第六章 帰路、確かに在る印

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 クラヴィスたちが、汚れを落としている間、スモーキーたちは食堂へと向かった。助かった者たちがいた吉報に、鉱夫たちは喜びあっていた。スモーキーたちは、たちまち取り囲まれ、食べ物のある席に皆が誘われた。採掘場の鉱夫たちが、ルダであったことを改めてスモーキーたちに尋ねている間、ルヴァとリュミエールは所在なさげに、その末席に座ると差し出された料理を食べ始めた。粗末なものではあったが、野草や乾物のみでここまでやって来た者たちにとっては、久しぶりのまともな食事だった。
 その食事を終えた頃、扉の付近で、歓声が上がった。助かった者たちが、風呂で汚れを落とし、食堂にやって来たのだった。サクルが皆に頭を撫でられている姿を見て、リュミエールは改めて、彼が本当にまだ子どもだったのだと認識する。
「あんなまだ小さい子が、坑穴で働いているだなんて……」
 自然と出たリュミエール呟きに、横にいた鉱夫が頷いた。
「元々、サクルの父親だけが出稼ぎで、ここに来てたんだよ。去年の夏だったか、かみさんが病気で死んじまってなあ。仕方なしにサクルはここに引き取られたんだ。食堂の下働きなんかをやらされてたんだが、スモーキーが、ルダに行ったとたん、役人が規約を破って、鳥持ちを、させやがったんだ」
 鉱夫は、苦々しい顔をしてそう言うと、助かった者たちの側に労いの言葉をかけるために、立ち上がった。スモーキーもまた立ち上がると、ルヴァたちに、「ほったらかしにしてすまねぇが、もう少しここでくつろいでてくれ。ちょっと連中と話を聞いてくる」と言った。
「ええ……お茶でも頂いています」
 ルヴァとリュミエールは頷き、側にあったケトルに入ったお茶をコップに注ぐ。
「お茶……というよりは、白湯ですね。これ」
 とルヴァは一口飲んでそう言い、笑った。
「でも、温かいだけでも有り難いことですね」
 リュミエールは真顔で言った。食べ物や飲み物があるだけでもまし……、そんな底辺の生活を目の当たりにして、リュミエールは、前にもましてスイズ王城での王族と一部の貴族の生活の在り方を恥じ入るようになっていた。
 
 ルヴァとリュミエールから離れて、サクルたちのいる席に移動したスモーキーは、そこにクラヴィスの姿がないのに気づいた。
「クラヴィスはどうした?」
「風呂は一緒に上がったよ。疲れちゃって小屋に戻ったのかなあ」
 サクルが小首を傾げながら答えると、スモーキーは、「ちょっと、見てくらぁ、用があるんでな」と言い、食堂から出た。辺りはもうすっかり暗くなっている。スモーキーが辺りを見回すと、風呂場のある小屋の前に置いてある腰掛け用の丸太に、一人ぽつんと座っているクラヴィスらしい輪郭が見えた。

