第八章 蒼天、次代への風

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 スモーキーから返されたブローチを、ルヴァは、愛おしそうに見つめた。
 「貧しい所で育ちましたから、純粋に自分だけのものというのを私は持っていなかったんです。衣類も本も、食器も誰かと共有。ダダス大学に入ってからも、今は、自分のものでも、後で必ず村の後輩に譲る予定があるとかですしね。でも、これを貰った時……、これはずっとずっと自分だけの物で誰にも渡せない……そういう物に固執する気持ちが初めて生まれたんですよ」
 ルヴァは、照れくさそうにしながら言った。
「私もそうだ。ルヴァとは違い、私には、私だけのものばかりあったが……。自分だけの為に作られた衣装や家具……。だが、かえって、どれも自分の物としての感情が希薄になる。何かを自分の側に置くために欲しいとねだったことなどないのに、これを見つけた時、いつも持っていたい と思ったのだ」
 そんな風に語るクラヴィスとルヴァを、リュミエールは、羨ましそうではあるが、優しげな表情で見つめていた。
「お二人の宝物……のようなお品なのですね」
 ルヴァは素直に頷いた。このブローチに触れる時、自然と、前向きな気持ちになれる。そして、フローライトのことも思い出すのだ。

「思えば……これを手に取って眺める時の感情は、夜空にある聖地を見る時のそれと似ている。私にとっては、複雑な思いで。それでも、自分とは切り離せない絆をそこに感じて安らぐのだ、気持ちが」
 クラヴィスは、随分と暮れかかってきた空を見上げる。山の頂の直ぐ辺りに、聖地が見えている。
「不思議なもんだな。クラヴィスにだけ見える聖地……」
 クラヴィスが見つめ続けている方向を、スモーキーも見つめるが、彼の目には聖地は見えない。ルヴァもリュミエールも二人と同じ方向を見つめた。
「あの〜、クラヴィス?」
 とルヴァは、ふうん……と唸るような微かな声を上げた後、言った。
「聖地って、どんな風に見えているんです? ええっと、普通の星よりか、ずっと明るくて、中心が白っぽい……銀色で、こうモヤモヤっと金色した光輪が取り巻いているように見えませんか?」
 首を傾げながらルヴァがそう言った時、クラヴィスは息が止まるかと思った。
「見えて……いるのか?」
「あれですよ……ね?」
 ルヴァは真っ直ぐに腕を伸ばし、聖地を指さした。
「いつからだ?」
「あ〜、わかりません。子どもの頃は見たことないですし、ダダス大学にいた頃も、ルダでも見た覚えはないですねえ。あまり夜空を意識して見たこともないですし……。ここの所は、歩きつかれて日が暮れるとすぐに眠ってしまいますし……。気づいたのは、今ですよ」
「教皇しか見えないはずじゃないのか?」
 スモーキーは、ルヴァを、しげしげと見て言った。
「そう聞いている。父と私にだけは見えた。教皇……というよりは、聖地からの力を持つ者が見えるということだと思うが」
「じゃあ、ルヴァにも、その聖地からのお力……があるってことになるぞ?」
「そんなものないですよ。私はクラヴィスのように、そんな“悪夢”は見ませんよ?」
 ルヴァが否定する横で、リュミエールが、何も言わず、上を向いたまま固まっている。その手が、横にいるルヴァの服の裾を引っ張った。
「リュミエール?」
「あの……あれが聖地なんですか?」
 声が震えている。
「私には、そんなに煌々とはっきりとは見えないのですけれど……でも、ぼんやりと」
「なんだぁ? 聖地の大安売りかぁ? 一体どれなんだ?」
 スモーキーは、再びその方向に向き直おり、もっと良く見ようと立ち上がった。
「スモーキー、目が悪いんじゃないんですか? 本当は割と誰にでも見えるものなんじゃあありませんか?」
 ルヴァも立ち上がり、スモーキーの背後から、再び、聖地を指さす。わからないと言う彼に、ルヴァは、むきになって、その方向を指し示す。その拍子にルヴァの手から、例のブローチがポロリ……とこぼれ落ちた。
