第六章 3

 
 主塔のジュリアスの執務室へ続く長い廊下を、オリヴィエは足早に進む。下働きの者たちは、新年を迎えるための掃除の為に忙しく立ち回っている。オリヴィエの姿を見ると、慌てて手を止めてその場に平伏そうとする。
「ああ、いい、いい、そのままで。気にしないで。ご苦労様だね」
 オリヴィエは、手を軽く挙げたまま、駆けてゆく。
「ジュリアス!」
 オリヴィエは、ジュリアスの執務室の扉を開けて叫んだ。女官がジュリアスに王の長上衣を着せ掛けていたところだった。
「ホゥヤン領主が駆けつけたって聞いたんだけど、何かあったの?」
「早耳だな……」
「林道を行く一行を、騎士団の者が見てたんだよ。ホゥヤン領主って聞いたから、オスカーが戻ってくるのが遅いのと、何か関係があるかと思って……」
 オスカーは、本当ならば三日前には戻って来ているはずだった。
「判らぬ。謁見の間にて待たせてあるのだが、詳しいことはまだ私も何も聞いていない。今、ツ・クゥアン卿が対応してくれている」
「ワタシも同席していい? 口は出さないから」
「ああ、構わぬ。オリヴィエにも王衣の用意を」
 ジュリアスは女官にそう指示した。
「すまないね、お借りするよ」
 謁見に於いて正装することは相手に礼儀を尽くすことでもあり、自分と相手の身分をはっきりさせておく意味でも必要な事であった。女官は控えの間から、ジュリアスのものと似た金糸の長上衣を持ってきた。
「後は自分でするからいいよ。ジュリアス、謁見の間に急ごう。何か嫌な感じがするんだ」
 オリヴィエは、長上衣の襟元の飾り紐を結びながら歩き出した。ジュリアスとオリヴィエが謁見の間に向かった合図である銅鑼の音が廊下に響き渡った。掃除をしていた下働きの者たちが、 また慌てて廊下の脇に身を隠し、二人が通り過ぎて行くのを平伏して待った。
 
 二人が謁見の間に入ると、部屋の中央にホゥヤン領主とツ・クゥアン卿が待っていた。やや離れて、まだ帰宅せず城内に残っていた元老院の者が数名が控えている。双方が略式の挨拶を述べた後、ジュリアス は玉座に座ると、掌を下げる仕草をし、相手に着座を許した。普通は勧められても座りはせずに跪く者が多いのだが、ホゥヤン領主は、臆することなく優雅な仕草で玉座の前に置かれた椅子に腰掛けた。
“さすが元・王族ってことか……”
 オリヴィエは、冷静にホゥヤン領主を観察していた。取る者も取らず駆けつけた風情で、旅の汚れもまだ払っていない形をしていたが、身につけている物や物腰は、地方の一領主の ものではなかった。
“それにしても何事だろう?”
 オリヴィエはチラリとジュリアスを見た。ホゥヤン領主が話し出すのを待っている厳しい表情をしていた。その横顔が、深く頷く。話を始めよと促している。
 ホゥヤン領主は、クゥアン領主と自分、それにロウフォンの三人の間で確執が生じ、国の内情が不安定であることなど、訥々と自分の領地についての話を始めた。
「……ロウフォンは、潔癖な男です。クゥアン領主の怠慢が許せないらしく何かと対立していました。私は、なんとか二人を諫めようとしていたのですが、このままではどうにもならぬと思い、ロウフォンに話し合いの場を持つように申しました。堅苦しい会議場ではなく、腹を割って 話そうと、お互い、ロウフォンの泉の館に集まることに致しました……」
 ホゥヤン領主の虚実が始まった。苦渋に満ちた表情で彼が、そう言うと、そこでツ・クゥアン卿が口を挟んだ。
「こちらから派遣したクゥアン領主の怠慢については、ロウフォンからも報告が届いておりました。なんとか様子を見て、良き方向へと導いてくれまいかと返事をした矢先でした」
 改ざんされた報告書の内容しか知らないジュリアスは黙って頷く。
「私は少し遅れて泉の館に到着しました。その時、館の方で騒ぎ声がしました。慌てて駆けつけると……ロウフォンが……」
 ホゥヤン領主は目を伏せた。
「どうしたというのだ? 早く王に説明申し上げるのです」
 ツ・クゥアン卿が先を促す。
「ロウフォンが、クゥアン領主を亡き者に……その剣が胸に刺さっていました。騎士たちも交えての乱闘になっておりました」
「ロウフォンが……? 真か……?」
 それを聞いて初めてジュリアスは口を開いた。 ロウフォンについては、オスカーの父、というよりは、先のホゥヤン戦では、腐敗しきった王政を最後まで支えていた実直で勇敢な人としての印象がある。よくよくの事がなければ、そのような行動を取る人物とは思えない。ジュリアスが訝しげにしているのを見て取ったホゥヤン領主は、さらに項垂れて話し出した。
「ロウフォンは、父、兄の時代、ホゥヤン国によく仕えてくれておりました。国がクゥアン領になった後も、後釜に座るような形になった私を、よく立ててくれておりました。私が不甲斐ないばかりに、クゥアン領主から、敗戦国の役立たずな領主とあからさまに罵りを受けていたこともありましたので、ロウフォンは我慢が出来ずに、そんなことになってしまったと……」
 毒にも薬にもならない気弱で善良な、借り出されて仕方なく領主の地位に付けられた前王の弟……誰の目にも彼はそういう風に映っていた。
“下手に自分を正当化せず、むしろ卑下する。だがしかし、決して卑屈になっているわけではない……。我の強い父王や兄王の背後で、のらりくらりと好きなように生き抜いて来た処世術の賜だな……”
 若い頃から彼をよく知るツ・クゥアン卿だけが冷ややかに、ホゥヤン領主を見ていた。
「クゥアン領主の怠慢の責任は、彼を派遣し放置していた私にも責任があります。ロウフォンが、ホゥヤン領主を思いやっての行動でしたらば、罰の軽減を……」
 ツ・クゥアン卿がそう口添えすると、ジュリアスは頷いた。
「その通りだ。詳しい報告書をあげ、元老院にて裁決を取らねばなるまいが、ロウフォンについてはホゥヤン領の代表権を剥奪し、一時謹慎程度の……」
「お待ち下さい!」
 ジュリアスの言葉を遮り、ホゥヤン領主は叫んだ。