「よう、クラヴィス、飯、食わないのか?」
  スモーキーは、話しかけながら彼の側まで行くと、隣に座った。
「風呂場で、サクルの親父に、俺たちの事、聞いたか?」
「ああ……。そっちも大変だったようだな」
「教皇庁に訴えに行くことも聞いたか?」
 クラヴィスは黙って頷いた。
「 お前はこれからどうする? まだここに留まるつもりか? 前から言おうと思ってたんだ。罪人でもない、読み書きも計算も人並み以上に出来るお前なら、何も鉱山で働かなくてもいいだろう? 事情があるのかも知れないが……」
 クラヴィスは、まだ何も答えられずにいる。
「一緒に教皇庁に行かないか? 命がけで訴えに来た者を、教皇様は無下にはなさらない。他の連中は、東の辺境の鉱山に回して貰えるだろうし、それぞれの能力に応じて別の職を紹介して貰える場合もある。お前なら、 鉱夫じゃなく、事務職を貰えるだろう。行ってみる価値はあるだろう?」
「あんたは? あんたこそ、どうして長年、こんなところで働いている?」
 クラヴィスは、自分のことから話題を逸らすように、逆にそう尋ねた。
「俺か……。俺は、鉱夫でないといけない訳があったのさ。つまりは罪人だ。でもまあ、とっくに年季は明けてるんだが。別に行く当てもないし、そのままずるずると鉱山暮らしというわけさ。もう若くもないし、役人の不正やなんかがなけりゃ、それなりにここの生活は気に入ってたしな」
 “罪人……”
 初めて知ったスモーキーの過去の一部に、クラヴィスは少なからず驚いていた。誰からも好かれ、正義感も強い彼がどんな犯罪を犯したのか想像がつかない。
「よけいなことを聞いて悪かった……」
 クラヴィスは素直にそう謝った。
「別にかまわん。お前を見ていると、ずっと若い頃の俺を思い出すんだ。なんだか幸せになること、生きることを諦めちまってるような。年季が明けた時、俺ももっと前向きになってりゃ良かったと思うことがある。あの時は、まだいろんなことが吹っ切れなかった。今の自分は嫌いじゃないが、別の生き方もあったと思うと、少しだけ悔やむ気持ちがあるんだ」
 スモーキーは、らしからぬ曖昧な態度でぼんやりとそう言った。
「ま、お前にとっちゃ、おせっかいかもしれんがな。教皇庁ってのは、この大陸のヘソみたいな場所だからな。それにスイズ王都は本当に美しい町だ。それを築き上げる為に、どれほど多くの民の血と汗が使われたかはともかくとして。見てみるだけでも価値があるだろう。人生が変わるかも知れないぜ」
 スモーキーは、何かを想い出しているような目をして言った。
 “知っている……”
 とクラヴィスは心の中で呟いた。スイズ王都とその中にある教皇庁の美しさを、どんなにかよく知っているだろう……と。
“あの暗い坑道を歩きながら、生きて出られたら父に手紙を書こうと思っていたが……”
 クラヴィスは、そっと視線を落とした。実はずっと坑道の中での男たちの話が気になっていたのだ。定例の音楽会にも出られないほどに、教皇の体調が悪い……と。
「本当を言うとな。教皇庁に行く道すがら、手伝って欲しいことがあるんだ。俺は、スイズのダークス搾取の証拠の帳簿を持ってるんだが、教皇様の御前で申し上げるには、きちんとまとめとかないとな。出来れば、現場での数々の不当な扱いについても文書にしておいた方がいいだろう。そういうものを作る手伝いが欲しいんだ。字の読み書きはもちろん、ちゃんとした書類を作るとなると、なかなか鉱夫たちの中に出来るものはいない」
 クラヴィスが、まだ黙っていると、スモーキーはさらに言葉を続けた。
「ルダから来た文官と従者の事は、風呂で聞いたか?」
「ああ、大体聞いた。故郷の村が巻き込まれたと……」
「彼らにも手伝って貰おうと思っている。彼らの目的は、スイズとダダスの戦いの中止だが、今の状況を変えなきゃならないっていう気持ちは同じだ。四人で手分けすりゃ、すぐにそんな書類、出来上がるさ。ただ彼らは、鉱山の現場の事はあまり知らないから、そこのとこよく承知のお前が助けてくれればなあ……と思ったんだ。けど、お前の将来を心配してるって気持ちは嘘じゃないぜ」