「あらら……」
 慌てて拾おうと、しゃがみかけたルヴァに、「あ、私が拾います」と、座っていたリュミエールが手を伸ばした。
「年寄り扱いするなよ。目は良いんだから。ほら、あれか? 薄黄色っぽいヤツ? あれだろ?」
 スモーキーは、ルヴァの背中をポンポンと叩く。
「違いますよ、あんなの普通の星じゃありませんか? ほら、あれ、……雲のせいか少し見えにくくなってきましたけど、あれですよ。あの山の頂の少し上の所ですってば……もう」
「そんなもん無い、絶対、その方向に星なんざぁ、ない」
 スモーキーは、顰めっ面をして座り込んだ。ルヴァもそれに続く。
「やっぱり俺には見えない。ということは、お前たち三人には、あるんだ、その力がよ。そういうことになるだろ」
 スモーキーが拗ねたようにそう言い放つと、皆は、クラヴィスにその答えを求めるように見つめた。
「母上にも、セレスタイトにも見えなかった。どういうことか私にもわからない」
「あの……」
 クラヴィスが、そう答えた横で、リュミエールが控えめに声をあげた。
「クラヴィス様、ルヴァ様……。私、見えると言いましたけれど、ぼんやりとしていたんです。でも、今、これ……を持っていると、はっきりと見えるのですけれど……」
 拾ったルヴァのブローチを、差し出しながらリュミエールが不思議そうに言った。ルヴァがそれを受け取る。
「おや? ……おや?」
 ルヴァはブローチを持ったり、手放したりしながら、首を傾げた。
「何をしているのだ?」
 クラヴィスは、奇妙な動作を繰り返すルヴァを止めた。
「このブローチを持っていると、一段とはっきり明るく見え、手放すと少しぼやけるようなんですよ!」
 リュミエールも頷いている。
「ちょっと二人とも貸してみろ」
 スモーキーは、再度、ルヴァからブローチを取り上げ、さらにクラヴィスのものも取り上げた。そして聖地の方向を見上げた。
「お……」
 と腹の底から響くような声をスモーキーはあげた。
「見える……のか?」
「見えるんでしょう?」
「見えますか?」
 クラヴィスとルヴァ、リュミエールが同時に尋ねた。スモーキーは、小さい子どものようにコクン……と頷いた。
「クラヴィス、お前はどうなんだ? これを持ってる時と持ってない時と見え方が違うのか?」
「いや、一緒だ」
「ルヴァとリュミエールは、差があるという。ってことはだな、聖地よりの力とやらが、クラヴィスにはたくさんあって、二人には少ないってことだよな? 持ってないと何も見えない俺は、やっぱり何の力もないんだ」
「あ〜、そういうことになりますかねぇ?」
「で、この二つの装飾品には、聖地を見せる力……があるわけだよな?」
 ひとつひとつの疑問を整理しながらスモーキーは言う。
「そのよう……だな」
「この装飾品は、聖地で造られたものではないでしょうか? それで、何か不思議な力が備わっているのでは?」
 リュミエールは、スモーキーの手元を覗き込んでいる。
「クラヴィスのものは、過去の教皇様の持ち物だったというのですから判りますけれど、私のものも?」
「同じ金枠ですし、きっとそうなんですよ。ずっとずっと昔、何かの折りに聖地から誰かが賜ったものが巡り巡って、ルヴァ様の元に」
 リュミエールは、興奮したように言った。
「なあ、もしや、その宝飾品は、持ち主を選んでるんじゃないのか?聖地からの力を持ってる人間の所に。もしくは、それを手にいれたから見えるようになったのかも。不思議な石の力だよ。そうのってあるじゃないか、ほら、持ち主が必ず非業の死を遂げるなんていうバカでかい宝石の伝説みたいに何かしら見えない力が働いて」
 スモーキーは、それぞれの石をクラヴィスとルヴァに、返しながら言った。
「例えが悪いぞ、スモーキー」
 クラヴィスは、嫌な顔をした。
「でも、それだと、リュミエールだって聖地が見えるんですから、これと同じ様なもの、持っていなくちゃならない事になるでしょう?」