“さあ……ここからだ、よく聞くがいい、ジュリアス王よ……”
 ツ・クゥアン卿は、誰にも気づかれぬように深く息を吸って、それをゴクリ……と飲み込んだ。
 ジュリアスは一瞬、気分を害したものの、王の発言を遮ることがどれほど無礼であるか知らぬ者ではない、何を言いたいのだ?……と思い直し、彼の発言を待った。
「ロウフォンは……私をも! クゥアン領主を亡き者にした後、止めに入った私にも刃を向けました……」
 ホゥヤン領主は、瞳を閉じそう言った。
「あのロウフォン殿が? 何故に?」
「切れ者と噂されるロウフォンのことじゃ。二人を一気に亡き者にし、自分がホゥヤンの……」
 元老院の者たちは、互いに顔を見合わせて、口々に呟いた。ホゥヤン領主は、彼らに向かって頷くと話を続けた。

「……供の者が 、館の外で待機していた騎士たちに助けを呼び、館内の敷地で、双方の者たちの乱闘が始まりました。同時に、厨には、昼食の名残火があったらしくそこから火の手が上がり火災にも至りました。私は、なんとか戸外に逃げようとした時、ロウフォンの息子に捕まってしまい……」
「待って! ロウフォンの息子?」
 思わず言ったのは、それまでジュリアスの横で黙っていたオリヴィエである。
「確か……名前はオスカー……と」
 それを聞くと、元老院の者たちは、またざわめき始めた。
「オスカーは確か、南の領地へ視察へ行ってたはずでは?」
「南へ行くには、ホゥヤン領を通る。立ち寄ったのだろう……もしや、最初からそれが目的でこの時期に視察を?」
「静かにしないか! 憶測で物を言うのはやめなさい。申し訳ありませんな、ホゥヤン領主殿……」
 ツ・クゥアン卿は元老院の者たちを咎め、ホゥヤン領主に話の続きを促した。
「オスカーは、私に斬りかかって来ました。私が何故、こんな裏切りを? と問うと、お前が無能なせいで父が苦労をしていると。そしてお前がいなくなれば、必然的に、ホゥヤンは父一人の手に委ねられる。クゥアン領主の死も、 自分との相打ちということで、ジュリアス様には報告してやるから後の事は心配せずに死ぬがいい……と!」
 ホゥヤン領主は、それまでの弱気な態度を一変させ、初めて怒りを露わにした。
「それは真にオスカーか?」
 ジュリアスは、静かに尋ねた。
「面識はありませんが、ホゥヤンでも珍しい赤毛をしておりましたし、ロウフォンがオスカーと名を呼んでおりました」
「オスカーめ! ジュリアス様から信頼を得ていることを図に乗りおって! これはもはや、クゥアンに対する謀反とも取れますぞ!」
 後列に控えていた元老院うちの誰かが思わずそう言った。他の者も同意するように頷いている。
「それで、そなたがここにこうして参っていると言うことは、オスカーはどうしたのだ?」
 ジュリアスの声はあくまでも冷静ではあった。ホゥヤン領主は首を左右に振った。
「供の騎士の助けが入り、私はなんとか逃げました。その後、館には火の手が一気に広がり……恐らくはロウフォンもオスカーもその中で……」
“なんだって!”
 思わず叫びそうになったオリヴィエは、それをぐっと堪えた。
「私が館から出た後、ロウフォンとオスカーが館から出た気配はありません。私はこの事を、一刻も早くジュリアス王にお知らせすべく、駆けつけて参りましたので、後は家臣に任せました。焼け落ちた館の跡から、二人の屍が上がっているかも知れません」
 それを聞くと、ジュリアスがスッと立ち上がった。
「すぐにホゥヤンへ行く。支度を!」
 そう言ったジュリアスの前にツ・クゥアン卿が制しに入った。
「今から出向かれては、年越しの儀に間に合いません」
 年越しから新年にかけて、城下は元より各領地からもクゥアン城に向けて民は参拝にやって来る。今年はオリヴィエの存在もあって、その規模は例年の倍以上……とも予測されている。
「王が不在では、民はどんなに落胆するでしょう。それに不在の理由も生半可なことではすみますまい 。まだ事態がはっきりとしない以上、事を公にするのは時期尚早かと思われます」
“ジュリアス王の表情はさほど変わってはいない。だが、年越しの儀の事を、失念するほど焦ったか……”
 ツ・クゥアン卿は、控えめにそう言うと、ジュリアスの言葉を待った。ジュリアスは再び、玉座に座り直した。
 そして「では、調査に第一騎士団の者を出向かせよう」と言った。それにも、ツ・クゥアン卿は賛成しなかった。
「騎士長であるオスカーの事を、調べさせるのは酷です。冷静さを失い、ホゥヤンの騎士たちと悶着を起こす者もいるやも知れません」
 もっともな理由であった。ジュリアスは、そこで初めてきつく瞳を瞑った。
「他の信頼の於ける者を、ホゥヤン領主殿が戻られる時に、随行させましょう」
 ツ・クゥアン卿の言葉に、ジュリアスは頷いた。
「私も領地の事が心配です。すぐに引き返します故。詳しい報告書は、戻りましたらすぐに改めて」
 ホゥヤン領主は椅子から立ち上がり、ジュリアスの玉座の前に跪いた。
「そなたに、暫定ではあるが、ホゥヤン領の全権を委ねる。追って正式な文書は届けさせよう。帰路に必要な者があれば、用意させる。ツ・クゥアン卿、よろしく頼む」
 ジュリアスの言葉に、ホゥヤン領主は、深々と礼をし立ち上がったが、そのとたん、ふらり……と体が揺れた。それを一番、間近にいたツ・クゥアン卿が受け止めた。
「お恥ずかしいところを……」
「昼夜、馬を飛ばして来られたのだ。お疲れが出たのでしょう。今宵は我が館にて休息をとられ、明日、帰路に付かれるのが良い。ジュリアス王、私はこのまま、ホゥヤン領主殿を送って参ります」
 ツ・クゥアン卿は、ホゥヤン領主に肩を貸したままの姿で、そう言った。そして、他の元老院の者たちに「よいか、この事は仔細がはっきりするまで口外してはならぬぞ」と釘を刺して退室した。

