第八章 蒼天、次代への風

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 教皇庁に到着したリュミエールは、大聖堂のある建物に隣接している三階部分にある控えの間へと通された。そこは、さして広い部屋ではないが、窓からはスイズ王都が望める見晴らしの良い部屋だった。重厚な扉を開けたとたん、先に来ていたルヴァとスモーキーが振り返る。その表情は、笑いを噛み締めているような妙な感じである。クラヴィスは部屋の中央に座らされて 、支度をしているようだが不機嫌な顔をしている。
「遅くなりまして、申し訳ありませ……ん」
 異様な雰囲気にリュミエールは、何事かと思いながら小さな声で挨拶をした。すると、クラヴィスは、傍らの側仕えに「リュミエールが来た。支度はもういい。お茶の用意を」と言いつけた。そう言われた側仕えは、一瞬戸惑って返事が遅れた。クラヴィスが、まさにギロリ……という感じで睨み付けると、側仕えは慌てて退室し て行った。
「あの……どうかなさったのですか?」
 リュミエールは、クラヴィスではなく、ルヴァとスモーキーに向かって尋ねた。
「新教皇様は、おかんむりなんだよ」
 クックッと笑いながらスモーキーが答える。
「あの側仕えが、何か無礼なことでも?」
「いえいえ、式典のお支度に、皆さん一生懸命なんですけどねえ、クラヴィスが……」
 ルヴァも笑っている。
「よってたかって私を何に仕立て上げるつもりだ」
 クラヴィスだけが怒っている。
「何にって、教皇様の晴れの日に相応しいようにしようとしてくれてるんじゃないかあ」
 スモーキーは、よっぽどおかしいのか、腹の辺りをさすりながら答える。
「そうだ。教皇だ。婚礼の支度ではないのだぞ」
「落ち着いて下さい、クラヴィス様。一体、どうなさったのです? ご立派な衣装、よく似合っていらっしゃいますのに……」
 リュミエールはクラヴィスの法衣を改めてじっくりと見る。皇妃が刺した衿飾りの刺繍は、細やかで素晴らしく、濃紺を選んだのは正解だったようで 、クラヴィスの髪や肌にも映え、格調高く見える。純白のローブに金糸と銀糸で刺された神鳥は、今にもそこから抜け出て飛び立たんばかりの美しさである。
「この法衣は気に入っている。が、遠目からでもよく目立つようにと、私の髪に、この粒を取り付けようとするのだ」
 クラヴィスは、憮然と傍らのテーブルの上にある細かなガラスの粒を顎で示した。光がそこに反射してキラキラと煌めかせるための飾りである。確かに婚礼の際に暗い色合いの髪をした花嫁がより華やかにみせようと使うことがある装飾品だった。
「は、はあ……これがお嫌だったんですか……」
「それだけではない。この私の顔に、化粧を施そうとしたのだぞ!」
 クラヴィスはそう言うと、完全にむくれて、ふてくされたように椅子に深く座り込んでしまった。
「化粧ったって、ほんの少し、頬と唇に色を差す程度なんだ、クラヴィス、それくらい仕方ないじゃないか」
 スモーキーは、笑いながら宥める。
「昨夜、クラヴィスは、またあまり眠れなかったんですよ」
「あの……例の“悪夢”……のせいですか? 平和になっても教皇様のご苦労は、やはり続くのですね……」
「ああ、そうなんだとよ。今は怒ってるからまだマシだが、さっきまで青白い顔をしてたんだ。唇の色もなくてな。元気に見せようと女官長が、気を利かせたんだが……」
 スモーキーは、例によって頭を掻きながら、チラリとクラヴィスを見た。
「紅を差されまいと嫌がってるクラヴィスに、スモーキーが、可愛いくして貰えって言ったものですから……」
 ルヴァの告げ口に、スモーキーは、大人げなく口を尖らせた。
「何だよ、冗談で言っただけなんだぞ」
「ふん、大体、華美にはするなとあれほど言ったのに、皆でよってたかって……」
「クラヴィス様、皆、この日を心待ちにしていたのですよ。ここに来る道すがら、沿道で貴方のお姿を一目見ようと待っている民たちの顔のなんと明るかったことでしょう。どうか 、そんな険しい顔は、お止めになって下さい。スモーキーも、成人なさったクラヴィス様に、可愛いは無礼でしょう、私でも怒りますよ」
 リュミエールは、やんわりとそう言うとスモーキーとクラヴィスを交互に見て、二人を諭すようにまさに、にっこりと微笑みかけた。
「あー、リュミエール、今日は貴方が一番、大人ですよ」
 ルヴァがそう言うと、スモーキーは、小声でブツブツと「ああ、もう、悪かったよ、茶化して」とクラヴィスに謝った。
 クラヴィスとて本気で怒っていたわけではなく、スモーキーに頭を下げられると、ふんと顔を逸らしたその後、にやり……と笑った。
 そのタイミングを扉の陰からまるで推し量っていたように、側仕えたちが、お茶と菓子を運んで来た。彼らはようやく笑い合いながらテーブルに着き、近況を報告し合った。やがて、正装姿の執務官たちが入ってきた。
「もう間もなく正午でございます。各国の要人の皆様方も続々と大聖堂へとお入りになられています。全員の着座後、門前が民に開放されましたら、皇妃様、教皇様とともに、大聖堂正面よりお出まし下さい。リュミエール様は、錫杖をお持ち戴き、ルヴァ殿は神鳥の旗を……」
 もう幾度となく聞かされた式典の手順を、クラヴィスは、スッと手を挙げて遮った。
「承知している」
 クラヴィスは、ふう……と軽く深呼吸をした後、立ち上がり、バルコニーへと出た。緩い風にクラヴィスの髪がふわり……と後に流れる。
「すごい人だな……」
 スモーキーは、クラヴィスの後から、バルコニーの下に広がる広場の端から端を見渡した。その位置からは、教皇庁の正門から大聖堂へと続く正面広場が望める。正門から民たちが、衛兵の引率の元、列を組んでびっちりと埋め尽くしながら歩いてくるのが見える。祝福の為に、皆、その手に、花や小さな鈴や鐘を持っている。
 
