翌日の夕刻、一行は、ようやくクゥアン領トゥンコウに着いた。モンメイとクゥアン領の間には、荒野の続く一帯がある。人が定住できる環境でない為、国境線が曖昧になっており、そこで採れる鉱物資源を巡ってモンメイとクゥアンの間では、長年諍いが続いていた。
その地域では資源発掘に関して、早い者勝ちの暗黙の規則がまかり通っていたが、その為に人夫たちの間で抗争が絶えなかった。それを危惧したジュリアスの父とリュホウの祖父が、この地帯で採れたものに関しての取り決めを定め、折半する形で収めたのである。
双方の王の死後、王位に就いたモンメイ王は、ジュリアスが若年なのを見くびって、その取り決めを無視するような行動に出ていた。それが、そもそもクゥアンがモンメイに侵攻するきっかけであった。
クゥアン側から見れば、荒野の手前にありモンメイ領にもっとも近い町が、トゥンコウであった。市場や酒場などもあるような、そこそこの規模の町で、小規模ながらもクゥアンの兵舎もあり、オスカーはじめ騎士たちにとっては、南方の視察や、モンメイの動向を探る為に、何度か訪れた事のある馴染みのある町であった。
ジュリアスとオリヴィエ、階級の高い騎士たちは、その町の領主の館に泊まることになり、他の騎士たちは、それぞれに宿を取ることを許された。ジュリアスから許し……というよりは、半ば、強制的に羽根を伸ばすように言われたオスカーも、町へ繰り出そうとしていた。
「騎士長、これからですか?」
と声をかけてきたのは、第一騎士団の彼の部下たちである。部下と言っても年の差はあまりなく、双方に堅苦しい雰囲気はない。
「ああ、久しぶりの町だしな。一杯やりに行かないか?」
「遠慮しときますよ、騎士長と一緒だと、店の女を全部取られちまう、俺たちは、別の店にしておきます」
にやにやと笑いながら部下たちは答えた。
「馴染みの女がいる店があるんだな? 紹介しろ」
「嫌ですよ、騎士長が一番いい女のいる店を馴染みにしてるから、俺たちは場末の小さな店で我慢してるんですからねぇ」
「ふん、好きに言っておけ。大方、朝帰りするつもりだろうが、お前たち、あんまりハメを外すなよ」
「騎士長に言われたかぁないですよね」
一同は頷きあう。
「お互い、出発の時刻に遅れないようにしなくてはならんぞ。第一騎士団揃って遅刻でもしてみろ、元老院に即刻、解散命令を出されるからな」
「ハッ、承知しています」
オスカーがそういうと、彼らはふざけた様子で敬礼しあい足早に去って行った。
オスカーは、夕暮れの風に吹かれながら、町中にある一軒の酒場にやってきた。視察の帰りなどに数回寄ったことのある店で、騎士であろうと商人であろうと無礼講の気さくな雰囲気の店だった。一階は酒場になっており、二階に宿がある。酒場で気に入った女がいれば、交渉次第で……という旅の者には打ってつけの店であった。扉を開ける前から、太鼓や笛の音が響き、調子外れの歌が響いている、馬鹿馬鹿しいほどの陽気さ、それもオスカーが
、この店を気に入っている理由のうちのひとつだった。
店の扉を開けた時、オスカーはそこに信じられないものを見た。一番奥の席で、女たちを侍らせ、はしゃいでいるオリヴィエがいたのである。唖然と立ち尽くすオスカーの姿を、見つけた女の一人が、手を挙げて彼を呼んだ。
「オスカー、こっちこっち、お仲間が先に来てるわよー」
オスカーは、どうしたものかと思案しながら、奥の席に行った。
「はーい、オスカー」
オリヴィエは、至って平然として女を相手に酒を飲んでいる。
「あ……すまんが、ちょっとだけ席を外してくれないか?」
オスカーがそう言うと、とたんに、女たちから抗議の声が上がる。
「仕事の打ち合わせがあるんだ。終わったらすぐに呼ぶから。やるべき事を済ませてからじゃないと、思いっきり飲めないだろう? いい子だからあ・と・で」
腕にしなだれかかった女の髪を撫でてやりながらオスカーが、そう言うと、女たちは聞きわけよく去って行った。
「ふうん……噂は伊達じゃなかったんだねぇ。第一騎士団の連中が、オスカーの色男ぶりを噂してたけど……」
「オリヴィエ様! どうなさったんですか、どうしてここに? ジュリアス様と一緒に領主の館で酒宴をされているはずでは? 」