 扉を出てすぐ、ツ・クゥアン卿は、ホゥヤン領主の肩から手を離そうとした。
「今、しばらく手を貸していてくれ、目が回っている」
「今のは芝居ではなかったか。さすがのそなたでもこの旅は心底、疲れたと見える」
「違う……。そなたはもう慣れてしまっているのかも知れぬが、あの目に見つめられると射抜かれそうになる。あの目の前で嘘を付くのは、この私でもさすがに緊張したぞ……それに……横に控えていたあのモンメイの王子も……」
 ホゥヤン領主は額の冷や汗を拭い小声でそう言った。
「ふらつくだろうが、早くここから離れよう。我が館で今宵はゆるりとするがいい。明日になれば、まだ芝居の続きが残っている……」
 ツ・クゥアン卿に促されて、ホゥヤン領主は主塔から足早に消えた。

 二人が謁見の間を去っても、ジュリアスはそのまま玉座から動こうとしない。オリヴィエもまた。残された元老院の者たちは、こそこそと一人、また一人と理由を付けて退室し た。広い謁見の間に、ジュリアスとオリヴィエだけが取り残された。

「オリヴィエ、さきほどは、思わず第一騎士団を出向かせようなどと言ってしまったが、この事は、しばらく彼らには伏せておいてくれ」
 ジュリアスが、ようやく口を開いた。
「ああ。……けれど、ラオ爺にだけは話しておこうと思う。今、騎士団を束ねてくれているのは彼だし」
「そうだな。ラオなら取り乱すこともあるまい。辛い年越しになってしまったな……だが……私たちが、成すべき事を、今はしよう」
「じゃ、明日の朝にでもラオに話すよ。今日は彼、非番でいないから。ね、こんな気分では食事をする所ではないけれど、少し……いっしょにいようか?」
「すまぬ……気遣いをありがとう。だが、今は、一人にさせてくれ。ホゥヤン領主の口調では、オスカーは、ホゥヤンの内情を知っていて父親に荷担しているようであったが、日頃そんな素振りは見せていなかった。そこらあたりがどうも解せぬ。よく考えたいのだ。 そして……気持ちにも整理を付けたい」
「わかった。でも、無理に整理を付けようとしないで。まだ情報は不十分なんだもの。どうせ今夜は眠れないから、必要だと思ったらいつでも呼んで」
 オリヴィエがそう言うと、ふっ……と気が抜けたようにジュリアスは微笑み、頷いた。今まで見せたことがない彼の弱々しい微笑みに、オリヴィエは胸が詰まりそうになった。

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