「自分の中では、何ひとつ、けりがついたわけではないのだ……。教皇になることも、聖地に召されたという兄の事も、この訳のわからぬ宝飾品のことも。もやもやとしたままに私は今ここにいるのに……」
 欄干をギユッと握りしめクラヴィスが、ぼそっと呟いた。大きな背中や、立派な法衣にそぐわぬ、まだやっと成人したばかりの若者らしい彼の本音に、スモーキーもルヴァもリュミエールも、穏やかな眼差しを向ける。ルヴァとリュミエールが、 そんなクラヴィスを挟むようにしてスッと横に立った。彼ら自身もきっと同じ様な気持ちなのだろう。
 スモーキーは、やや下がったまま、まだ若い三人の後ろ姿を見つめていた。自分の年の半分ほどの彼らが、大きな責務を負い、これからの、この世の中の担い手となっていく。どれほどの不安が彼らを包んでいるか想像するのは容易い。自分でさえ、教皇庁管轄地の鉱山を任される立場となり、その重責に溜息の出る時もあるのだから。彼らにかけてやる言葉もないままに、スモーキーは、クラヴィスのすぐ背後に立った。ただその肩に手を置き、不安を分かち合うことだけでも出来れば……と。
 その時、教皇庁の一番大きな鐘が、高らかに鳴った。
「正午の鐘だー」
 群生の中からどよめきが聞こえる。その鐘の音を合図に教皇庁にある全ての鐘が鳴り出した。教皇庁内だけではなく、近辺の小さな礼拝堂、各村にある時刻塔、あらゆる鐘という鐘が一斉に鳴り響く。
 スイズ王都のみに留まらず、多生の時差はあるにせよ、ヘイヤ、教皇庁管轄地の鉱山、ルダ、ダダス、東の辺境フング荒野に点在する町、この大陸のあらゆる場所で、新しい教皇誕生の祝いの為に鐘が鳴り響く。重なり合う鐘の音に、クラヴィスは空を見上げた。
「なんという蒼天だろう……」
 秋風の吹き渡る高く青く美しい空に、クラヴィスを思わず目を細める。
 この音は、セレスタイトにとどいているのだろうか? と。
 そして、あの日……大山脈の向こうに感じた名も知らぬ者のことがふと思い浮かんだ。まだ若い、高潔な意志を感じる力強い声だった。クラヴィスは、豪華な法衣の下に忍ばせた例の宝飾品に触れる。聖地を見せる力を持つ不思議な石、ルヴァとリュミエールもそれを持ち、互いに惹かれ合うように自分たちは出会い、ここに存在している。聖地の導きの元、いつの日にか、あの者とも逢える日が来るのかも知れない……とクラヴィスは思う。

「クラヴィス、そろそろ参りましょうか」
 神鳥の旗を掲げているルヴァが、クラヴィスが促した。リュミエールは、錫杖を大事そうに抱え込むようにしている。
「よろしく頼む」
 クラヴィスは、二人に小さく会釈すると、スモーキーに向かって「行ってくる」と言った。
「ああ。俺も裏口からすぐに大聖堂に向かうよ。お前の晴れ姿、見せて貰うよ。緊張して転ぶなよぉ」
 スモーキーの軽口に、クラヴィスは微笑んだ後、今まで、彼に対してしたことのないほど深々と頭を下げた。言葉には尽くせない多々の思いを込めて。そして、スッと顔を挙げたクラヴィスは、しっかりと頷くと大聖堂へと向った。階段を下ると、大聖堂まで続く長い廊下に出る。一歩、一歩、歩く都度に、リュミエールの持つ錫杖に付けられた鈴が澄んだ音を立て、ルヴァの持った神鳥の旗が、ゆるやかに舞う。正午と共に鳴り始めた 幾つもの鐘の中を、差し込む日差しに包まれて、クラヴィスは、今はただ、まっすぐに前を見据えて歩いていた。

 

神鳥の瑕 第二部 終

あとがき