オスカーは、まさに血相を変えて、オリヴィエに詰め寄った。
「食事もまともに食べないで、早々に五元盤とかいうのに、ジュリアスと領主も騎士たちも夢中になっちゃってさぁ。つまらないから、疲れたと退散してきた
。あ、この店は、オスカーの馴染みの店だって、昨夜、第一騎士団の連中が、話してたのをちょっと聞いてね」
「供もつけずにこんな酒場に、何かあったらどうなさるおつもりです? しかも……しかも、その金の髪を隠しもせずに……酒場にいた連中、さぞ驚いたでしょう?」
「そうでもなかったよ。最初はびっくりしたみたいだけど、ジュリアス様の影のお役目をしていて、この髪は薬で色を抜いたって言ったら、女たちは納得してくれたし、男たちは酔ってて細かい事は気にしてないさ」
オリヴィエは片目を瞑って楽しそうにそう言った。
「はぁ……。とにかく俺と一緒に戻りましょう」
オスカーはそう言ったが、オリヴィエは席を立とうとしない。上目使いでオスカーを見るとしんみりとした声で話し出した。
「もうここはクゥアン領に入ったんだよね。ワタシが少し羽目を外せるのはこの町が最後なんじゃない?」
「そう……ですね。この先、大きな町は幾つもありますが、王都になればなるほど軽はずみな行動は我々とて出来ませんし……」
「外の町でこんな風にお酒を飲んだりするのって初めてなんだよ……それで、今夜だけ許してもらえる? ね、今夜だけ」
昨日、ジュリアスからオリヴィエと仲良くしてやって欲しいと念を押されたこともあり、オリヴィエの些やかな願いをオスカーは、断ることが出来なかった。
「わかりました……。今夜はお供します」
オスカーは、オリヴィエの向かいの席に座り直した。
「オリヴィエ様。いいですね、ご身分は絶対にお証にならないでくださいよ」
オスカーは、テーブル越しに身を乗り出して小声で言った。
「判った。けど、オリヴィエ様は、よくないんじゃない、“殿とか“様”とかは。ワタシ、第一騎士団所属だってあの女たちに言っちゃったから、あんたの部下ってことになるよ?」
「なんてことを……」
「いい? 呼び捨て、敬語なし、了解?」
オリヴィエは、困っているオスカーを無視して言うと、女たちに向かって手招きした。
「久しぶりに羽目を外したかったのに……」
オスカーは、頭を抱えて呟いた。女たちは盆の上に酒と食べ物を乗せて喜々として戻ってきた。一人づつそれぞれの横に座ると、慣れた手つきで酒を注ぐ。オリヴィエの手前、酔うわけにはいかないオスカーは、適度に付き合いながら、女たちの相手をしていた。オリヴィエの方は、身分や生い立ちを適当な作り話で乗り切りながら、彼女たちの興味を引きそうな宝石や衣装の布地の話をして、盛り上がっていた。
“後宮で育ったから、そんなに詳しいのか……”
と、オスカーは感心してオリヴィエの様子を見ていた。話の内容からすれば、まったくオスカーにとっては関心のないような事柄であるのに、オリヴィエは、上手い具合に、要所要所で、オスカーに話を振ってくる。
最初はオリヴィエに対する言葉使いで、四苦八苦していたオスカーも、酒が少し入ったせいと、オリヴィエの巧な話術のお陰で不自然な態度にはならずにすんでいた。オリヴィエはオスカーが、酒を飲むのを遠慮していると見ると、絶妙のタイミングで、杯に酒を注ぎ続けた。やがて、旅の宝石売りが、安物の石をいかに巧に売りさばくかの様子を、身振り手振りを真似て話し出したオリヴィエに、皆で笑い転げた後、酒場の店主が、鍋の底叩き始めた。女たちは「ちょっと待っててね」と言って立ち上がり、店の奥に消えた。
「あれ、何の合図?」
オリヴィエは、オスカーに尋ねた。
「看板の合図。もう今日は店じまいって事です」
「女たちは?」
「水を持って来てくれるんですよ。それと、お勘定も」
「お金、これで足りる?」
オリヴィエは、上着から金貨を数枚取りだした。
「たぶん、それだけあればこの店を貸し切りにできますよ、だけどそれはクゥアンのものじゃないから嫌な顔をされるだろうな……この場は俺が出しておきます」
女たちがいなくなったので、少しだけ立場をわきまえた言葉使いでオスカーは、そう言った。
