第二章 聖地、見えない星

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 大陸横断列車の駅舎は、人が勝手に入り込めぬよう閉ざされた鉄門の内にある。門前にやって来たクラヴィスたちを衛兵が止めた。列車を利用できるのは、限られた者たちだけであり、教皇庁の承認が必要になっている。すかさず武官の兄の方が、持参していた証明書を提示する。
「こちらは、ジェイド公の親戚に当たられる若様だ。書類に不備はなかろう。早く通してくれ」
 書かれている内容は、もちろん偽りのものだが、間違いなく教皇庁の発行した証書である。急かされた衛兵は、慌てて門を開ける。重い門が開かれ、執務室の集まったような建物の内部を通り過ぎると、そこに列車が停まっていた。
 荷物の積み入れを急ぐ者たちに混じって、あきらかに身なりの違う者たちが僅だがいる。クラヴィスはその者たちの中に、見知った者を見つけ、スッと背中を向けるようにしながら列車に乗り込んだ。
「クラヴィス様、どなたかご存じの方が?」
 武官の兄が、クラヴィスの背後から小声で言った。
「兄の成人の儀の時に見た者がいる」
 クラヴィスが、そういうと武官の兄の顔が曇った。
「あの時、僕……私は正装していて髪も束ねていたから、向こうは気づいていないようだ。気にすることはないだろう」
 道中、彼らを相手に、言葉使いや所作などの練習をするようにと言った父の言葉を思い出し、クラヴィスは、セレスタイトのような口調でそう言った。
「ですが、お忍びということになっております故、くれぐれもお気を付け下さい」
「わかっている」
 クラヴィスは短く答え、指定された自分のキャビンへと向かった。
 列車は五両編成になっており、そのほとんどは荷物や列車を動かすための燃料が積まれている。各国の要人、学術的な研究の為、特別に許されて乗っている者、教皇庁から地方に向かう役人など の限られた乗客は、そのうちの一両にある個室を用意される。
 窓際の席に座り、クラヴィスは発車を待った。やがてプラットホームに、どやどやと頑強そうな男の一群がやって来ってきた。皆、年齢は様々ではあるが、薄汚れた仕事着と布袋を下げている。彼らはクラヴィスの乗っている車両とは別の貨物と同じ車両に乗り込んでいく。何事かと窓の向こうを覗き見たクラヴィスに、武官の弟が「あれは荷物や便りなどを運ぶ者たちですよ。ルダやダダスあたりからの出稼ぎですよ」 と教えた。彼らが乗り込んだのを合図のように、ベル打ち鳴らしながら駅員がホームを足早に歩いていく。そして、列車はゆっくりと動き出した。
「いよいよですね。若様は、列車での旅は初めてですか?」
と武官の弟が言った。
「ああ……いや。二度目だ」
 初めてだ、と言おうとしてクラヴィスは、そう答え直した。ヘイアから教皇庁へ引き取られることになった時、初めて列車に乗った。教皇庁の役人に連れられて。
“スイズの都の中に教皇庁があるのですよ。それはそれは立派で美しい建物です。お父上にお逢いして、大聖堂でお母様のご病気が良くなるようにお祈りをしましょう。ほんの十日かそこら……お祈りをしたらすぐにまた戻って来られますから”
 見るからに穏和そうな初老の役人は、クラヴィスにそう言った。大聖堂で祈れば母の病気はよくなると思っていた。だから列車に乗れるのが、幼いクラヴィスは嬉しくて…………。
“随分、長いこと祈り続けたものだ……もうとっくに母さんはいないけど……”
 彼はその時の事を思いだし、フッ……と情けないような表情をして微かに口端を上げた。そんなクラヴィスの心中を知らず、彼の表情の上辺だけを見た武官の弟は、「なかなか楽しいご旅行だったんですね。自分たちは、ジェイド公のお供で何度か。でもこれは旅行とは言えませんね」と陽気に言った。と、兄の方が、無駄口を叩くな、とばかり眉間に皺を寄せ弟を睨み付けた。
 