 ルヴァが、リュミエールを見ると、彼は首を振った。
「私、持っていません」
「持っていないと思っているだけかも知れないぞ。お前専用の宝物庫の片隅に転がってるのかも知れないじゃないか?」
 スモーキーは、リュミエールを、からかったつもりだったが、リュミエールの方は真顔である。
「そ、そうかもしれません。いつも宝石類は、侍女たちが衣装に組み合わせて持参するので、私は入ったこともなくて」
 スモーキーは、ふん……と鼻息を荒くし、ルヴァは苦笑した。
「ともかく、やっぱり聖地……だな。聖地によって、お前たちは出逢うようになっていて、ついでに、俺も、ジンカイトも、引き寄せられてる。小さなつむじ風が、周囲に関与しながら次第に大きな竜巻になってくみたいにな」
 スモーキーは、複雑な表情をして言った。

「ねえ、クラヴィス。貴方が聖地からの力を持っているのに、それをちっとも有り難く思うこともなく、むしろ、疎ましいような気持ちさえ持っているのを、なんて恐れ多いことを……と、ちょっと解せなかったんです。あの“悪夢”が辛いことだとしてもです。かけがえのない大切な力なんですから。けれど、今、私にも聖地が見えたことで、貴方の気持ちが少しわかってきましたよ。自分の意志とは違うところで、何かに、何者かによって動かされてるような感覚が、どうにも……こう、しっくり来ないと言うか……。それがたとえ、良い方向に向かっていることだとしても 。どうして私に聖地が見えるのか? このブローチは、本当に聖地縁のものなのか? 判らないことだらけですね……」
 ルヴァは、手の中のブローチを見つめてしんみりと言った。 スモーキーまでもが、腕組みをしたまま、聖地の方向を無言で見据えている。例の石を持っていない今の彼には、聖地は見えていないのだが。
 リュミエールは小さな溜息をついて、同じように聖地を見る。彼もまた石を手にしているわけではないので、ぼんやりと見えているだけだ。クラヴィスが言うように、燦然と輝いているようには見えない。ただひたすら尊いものだった聖地という存在が、彼らの中で、大きな疑問へと変わっていく。 クラヴィスだけが、いつもと変わらぬ風である。
「クラヴィスだけ先輩面してやがる。もういい。もういいじゃないか? 判らないものは判らない。いずれ判る時が来るかも知れないし、そうでないかも知れない。 いくら考えても答えが出ない時は、投げ出しときゃいいんだ」
 スモーキーは、そう言って立ち上がった。そして、クラヴィスとルヴァの肩を叩き、「そろそろ飯にしよう」と言って、立ち上がるように促した。彼らが立ち上がると、スモーキーは、何かを思い付いたように「ふん……」と頷くと、クラヴィスとリュミエールの手を取った。石を握りしめているクラヴィスの手の上に、リュミエールの手を置き、自分の手を重ねる。さらに、きょとんとしているルヴァの手を重ね合わせた。そして、スモーキーは、聖地のある方向を見た。
「皆で見よう。こうすりゃ、四人とも、同じ明るさの聖地が見えるはずだろ?」
 皆の目にはっきりと聖地が映る。
  その時、少し向こうの方から、大男が「おおーい、円陣組んで、何やってんだあ? ジンカイトたちが飯を用意してくれたぜぇー」と、叫んだ。
「綺麗だ、聖地は……。けど、今は、腹が減ったよな」
 重ねた手を振り解き、わざと戯けた足取りで、スモーキーは、大男のいる方向へと走り出した。 つられて数歩、歩き出したものの、ルヴァとリュミエールは、聖地が気になるようで、ついその方向に視線が行ってしまう。
「私たちも急ごう。お前たちは、もういつでも見られるだろう?」
 クラヴィスは、笑顔でリュミエールとルヴァの背中を押した。教皇となるべき者にしか見えないはずの聖地が、その訳は判らないけれども、今一番近しい所にいるこの二人にも見える事が、クラヴィスの気持ちを軽くしていた。 

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