 スモーキーは、そう言うと、クラヴィスの返事を待った。クラヴィスは、まだ迷いが残ってはいたが、ついに小さく頷いた。そして、「スイズ王都についたら……別行動を取ってもいいか?」と言った。
「別行動? 教皇庁には一緒に行かないのか?」
 スモーキーは、怪訝そうに言った。クラヴィスは複雑な心中のまま頷いた。
「鉱山の契約があるだろう? ここから勝手に出ることは、それだけで罪になる。教皇庁に行って申し開きし、免罪符を受けないと、後々面倒なことになるぜ?」
「いいんだ。それでも……」
 今はそう言うしかないクラヴィスに、スモーキーは、不思議そうに顔をしたまま頭を掻きむしった。
「ワケのわかんねぇヤツだなあ、お前も。まあ、いい。道中、気が変わったら一緒に教皇庁に入ろうや」
 スモーキーは、立ち上がった。
「飯、食えよ。ここから出たら、しばらくまっとうな物は食えないんだぞ」
 スモーキーは、食堂に行こうと、クラヴィスを誘う。
「風呂上がりで体が火照ってるんだ。もう少しだけ風に当たってから行く」
 クラヴィスがそう言うと、スモーキーは、彼の肩をポンと叩き去って行った。
 また一人になったクラヴィスは、ふうっ、と大きな深呼吸をし、夜空を見上げた。ここ何年か、努めて見ないようにしてきたものを天上に探す。座っている位置からは見えないと判ると、立ち上がり、振り向いた。小屋と小屋の合間から、“あの星”が見えた。
 聖地。 前にもまして明るく見えるのは、同じ力を分かつ父……教皇の力が弱まり、その力の総てが自分に移行しているせいなのだろうか?……そう思うと、クラヴィスは、また辛そうに俯いた。今更、戻ってどうなる? と問いかけてくる自分と、いつまで逃げているのだ? と叱咤する自分の間で、クラヴィスの心は揺れ動いた。
「いつまでも何してるんだ、もういいだろ? 早く来いよ」 
 その時、クラヴィスの背後で、声がした。ハッとして、振り返ると、スモーキーが、食堂の入り口に立っていた。
「来いよ。飯が冷めちまう」
 スモーキーは、そう言うと、クラヴィスを手招きした。
「ああ」
 クラヴィスは、彼の元へと駆け寄った。食堂に入る間際、ふと、振り返ってまた夜空を見た。
 聖地が、燦然と輝いている。
 ずっと、ずっとあの星は、自分の頭上で輝いていた。東の辺境に行っていた時も、鉱山の採掘場にいる時も。身を隠したつもりでいても、総てを見透かすように、いや……見守るように……? 
 クラヴィスは、「結局、そういう運命か……」と、呟いた。それを聞いたスモーキーが、首を傾げた。そして、訳がわからないのに、「何か知らんが、自分でどうこう出来るものは、 運命でも何でもない。どう足掻いても、どう堪え忍んでも、どうしようもないのが運命ってヤツなのさ。お前が、それを運命だと思ったなら、運命になっちまうんだよ。嫌なら、運命だと思わないこった。さあ、どうする? 運命でいいのか?」と悪戯っぽく笑って言った。
「とりあえず、運命でいい」
 クラヴィスは、スモーキーの重い言葉とは反比例する態度に、小さく笑いながら、気の抜けたようにそう答えた。
「とりあえず、か……」
 スモーキーは、クスッと笑って、クラヴィスの肩を叩いた。
“そうだ……今は、それでいい。セレスタイトこそが、教皇になるべきなのだという気持ちは変わってはいない。それを言葉と態度に表して説得するのだ。今の私ならば言える。あの坑道から上がってきた時のように、腹の底から、声をあげて伝えるのだ。その為に、帰る……教皇庁へ。そこまでは、運命でいい。教皇にはならない、それを運命にするつもりはないぞ”
 クラヴィスは、ようやくそう決意した。
 だが……。タダスとスイズの戦いや、鉱夫たちの訴え事などで、荒れたこの大陸の表面上の事とは違う、深い処で、世界は変わろうとしていた。クラヴィスの意志だけでは抗えない聖地の意志が、静かに彼に迫っていたのだった。

第六章 帰路、確かに在る印 終
第七章 光の道、遙かなる処 へつづく

 

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