第八章 1

  
 ホゥヤンの領都は、元々は王都があったところである。やや高台に建てられている城は、外壁も低く、クゥアン城よりもずいぶん小さな居城である。それでも、一国の城らしく内装は美しく整えられており、馬の名産地だけあって、馬の毛で編んだ壁掛けが至る所に吊されていた。
 先の戦いによってクゥアンの配下に置かれた後、謁見の間や広間などがある主塔を執政の場とし、後宮のあった離れの塔を、ホゥヤン領主の住居と定めて使われていた。
 泉の館での一件により、ホゥヤンの政は完全に止まり、普通ならば、日参してくるはずの文官たちは、自宅で息を潜めるように事の成り行きを見守っていた。誰もいない主塔は静まりかえってはいたが、離れの塔ではホゥヤン領主と、彼の側近 数名が、クゥアンのジュリアスからの指示を今か、今かと待つ日々が続いていた。

“どうも落ち着かんな。蛇の生殺し……とはこの事だな……”
 と思いながらホゥヤン領主は、手にしていた筆を無造作に投げ捨て、手慰みに描いていた絵に一瞥をくれた。
“最後にやり取りした内容からすると、そろそろジュリアスがこちらに出向いてくるはずだ……ジュリアスの動向をいち早く知らせるように言ってあるのだが……”
 彼は、ツ・クゥアン卿からの書状の返事がまだ来ない事に苛ついていた。そんな彼の元に側近の一人が、書類の束を手にやって来た。
「なんだ?」
 ホゥヤン領主は、その側近に気怠そうに問い掛けた。
「ロウフォン殿がいないため、宙に浮いた形になっているホゥヤン領内各地域からの陳情書の類を持ってまいりました。 早急に対処しないと、春からの作物の植え付けに支障が出ると思われる分のみですが。それと、仰せの通り、泉の館の火事後はもう調べ尽くしましたから引き上げさせました。本宅には今日も動きはありません」

「やはり焼け死んだとみて間違いない……か。まあ、やつらの事は、もうどうでもいい。だが、一応、本宅の見張りは、今しばらく続けさせておけ。なかなかいい館だ、いずれ私の物になる」
“そうだ、あの二人が生きていたとしても、ジュリアスがいなければいいのだ。とっととジュリアス送り出せ。何をしているんだ、ツ・クゥアン卿は”
 ホゥヤン領主は心の中でそう思うと、渋々、書類を受け取った
「前はこんなものは、全てロウフォンに回していたのだがな。おい、適当に対処しておけ」
 最初の一枚だけを見て彼はそう言い、書類を突き返そうとした。
「良きに計らうにしても、お目くらいは通して頂きませんと……」
 側近は困った顔で、書類を受け取らずそう言った。
「こういう冴えない事も、パーッとした事の後でならばする気にもなるが……」
 文句を言いながら、再度、書類に目をやった彼の元に、また別の側近がやって来た。
「まったく、入れ替わり立ち替わりだな。どこにも出掛けられない、仕方なしに絵筆を取ったって一向に進まん。今度は何だ?」
「はっ、本街道にいた見張りから伝令が届きました。クゥアンから騎士団がこちらに向かっているとのことです」
「ついに来たか! 待ちかねたぞ、ジュリアス」
 ホゥヤン領主は思わず腰を浮かせた。
「いえ、それが……ジュリアス王はいらっしゃらないようです。赤い長衣の騎士団、三十騎ほどがこちらへ。明日、朝にはこちらに到着するかと思われます」
「赤い長衣……第一騎士団か? ジュリアス直属の騎士団だな……チッ、本人はお出ましにはならなかったか。ツ・クゥアン卿め、今一歩の所で腰が退けたか。まあいい。いずれにせよ、勅命を持参しに来たのであろう。出迎えの用意でもしておけ。そこそこの宴でいい。私が正式に、新ホゥヤン領主となった時の為に、良い酒はとっておけ」
 ホゥヤン領主は上機嫌でそう言うと、書類に目を戻したものの、とたんに襲ってくる眠気に大欠伸をする。
「眠くてたまらん」
 彼は、卓台の上に書類を投げ置いた。パラパラと上の数枚が落ちたのにも気にとめず、長椅子に横になる。そんな彼の横で、側近が、微かな溜息をつきながら床に散らばった書類を掻き集めた。
 
 翌日早朝、ホゥヤン領主の館に第一騎士団が到着した。一通りの挨拶をした後、ジュリアスからの良報が読み上げられると思い込んでいるホゥヤン領主は、騎士長が、書状を取り出したのを見て微笑んだ。
「これよりクゥアン王ジュリアス様よりの勅命を申し上げる」
「謹んでお受け致しまする」
 神妙にそう言ったホゥヤン領主を見て、騎士長以下、騎士団の者たちは心の中で嗤っていた。
「ホゥヤン領、ホゥヤン領主は、只今より第一騎士団によってその身柄を拘束し、領内の一切の権限と財産を剥奪するものとする」
 騎士長がそう読み上げると、ホゥヤン領主は「はぁ?」と間の抜けた声を出し聞き返した。側近の者たちが互いに顔を見合わせる。騎士長は、ジュリアスの署名が入った書状を彼の目先に突きつけた。
「観念なさいませい。一切は明白になっておりますぞ」
 ずいっと一歩前に出た騎士長を、払いのけるようにホゥヤン領主は立ち上がった。
「ツ・クゥアン卿はどうなった?」
「何のことだ。我らは貴殿の拘束の為に来たのだ。以後、一切は問答無用。しばらくはこの部屋から出ることは叶わぬ。申し開きならば、追って場を設けることになると思うので神妙になさったほうが御身の為ですぞ」
 騎士長はそう言い、後に控えていた者たちに合図を送った。部屋の窓と扉付近に騎士が待機する。
「他の側近の者は退室するよう。追って沙汰あるまで、この館内に止まること。勝手な行動には容赦しない」
 そう言われて側近の者たちは無言で頷きあい部屋を出て行く。騎士長もそれに続こうとする。
「何かの間違いだ。何の根拠があって私を拘束しようなどと! ジュリアス様に、ツ・クゥアン卿にすぐにお目通りを!」
 ホゥヤン領主の叫びを無視して騎士長は扉を閉めた。

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