クゥアン城でジュリアスたちが民を迎えていたその頃、ラオとヤンは、ホゥヤンに向かう途中にある村の農家にいた。
朝一番にクゥアン城を出たラオは、年寄りとはとうてい思えないほどにを馬を飛ばした。馬に水を飲ませる程度の休憩の時間しか取ろうとしない。その間は、体をほぐす運動を軽くするだけで、ヤンが、話しかけても「後で説明する」と言ったきり無言である。事情を知らされていないヤンは、訳の解らないままラオに着いて行くしか無かった。日暮れになり、小さな村に入ったラオは、大きな農家の扉を叩き、一夜の宿を乞うた。納屋に眠る事を許してもらい、幾ばくかの金を渡すと、暖かい食べ物も碗に貰うことが出来た。
「年越しの祭目当ての物売り。今年は人手が多くて、思ったより早くに売り切れて年内に帰路につけた……だなんて……爺ちゃん嘘が上手いなァ」
ヤンは、碗の中の粥をかき込みながら言った。
「嘘も方便じゃ。……だが、後で自分に恥じるような嘘はいかんぞ」
ラオの方は、ゆっくりと噛み締めるように粥を食べている。
「なあ、爺ちゃん……。一体、何があったんだ? もう話してくれてもいいだろう? 俺たちは何処に行くんだ? 方向からしてホゥヤンだけど。そういえば昨日の夕方、ホゥヤン領主殿の一行が来たらしいけど、それと何か関係あるのか?」
ヤンがそう言い出すと、ラオは、粥碗を置いて話だした。
「……よいか。今から言うことは、決して口外はするな…………実は……」
ラオは、オリヴィエから聞いたことをそっくりそのまま話始めた。
翌朝。まだ夜が明ける前に、ラオとヤンはホゥヤンを目指した。ラオからこの急な旅の理由を聞かされたヤンは、その時こそ激情のあまり号泣したが、自分がオスカーの役に立つのだとの意を決し、ラオの後について無駄口を叩かずに走り続けた。クゥアンからホゥヤンへ、領内に入るだけならば二日ほどである。さらに城のある領都まで一日。馬を
走らせて都合三日の道程である。二人はさらにそれを半日以上も短縮し、三日目の
夜明け前に、ホゥヤンの都に入った。
ホゥヤンの領都の中心部は、まだ早朝ということもあり、行き交う人はほとんどいないが、そこそこの道幅があり、なかなか発達した町のように二人の目には映った。
「ここから南へ。………昼前には、館に着くだろう。泉の館とやらが事件の場所らしいが、それがどこかまったく判らぬからのう。下手に人に聞いて怪しまれるような事があってもいかん。ここはひとまずロウフォン殿の本宅へ向かい、館の者から事情を仕入れるとするか。それには、まず……」
ラオは、辺りを見渡した。野菜の籠を背負った女が通りの向こうを歩いているのを見かけた彼は、馬を降りると、女を追いかけようとした。
「爺ちゃん! どうしたんだ?」
慌てたヤンが馬上から声をかけた。
「ちょっと待っていろ。儂の馬の手綱を頼むぞ」
ラオはそう言って、走り去って行った。しばらくして息を切らせて、戻って来た彼は、籠いっぱいの野菜や果物を持っていた。
「いっぺんにそんなに買うなんて! 一刻でも早くロウフォン殿の館に急がないといけないのに。馬は身軽にしとかなきゃ……」
「誰が儂らの食料だと言った? 儂らは行商人、売る物がなくてどうする?」
ラオは、にやりと笑いヤンの馬の背中に籠を括り付けた。
「お前の方が軽いからな、辛抱せい。籠の中味を落とさんよう走れよ」
そう言うだけ言うと、直ぐに馬に乗ったラオは南に向かって走りだした。
やがて辺りが明るくなり、二人の頭上近くに太陽が昇る頃になって、ロウフォンの館近くまで二人は辿り着いた。
「確かこっちのはずじゃ……」
ラオは地図を取り出して確かめた。
「間違いないのか? 爺ちゃん。ロウフォン様の館なんて来たことないんだろ?」
ヤンも心配そうに地図を覗き込む。
「オスカー殿から大体の位置は聞いて知っているし、昔、ジュリアス様の供で、母上のご実家の牧場には、何度か来たことがあるのじゃ。その牧場の位置から推測すれば、間違いない。それにロウフォン殿の館は、
ホゥヤンでも、一、二の立派なものだと聞くからすぐに判る
はず」
ラオは、やや馬の速度を落とした。延々草原と畑が続き、やがて坂道の向こうに、館の屋根らしきものが見えてくる。
「あれだよ……きっと」
