第六章 4

 
 翌朝、身支度を調えたオリヴィエは、ジュリアスの元に行く前に、第一騎士団の営舎に向かった。辺りはまだ薄暗く、宿直に当たっている若い騎士たちは、眠っている時刻である。
 ラオは、“年寄りは早く目が覚めますのじゃ”と言って、非番の次の日は、誰よりも早く営舎に詰める。今日は特に年越し祭に、皆で食べる特製の料理を作るためにいつもより早く来ているはずだった。その事を知っているオリヴィエは、こんなに朝早くから営舎へと急いだのだった。
 営舎の扉を開けると、まだ居間には人の気配はなく静まりかえっている。昨夜、誰かが興じていたらしい五元盤が散らかったままの卓台の上に、ラオのラジェカルの皮が貼った帽子が置いてあり、厨の方から物音がしていた。
“ラオ爺、やっぱりもう来てたね……”
 オリヴィエは、営舎の一角にある厨に向かった。ラオが、大鍋を火にかけていたところだった。
「おはよう。ラオ爺」
 オリヴィエは、ラオの背中に声をかけた。
「おや、オリヴィエ様。どうなすったんです? こんな早くに。儂だってたった今、来たところですぞ」
 ラオは、鍋中を水を注いでいた手を止めて言った。
「ラオ爺こそ、はりきってるね」
「これは騎士団の名物の料理。これがないと年が越せませんからな。若い者にはなかなか良い味は出せんので」
 ラオは、足下の籠にたっぷりと入った野菜類と肉を指さし得意げにそう言った。
「ラオ爺……話があるんだ」
 木桶に入った水を鍋に流し込こんでいるラオに、オリヴィエは話を切り出した。
「おやおや、神妙なお顔で。何ですかな」
 ラオは、オリヴィエの為に椅子を引き、自分は野菜の入っていた木箱の上に腰掛けた。
「オスカーの事なんだけれどね……」
 オリヴィエは昨日、ホゥヤン領主から告げられた報告をラオに話した。オリヴィエが話し終えるまで、じっとそれを聞いていたラオは、ゆっくりと立ち上がり、天井を見上げて「ふぅむ」と小さく唸った。

「オスカーは、南の領地の帰りにインディラの港町に立ち寄ることになってた……船の土産話を持って帰るから一緒に年越しの祭に行こうって言ってたのに……」
 オリヴィエは、ポツリ……と呟いた。
「インディラ港?」
「ああ。船の仕上がり具合を確かめるためにね」
「モンメイとクゥアンを行き来するための船のことですな」
 それが、実は西へ行くために造られており、当初の予定より大幅に改造されているとはラオは知らない。
「その後、たぶんホゥヤンに立ち寄ったんだと思うんだ。そこで……。帰りが予定より三日ほど遅いからどうしたんだろうって思ってたんだけど……」
 オリヴィエが、そういうとラオは小首を傾げた。そして「ホゥヤンへはジュリアス様の命で立ち寄られたのでは?」と問うた。
「いいや。ジュリアスはそんな命は出していないよ。昨日、ホゥヤン領主から、オスカーの事を聞いて驚いたんだ。それにオスカーの戻りが遅いのを二人して心配してたんだもの 」
「ですが、昨日の午後、ホゥヤン駐屯地からオスカー殿よりのコツが参りましたぞ」
「え? コツって?」
 オリヴィエは聞き返した。
「クゥアン城と各駐屯地の間を文書を付けて飛ぶように訓練された鳥のことですじゃ」
「ああ、なるほど。モンメイじゃ、バードって呼んでる」
「儂は非番でしたので、当直の者が残した記録簿にその事が載ってました。今朝方、それを読んだばかりですじゃ。“ジュリアス様の命によりホゥヤンに視察に立ち寄るので帰りが遅れる”……と確かに記されておりましたぞ。」
「どういうこと……」
「インディラの港町を出て、ホゥヤンに入る手前の駐屯地からですから、恐らくそこで、ジュリアス様よりの伝令を受けた……と儂は解釈しましたが」
「ジュリアスはそんな命は出してないはず……。オスカーが自分の意志でホゥヤンに立ち寄ったんじゃないの……かな?」
「視察の途中、滞在した宿で多少、羽目を外すことがあっても、帰りに何日も私用で何処かに立ち寄ることなど、第一騎士団の者にはありえません」
 ラオはきっぱりと言い切った。
「けれど、自分の故郷の地だし、この年の瀬、戻ってももう仕事は休みなんだし……。例えば……旅の道すがら、ホゥヤンの内情を聞いたオスカーが心配して立ち寄ることにした……なんてことも考えられないかな?」
「それなら、ジュリアス様の命により……とは記しません。コツにはあまり長い文書は持たせられませんからのう。わざわざそれを記しているということは、必要があれば立ち寄った理由などの仔細はジュリアス様に聞くように……という意味が含まれます」
「ラオ爺、その文書は?」
「記録簿に挟んでありますぞ。取って来ますので待ってて下され」
 ラオが戻ってくる間、オリヴィエは、少し煮立ち始めた大鍋の中の湯を見つめて待った。静かに幾つもの水泡が浮き上がってくる。ひとつ、ふたつ……そして消える。その繰り返しを見つめながら、オリヴィエはそのオスカーからの文書の意味を模索する。
“どういうことだろう? ジュリアスの命により……って。オスカーが嘘をついてるの? それとも何か行き違いが? わからないことが多すぎる……調べないと……何が真実なのか……いや、それより、オスカーだ 。……生きてるの……ねぇ、オスカー、生きてる……?”

