれと、珍しくごねた意味をヤンは 、感づいていた。ラオもまた、自分を心配する孫の心が判ったらしく、振り返って、「だが、ちと恐すぎたか? こんな顔では西の者たちも怖じ気付いてしまうかのう」と笑顔を見せた。
 やがて、双方が望遠鏡を見ずとも確認しあえるほどの距離になり、小舟の底に砂が触れた。東から来た者たちの目には、文官のような身なりの年寄りと、逞しい体つきの壮齢の漁夫と少年がはっきりと見えている。彼らの手に何の武器もないことに安堵する。
“ここにもごく普通に暮らす人たちがいるのだ”と思うと同時に、彼らの心には、ある驚きが沸き上がっている。貧しい身なりの漁夫と少年が、金色の髪をしているのだ。天からの授かりもの敬われ、ジュリアスとオリヴィエのような身分の高い者しか持ち得ないとされたそれを。
 西の者たちは、その場に立ち尽くしたまま、小舟に乗っている者たちの出方を待っていた。船を漕いでいる者は、皆、武官のようである。恰幅の良い身分のありそうな年寄りがいるが服装がその者たちと似通っていることから、一番身分が高いのは、船の中程に座っている三人の男たちの誰かだろうと考えている。そのうちの一人が立ち上がった。長身である。長く緩やかに波打つ金の髪に青い目、スイズの貴族のような風貌をしていると、漁夫たちは思う。
 ジュリアスは、足元が濡れるのもかまわず船から飛び降りた。続いて、オスカーとオリヴィエが続く。村長は、本能的に彼らの身分が高いと感じた。そして、教皇庁からの、【礼をもって接するべし】という通達を思い出し、とっさにその場に傅いた。漁夫と少年も慌ててそれに従う。そして……。
「ようこそ。お待ちしておりました」
 と頭を下げた。言葉が通じることよりも先に、待っていたと言われたことに、ジュリアスをはじめ、皆は驚き、思わず立ち止まった。村長は顔を挙げた。
「東……よりのお方でございましょうか?」
「確かに我らはあの海を越え東より参った者である。私はジュリアス。東よりの代表者……と今は申しておこう。今、何故、我らの待っていたと?」
 ジュリアスの言葉に、騎士団の者たちの間に緊張が走る。我らと変わらぬ容姿をしていても、やはり何か特別の力でも持っているのではないか、と。
「我が教皇様より、いずれ東より客人が来ると聞き及んでおりました故」
「教皇? それはこの地の王か?」
 ジュリアスが教皇を呼び捨てにしたことに、村長は一瞬、不快感を表す。ジュリアスはその表情を読んだが、かまわず「何故、教皇にはそれが判った?」と続けて問うた。
「教皇様は王ではありません。この地には、その国に応じてそれぞれの王がおります。教皇様は尊い方です。貴方方の事もそのお力故に、お判りになったのだと思います」
 騎士団の者たちは互いに顔を見合わせた。誰の心にも、王よりも尊い存在だという教皇なる人物の存在が気に掛かる。そして、誰もが、長く白い髭を蓄えた賢者のような老人を心に描いた。だが、ジュリアスは、少年のあの日、大山脈の向こうからふと聞こえた声の持ち主がそうなのではないかと思っている。
「あの……東からのお方、その教皇様よりの命により、貴方方の事は、すぐに報告せねばなりません。私はこの付近の漁村の村長に過ぎません。たぶん……教皇様よりのお迎えがあると思うのです。それまではどうかこの地に留まって戴きますよう」
「承知した。そなたたちの好意に心から感謝する。我らは一旦、船へと帰り、待機しておこう。ただ……」
「はい?」
「長旅故に、怪我人や病人もおり、船員は皆、疲労している。食料なども底を付いている。金貨が使えるならば、相応の物と交換願いたい」
「この先に船着き場があります。この漁夫に、そこに案内させましょう。食べ物や真水など必要なものは運ばせます。金貨は不要です。教皇様から手厚く持てなすように指示されております故」
「有り難い。重ねて礼を言う」
 ジュリアスは、頭を下げると、村長たちはようやく立ち上がった。
「儂は、教皇庁のお役人に連絡してくる。お前たちは、お客人を、船着き場へと先導しなさい」
 村長が漁夫にそう命じると、見知らぬ者たちとの同行に少年が怯えた顔をした。そして、騎士団の者たちが、腰につけた長剣をチラリと見た後、父親の影に隠れた。
「大丈夫。失礼なことはしないと誓うよ。君たちが良い人で本当に良かった。もし恐い人たちなら困ると思って、剣を持ってきただけなんだよ」
 ヤンは笑顔で少年に話しかける。父親の背中から顔だけを覗かせた少年は、青い瞳でじっとヤンを見つめる。
「ジュリアス様と同じ青い目だ……」
 思わずそう呟いたヤンに、少年は、「違わいっ。母ちゃんと同じだよ!」と言い返した。
「君のお母さんも青い目なんだね。すごいなあ」
「なんで、すごいの?」
「だって青い目は、天からの……ううん、すごく綺麗だものなっ」
 ヤンにそう言われて、少年は嬉しくなり、少しだけ笑顔を返した。
「船着き場まで案内してくれるかい?」
 ヤンがあらためてそう言うと、小さな頭がペコンと頷いた。騎士団の者たちも小さな微笑みを浮かべて、漁夫と少年に頭を下げたのだった。
 

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