ヤンは、緊張した面持ちで前方を指さした。ラオの方は、すぐ目前にある小屋を凝視していた。道の両脇に広がる畑で使うための農具を入れる粗末な小屋である。その小さく切り取られた窓から人影が動くのが見えている。
「ヤン……気をつけろ。あそこの小屋に誰かいる」
「え? 農夫じゃないのか?」
「今は農閑期、ましてや年明け早々、畑に何用じゃ。それにこちらを伺っておったぞ」
ラオは小声でそういうと、それまでしゃんとしていた背中を、わざと丸めて、いかにも物売りの年寄りの風情を出した。もう少しで通り過ぎる……という時、小屋の扉が開いた。出てきたのは、手に剣を持った兵士である。
「おい、待て。何処へ行く? この先はロウフォンの館だそ」
年寄りと少年なのを見て、さほど用心をしていないようだったが、兵士の手は剣にかかっている。
“ロウフォン……と呼び捨てにした……兵士風情が……。ということは、この者は、ロウフォン殿と敵対している者の手下か……”
ラオは心の中でそう思い、愛想笑いを浮かべながら「へぇ、ご覧の通り、ロウフォン様の館に、食べ物を売りに行きますのじゃが……」と言った。
「物売りか……」
兵士は少し考える仕草をした。すんなり通したものかどうか思案しているようだった。
「もう行ってもええじゃろうか? こんなもんしかないが、良かったらひとつ」
ラオは、ヤンの馬に積んだ籠の中から果物をひとつ取りだした。
「よし、行っていいぞ。だが、門前で追い返されるかも知れんぞ」
兵士はそれを受け取りながら言った。
「へぇ? どうしてまた? いつも儂ら、すんなり通して貰えておるがのう」
「お前らにゃ関係ない。さぁ、行った行った」
兵士に追い立てられた後、坂道を上がりきってしまうと、ロウフォンの館の門前がはっきりと見えた。兵士が五人ほど立っている。彼らはラオとヤンの気配に、一斉に振り向いた。
「ヤン、おどおどしてろよ」
ラオはそう言うと、自分もキョロキョロと辺りを見回しながら、門前へと馬を歩かせた。「どっこいしょ」と大袈裟な声をあげて馬から降りたラオは、「あのう……儂ら、いつもここに食べ物を売りに来るもんじゃが……」と言った。
兵士たちは互いに顔を見合わせた。
「どうする? いいのか?」
「ただの爺とガキじゃねぇか、かまわねぇんじゃないか」
「一応、上のお方の了解を取ったほうがいいんじゃないのか?」
「そうだな。もうじき交代の者をつれてお戻りになるから待たせるか……」
兵士たちの会話を聞いてラオは、また先ほどの手を使おうと籠の中を見た。だが、五人全員に渡せるほど果物は残っていない。
“すぐに食べることのできない野菜ならあるが、こんなものを手渡しても仕方ない……“とラオは思い、もう少し様子を見ることにした。その時、ラオの後から、「爺ちゃん、いつもすぐに通してくれるのに何だよ。おいら、腹減ってんだ、とっとと売り払って帰りたいよ」と泣き出しそうな顔をしてヤンが言った。
「黙っておれ、儂だって早う帰りたいわい。寒さで腰は痛いわ、鼻水は出るわ。どこで油を売ってたかと婆さんはうるさいだろうし」
「だから年明け早々、物売りに出るのはやだって言ったんだ。どうせ年末にたっぷり食べ物なんか買われてるはずだからやめようって言ったのに」
「やかましいわい。年明け一番に売りに行けば祝儀が出るかも知れんのじゃ。文句言うな、ばかたれが」
ラオはヤンの頭を小突いた。
「痛ってぇ。何しやがる、くそ爺が! 農夫や物売りだなんてやってられねぇ! おいら兵士になる。兵士ってかっこいいもんな。なあ、おいらも兵士にしてくれよ、その上のお方とかに頼んでくれよ。おいら、これでも馬の扱いは結構、上手いんだぜ」
ヤンは、一番、体格の小さい兵士に縋り付いて、そう言った。
「子どもの言うことじゃ、取り合わんでくだされ。お前が畑を耕やさんでどうするのじゃ。兵士さんから離れろ」
ラオはヤンの襟首を掴む。
「頼みます、どうか通して下され。儂にはこんな馬鹿でも大事な跡取りの孫ですのじゃ。腹が減って気が立ってるだけですのじゃ。この籠の食べ物を売ったら、すぐに出てきますから、どうか」
暴れるヤンを押さえつけながらラオは言った。
「ああ、うるさいやつらだ。もういい、行け。行け。とっと戻ってくるんだぞ」
ついに兵士からそう言われ、ラオとヤンは、あたふたと門の中に入った。館の敷地内に入り、兵士の目から遠ざかると、ラオはヤンの頭をクシャクシャと撫でた。