 列車は、スイズの都を離れ、田畑が続く一帯を越える。その辺りからだんだんと景色はうら寂しいものになっていく。実った穂の続く畑や紅葉している林は美しいものではあったが、その合間に点在する村落の家々は、どれも小さく粗末なものばかりだった。ふと、クラヴィスの脳裏に、断片的ではあるが、ヘイアでの暮らしのぶりが蘇ってくる。近くに鉱山と工場がある町だった。人も多く、それほど貧しい町ではなかったと思うが、大きな屋敷に住んでいるのはほんの一握りの者だけだった。大抵の者は小屋のような家に住んでいた。クラヴィス自身も、伯父の経営していた酒場の屋根裏を寝床にしていた。
 教皇庁とスイズの都、この十年、自分がいかに特別の場所にいたのかをクラヴィスは改めて思った。
 やがて集落が一切見えなくなり、昼を過ぎたあたりから深い森林地帯にと列車は入った。延々と続く同じ様な風景の中で、それでもクラヴィスはじっと窓の外を凝視し続けた。陽が落ち、客室係の者が、ランプと食事を持ってやって来るまで。
 出された食事は極めて簡素なもので、クラヴィスが普段、口にしているものとは比べものにはならなかった。それでも食事がきちんと盆に載せられて出されるだけ まし、貨物と同じ車両に乗っている人足たちは、各自持参した乾物で次の停車駅まで食い繋ぐのだと、武官の弟は言った。
 その食事が終わった後、武官の兄は、クラヴィスを隣室に案内した。扉を開けると、靴を脱ぐ僅かな空間程度しかなく、後は、簡易ながら清潔な寝台が部屋いっぱいに置いてあった。
「狭い所でご不自由をかけますが、若様はこちらでお休みください」
「お前たちは?」
 クラヴィスたちのキャビンは、この寝室と先ほどまで彼らが座っていた所と二間だけであった。
「私どもはあちらで」
「そうか……」
 長椅子では座ったまま足を投げ出して寝るのが精一杯だろうと思うと、二人に対して申し訳ない気持ちになったクラヴィスだが、こういう事にも慣れないといけないのだろうと思いながら、努めて素っ気なく答えた。
「では、おやすみなさいませ」
 クラヴィスが靴を脱ぎ、寝台の上に座り込んだのを見た武官の兄はそう挨拶し扉を閉めた。
 クラヴィスは、上着を脱ぎ、襟元を緩めて、ごろんと横たわった。まだ眠るには少し早い時間ではあったが、室内はほとんどなにも見えない。唯一の灯りは、扉の一部に張られた磨りガラスから漏れてくる武官たちのいる部屋のランプの灯りだけだった。 酒か、何かをグラスに注ぐ音がしていた。やっと任務から解放されてホッとしたような気配がクラヴィスにも伝わってくる。それは彼も同じことだった。
 武官の弟の方は、明るい気質らしく、何かを尋ねればすぐに、はきはきと答えてくれていたし、兄の方はそつのない態度で、お茶や食事など、クラヴィスが何も言わなくても気を回してくれていた。クラヴィスの苦手な、何かを詮索しようとするような素振りも、媚びて気に入られようとするような態度も見受けられず、この旅の共としては申し分ない者たちだと言えた。だが、やはり、常に自分の側に誰かがいるのは疲れる……と、クラヴィスは思いながら、ぼんやりとしながら眠気が来るのを待っていた。

 しばらくして眠気がやってきたものの、環境の変化と揺れの為に、なかなか深い眠りにまで落ちることの出来ないクラヴィスは、小一時間ほどの後、目を覚ましてしまい、水でも飲もうかと起きあがった。
 扉の向こうの灯りは付いたままのようだったが、武官たちがまだ起きているかどうかと扉のすぐ近くでクラヴィスは耳を澄ました。二人が、ぼそぼそと話す声が聞こえていた。
「……だから、あまり若様に馴れ馴れしくするんじゃないぞ」
「判ってるって、兄貴」
「尋ねられたら答えてもかまわんが、自分からは喋るな。情が移る」
「移りゃしねぇよ。でも、まあ無口な若様で良かったよな。十五というからまだ子どものようだと思ってたけど、俺たちとほとんど背も変わらないし」
「その点は良かった。あまりに幼いお方だとこっちも辛い。まあ、自分の任務を忘れなきゃそれでいい。そろそろ寝るか。おい、酒の瓶を仕舞え。もうこれ以上、飲むと明日に差し支える」
 武官たちは、自分に話す時とは違う砕けた喋り方でそう言い合うと、ごそごそと靴を脱ぎ、足を伸ばすような物音が聞こえた。クラヴィスは、二人との間の今更ながらに距離感を感じ て、仕方なく水を飲むのを諦め、再び横になった。

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