「そう、ありがと」
ややあって、水と勘定書を持った女が二人、オリヴィエとオスカーの前に現れた。オスカーが支払いを済ませると、女たちが上目使いで、この後、どうするのか、どこに泊まるのか? と尋ねて来た。二階に
泊まらないかとの誘いに、オスカーが答えるよりも早く、オリヴィエが、一人の女の手に触れて囁いた。
「そりゃ、素敵だね……」
オスカーはギョッとした様子で、オリヴィエを見た。
「い、いや、明日の出発は早いから……」
取り繕うオスカーに、オリヴィエは動じない。
「だからね、お泊まりは無理なんだって。でもお泊まりしなきゃいいんだよねぇ」
オリヴィエがそう言うと、女たちはクスクスと笑い合う。
「オリヴィエさ……!」
名前の後に声を出さないで口だけをパクパクさせて“様”を付けて、オスカーは叫んだ。
「あら、今日は真面目ね」
「ねぇ、オスカー、どうしちゃったの? 今日はお固いのねぇ。いつも誘ってくれるくせに」
女たちは容赦なくそう言うと、オスカーに躙り寄る。オリヴィエは、にやにやと笑いながらオスカーに目配せすると、女のうちの一人を選んで立ち上がった。
「アンタは、オスカーのお気に入りみたいだから、オスカーに譲るよ」
「あら、ありがと。でもそんな遠慮良かったのに。オスカーとはこの間、昼まで嫌ってほど一緒だったし」
「ば、馬鹿! よさないか。あの、これは別にそういう……、いや、だから」
「はいはい、誤魔化さなくてもいいって。じゃ、また後で」
オリヴィエは、女と腕を組みながら去って行った。
「おい、どうするんだ……知らないぞ、俺は」
オスカーは頭を抱え込み、天を仰いだ。
「ねぇ、オスカー、いいじゃないの? 他の兵士や騎士だって今頃、羽目を外してるわよ。ジュリアス様だって大目に見てるから、ここでは駐屯地以外での宿泊を許可してるん
でしょ? こういう事もたまには必要だって」
「そりゃそうなんだが、あの人は……オリヴィエはちょっと事情があってな」
「ははん、判ったわ。オリヴィエってば、実は身分ある家柄なのね。あんなに綺麗だし、ただの騎士じゃないって思ったわ。う〜ん、放蕩息子ってとこかな?」
「あ、ああ、そうなんだ、実は。あまり悪い遊びはさせないでくれと頼まれてな」
女の丁のいい解釈に、オスカーは便乗した。
「大変ね、オスカーも。でもさぁ、もう行っちゃったもの仕方ないじゃない。ここで待ってるつもり? そんなのマヌケな話よねぇ」
女は、オスカーの太股に手を這わせる。その気になりそうなのを、オスカーはぐっと堪えた。
「悪いな。本当に今日は駄目なんだ」
「つまんないわね。あのオリヴィエってそんなにすごい家柄の人なの? ははん、目の色だってジュリアス様と似てるし、実は王族の血筋だったりするんでしょ?」
こんなことになるなら、最初から、王家の血筋だと適当に偽っておけば良かった、そうすれば女たちも軽々しく二階に誘ったりはしなかったかも知れないと後悔しながらオスカーは溜息をついた。
「まあ身分に関してはそんなとこだ。お前たち、そのうち驚くだろうよ、今夜の事は口外するなよ、命が欲しかったら」
クゥアンの王都に着けば、正式にオリヴィエが何者なのか通達が回る。地方の町にも、すぐに噂は広まるだろう。オスカーは、そう思い女に念を押した。
「なによ、今度は脅し?」
女はむっとする。
「とにかく、これで今夜の事は忘れてくれ、頼むよ」
オスカーは金貨を一枚、女に渡した。
「こんなお金貰わなくったって、客との事は吹聴したりしないわよ。でも……貰っとくけど。じゃ、私は行くわ。ここ灯り消しちゃうけど、いい?」
「すまんな、出てくるまでここで待たせてもらうぜ」
女は、一つの燭台の灯りだけをオスカーの為に残して、部屋に去って行った。
“万が一……と言うことがある。オリヴィエ様に何かあった時、女としけ込んでいましたでは、ジュリアス様に対して申し訳が立たないからな。……それにしても……はぁ”
客の引けた後の酒場に、一人残されたオスカーは、背もたれのある椅子に座り溜息をついた。
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