「お前の馬鹿っぷりが役にたったな。まあ、素だとも言えるがの」
「爺ちゃんこそ、もうろくぶりが板についてたよな」
二人は笑い合った。その後、ヤンが真顔になってポツリ……と「爺ちゃん……クゥアンを出て以来、久しぶりに笑った……な」と言った。
「そうじゃな……」
ラオもしんみりとそう言った。
「それにしても、兵士たちが館に詰めているなんて。やっぱりロウフォン様は謀反人扱いなんだろうか? 上の方って、ホゥヤン領主のことかな?」
「ホゥヤン領主付きの騎士……だろう。だか、このことで儂はロウフォン殿とオスカー殿が、ご無事の可能性が大いにあると確信したぞ」
「そうか! もし死体がもう上がっているんなら、館にこんなに厳重に見張りを置くはずないものな。まだ見つかつてないんだ……二人が、逃げ帰ってくるかも知れない……そう思って張ってるんだ」
「さよう……さあ、行くぞ、ヤン」
ラオは、館の重厚な扉の前に取り付けられている、重い鉄の輪を持ち上げて、二度、三度と打ちつけた。ややあって、扉が少し開いた。不安げな男の顔が覗く。風情から館の執事であることが判る。ラオとヤンが持っている籠を見た彼は、「物売りか……」と安堵し、中に二人を招き入れた。
「本当なら裏に回らせるところだが、今は取り込み中でな。すぐに厨係りの女を呼ぶので待て……」
そう言って去って行こうとした執事の裾を掴んだラオは、小声で「今、しばらくお待ちください」と言った。腹から響く凛としたその声に、執事は振り向く。
「?」
訝しげに二人を見た執事に、ラオは薄汚れた上着を開け、そこに着込んであるクゥアンの紋のついた皮の胸当てを見せた。
「それは……クゥアンの!」
執事が驚くと、ラオとヤンは頷いた。
「我らは第一騎士団の者。事情を伺うべく馳せ参じました」
ヤンがそう言うと、執事はその場に崩れんばかりになった。
「よく……よくぞ、いらして下さいました。私にはもう何がなんだかさっぱり……ここではなんですから、奥の居間へ……」
緊張が解けたのか目に涙を浮かべた執事は、彼らを居間に誘った。
居間に入るとすぐに執事は話だした。
「門前の兵士たちをご覧になったでしょう。ロウフォン様とオスカー様が泉の館に出向かれたその日の夕暮れから、ずっと入れ替わり立ち替わり兵士や騎士たちが見張っているのです。何事かと問いましたら、ロウフォン様が、ホゥヤン領主に謀反を起こしたと聞かされました。館に戻ってくる可能性もあり、包囲すると。館の側仕えたちも大半は、実家に戻らされてしまい、残っているのは、私と庭師の年寄りその連れ合いで厨係の女だけでございます。なんとか詳しい事情をと、
見張りの兵士に酒を差し入れ、聞き出した所によると、泉の館は全焼し、取り残されたロウフォン様、オスカー様、ともに既にお命はないはずと……何故、こんなことに……」
執事は流れ落ちる涙を拭いた。ラオは、オリヴィエから聞いた事を、伝えた。
「とんでもない! 仲違いしていたのは、クゥアン領主とホゥヤン領主です。ロウフォン様は間にたって、お一人でこの領土の政を治められていたのですよ! 泉の館での会合も、ホゥヤン領主殿から申し入れがあって急遽行われることになったのです」
執事は、怒りを露わにしてそう言った。
「それは間違いありませんか?」
「はい。オスカー様がいらした次の朝、ホゥヤン領主からの使いが、書状を持参し、それを受け取ったのは私です。ロウフォン様は、事態が変わるかも知れないとたいそうお喜びになって、手配に出掛けられました」
それを聞くとラオとヤンは互いに顔を見合わせた。
「オスカー様が来られた次の日だなんて、偶然だなんて思えない……」
ヤンの呟きに、ラオも頷いた。
「オスカー殿がこの館に到着したことをホゥヤン領主は知り、会合の申し入れを出した……二人が結託して謀反を起こしたかのように見せかけるために……。ホゥヤン領主に、オスカー殿の行動を密告していた者がいるはずだ。オスカー殿が南の領地に視察に出掛けたことを知る人物、それはクゥアンの……城付きの誰か……」
ラオは頭の中を整理するように呟いた。オスカーの事をよく思っていない騎士仲間の顔が、二、三人ほど思い浮かぶ。
「爺ちゃん。泉の館に行ってみよう。もしかしたら、お二人とも、どこかに逃れられているかも知れないし。怪我でもされていて付近に潜伏されているかも知れない」