 「オリヴィエ様、持ってまいりました、これです」
 ラオは、小さな紙片をオリヴィエに手渡した。確かに見覚えのあるオスカーの筆跡である。この一件の調査の為、ホゥヤンに派遣する者は、第一騎士団以外の者にすべきだと、昨日、ツ・クゥアン卿が言った。彼が誰か騎士を手配し、ホゥヤン領主とともに行かせる事になっている。あくまでもこの一件の事情を把握するための調査で、オスカーの安否を第一優先にしているものではない……その事を、オリヴィエは思い出す。
「ねぇ、ラオ……」
 それを受け取りながら、オリヴィエは躊躇いがちに言い出した。
“オスカーの事を優先して調べてくれる人物を派遣したい……秘密裏に……“
 オリヴィエはラオを見つめた。何もまだ言ってはいないのにラオは、静かに頷いた。
「オリヴィエ様、この寒さでちと膝が痛みましてなぁ。年越しの祭の警備は、やはり年寄りには無理のようなので、勝手ながら休みを取らせて貰おうと思いますのじゃ。暖かい南の地方にでも湯治に行こうかと思いますのじゃが……」
 ラオは悪戯っぽく笑いながらそう言った。
「ラオ爺……」
 オリヴィエはラオの手を取った。
「儂は旅支度を調えます。オリヴィエ様は、ジュリアス様の了解をお願いします」
 ラオは、厨仕事の為につけていた前掛けを外した。
「いや、ジュリアスに了解を取っている時間はない。ホゥヤン領主は早々に帰路に付くだろう。クゥアンから派遣する騎士も同行するから、道中でかち合うような事があるといけない。一刻も早く向かわないと」
「そうですな。今ならまだ辺りは薄暗い……明るくなりきってしまう前に城下を抜けてしまえば……ホゥヤンまでの街道を本筋から外して進めばかち合う心配もありませんしな」
 オリヴィエとラオは、頷き合う。その時、厨にひょいと顔を覗かせた者がいた。 宿直当番に当たっていたヤンという少年だった。ヤンは、ラオの実の孫であり、その資質を買われ見習い騎士として第一騎士団に所属していた。
「爺ちゃん、早いなァ……あ、オリヴィエ様! おはようございます」
 跳ねるようにペコリと頭をヤンは下げた。ふいに現れた彼に、オリヴィエとラオは思わず言葉を飲み込む。奇妙な間を感じたヤンは、訳が分からないなりに気まずそうな顔をして立ち尽くした。
 ラオは“そうじゃ”と呟くと、オリヴィエに向き直って、「ヤンを同行させてもよろしいでしょうか? 行商人の姿にでもなって行きます故、子連れの方がなにかと便利かと」と言った。
「なんだよ、爺ちゃん、子連れって!」
 ヤンが、ふくれっ面をして言った。
「馬鹿者! ここでは爺ちゃんなどと呼ぶなと言っておろうが! ふう……。オリヴィエ様、こんな者でも剣と馬の扱いは確か。万が一の時、役に立ちましょう」
「判ってる。坊やの剣さばきは、ラオ爺譲りだものね」
 オリヴィエは、ヤンを見て微笑んだ。
「オリヴィエ様まで、坊やって言うんだから! それより何なんです?」
「説明は後。ヤン、お前、厩舎から、とびきり足のいいのを二頭連れて来い。大急ぎじゃ! 急げっ!」
 ラオはヤンの背中を強引に押してそう言った。
「何なんだよ……まったく……」
 文句を言いながらもヤンは、駆け足で去っていく。
「悪いね、ラオ爺。坊やまで借り出すことになっちゃった」
「なぁに。オスカー殿の事ですからな。放ってはおけません。ヤンは儂よりもオスカー殿に憧れて騎士になりたいと抜かしよったんですぞ!」
 ラオは苦々しい顔をして言った。その顔が、ふっと優しくなる。
「おまかせくだされ。どのような報告であれ、真実を、真実だけを持ち帰ります故」
 ラオの大きな節くれ立った手を、オリヴィエは、またしっかりと握りしめた。
 
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