「そうだな……。泉の館の位置を教えて貰えますかな?」
ラオは地図を取り出し、卓台の上に広げた。
「ここが現在地ですな。そしてここが、ホゥヤンの都領に続く主街道……儂らは、今、この道筋を通って来ました。ここらあたりから、民家がいったん途絶え、畑が広がりだして……」
ラオが差した道筋を見ていた執事は、そこからやや離れた川沿いにある一点を指さした。
「泉の館は、この辺りになります。現在地から、小一時間もかかりません。この川沿いに北へ、しばらく進むと林が見えてきます。それを目指して進みます。
登り道になっていますから、道が二手に分かれるところで、付近が見渡せる場所に来ます。右へ行くと、そのまま館へ出ます」
「どこかに逃れられそうな場所は?」
「この林の中か……もしくは……。裏庭は林に続き、少し行くと畑が広がり、村もあります。
左の道を進めば、その村に行く道ですが、藪の中を進むことになりあまり足場もよくありません。けれど、人目につかずに村に入れます。もしかしたらこの村に逃れ
ていらっしゃるかも……」
「付近の村か……真っ先に敵方が調べるだろうけど……」
ヤンは心配そうに言った。
「泉の館の管理人の夫婦を始め、庭師や下働きの女たちは、ほとんどがこの村の者たちです。館から逃げ出せたとしたら、村に避難しているでしょうが、皆、奥様がご存命の頃は、それはもう良くして頂いておりましたから、よもやロウフォン様を売るような真似はしますまい……」
執事がそう言うとラオとヤンは、立ち上がった。
「ともかく泉の館の辺りを探ってみることにします。今、しばらくは不自由な生活を強いられると思いますが、どうかお気を確かに。ともかく、泉の館での会合を仕組んだのはホゥヤン領主の方だったという事実だけでも、事の真相を知る大きな手掛かりになりましたぞ」
ラオは執事の手を両手で握った。館から出たラオとヤンは、大きく深呼吸し、門前へと向かった。
「おかげさんで持ってきたものは買うて貰えましたでのう」
ラオはぺこぺこと頭を下げて兵士たちの前を通り過ぎた。
「爺ちゃん、腹減ったよ〜、早く帰ろう」
ラオは馬を、たらたらと引っ張りながらそればかりを繰り返した。
「わかっとるわい。じゃ、失礼しますで……」
二人は馬に跨ると、ほっとしながらロウフォンの館を離れた。兵士たちの姿が見えなくなると、ラオたちは馬の尻に鞭を入れ、泉の館へと走った。小川の道沿いの枯れた草地を、全速力で駆け抜けた後、やや広くなった川幅に沿うように
、細かい石の道に出た。道の両脇に続く野原と畑は冬枯れしており、そこで子どもたちが、玉蹴りをして遊んでいた。どの子も新年のご褒美らしい菓子の類を手にしており、楽しげにしている。二人は、子どもたちを気遣い、速度を落として進んだ。やがて、やや先にこんもりとした林が見えた。執事の話からすると、その辺りに泉の館があるはずだった。上り道になり、辺りが見渡せる所まで来た二人は足を止め馬を降りた。ヤンは体をほぐす運動を繰り返し、ラオは地図を取りだした。
「道が二つに分かれる場所だ。それを右に行けば、そのまま館へ。左へ行くと、足場の悪い藪の中に続く道になる。遠回りになるが、人目につかず村へ入れるらしい……」
ラオは、執事から教えられた道を指でなぞりながら確かめた。
「くそぉっ」
ラオの横にいたヤンが、小さく呟いた。
「どうした?」
ラオは地図から顔を上げて尋ねた。
「爺ちゃん、ほら……ここから少ししゃがんで見てみなよ。木々の間にそこだけ黒く塗られたみたいにチラリと見えるとこがあるだろう。あれが泉の館だよ」
ヤンは涙声になっている。
「どれじゃ? ……ううむ……儂には見えん。間違いなく焼け跡なのか?」
ラオは何度も目を細めたり開いたりして確かようとした。ヤンはじっと一点を見つめてている。
「うん……間違いない。小さな泉の横に、瓦礫のようなものが見える。何か動いているのは、たぶん人だ……瓦礫を掘り返してるみたいだ。ちきしょう……」
ヤンは、握り拳を作って立ち上がった。
「よし。道は左じゃ。先に村に行こう。逃げおおせたものから事情を聞けるかも知れんでのぅ」
ラオは、ヤンを励まして再び、前へと進んだ。
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