第三章 10


   後宮の片隅にあるオリヴィエの部屋に、オスカーが現れたのは、その夕方のことである。
「クゥアン第一騎士団所属の騎士、オスカーと申します」
 オスカーは、身分を名乗りながら、オリヴィエのいる部屋に入ってきた。そして、長椅子に腰掛けているオリヴィエに、向かって一礼した。
「ジュリアス様よりお迎えにあがりました」
「支度します……」
 オリヴィエは、そう答えて、立ち上がった。
「湯浴みを先に済ませた方がいい? クゥアンの作法は?」
「いえ、湯浴みまでは必要ありません……が」
“謁見の前に風呂に入る習慣があるのか? 辺境の粗野な国と聞いていたが、意外に儀礼に五月蠅いんだな……” そう思いながらオスカーは答えた。
「王は、何か衣装に好みがある? モンメイ風が嫌でなければ後宮の姫たちが残したものがあるけれど」
 オリヴィエは、抑揚のない声で言った。
「は? 姫たちのもの……? この国では、王子も女物を?」
 オスカーは、訝しげにオリヴィエを見た。オリヴィエの方も奇妙な顔をした。二人の間に妙な雰囲気が流れた。
「あの……もしや……そういうことを……?」
 オスカーは、困惑しながら呟いた。
「王は、ワタシをお召しになっているのではないの?」
 オリヴィエは尋ねた。
「お召し……とは、その……、そういう?」
「え、ええ……」
 オリヴィエが頷くと、オスカーは両手を振って否定した。
「違います、違います。ただお聞きになりたいことがあると。貴方が美しいからといって、そういう事を目的にされているわけではないと思いますが」
“美しいからといって……”珍しく美しいという言葉に、オリヴィエは嬉しい気持ちになった。中央の国の人から見ても、ワタシはやっぱり美しいらしい……、と。
「申し訳ない。この事は王にはご内密に。実は以前にも似たような事があったもので。その時は兄の助けが入り、事なきを得たのだけれど」
 オリヴィエは、自分の早とちりを恥じてオスカーに過った。数年前、モンメイの一部に、わずかだが自治権を持った領土があり、そこの領主が尋ねてきた時、あやうくそういう事になりかけたことがあったのだった。所有するオアシス地帯と引き替えに 一夜……という申し出に、心を動かしそうになった父王を、リュホウが、そのようなことをせずとも、いずれ実力で頂くのだからと、止めたのだった。
「ジュリアス様は、配下に置いた国の王家の方々を、好きになさるような方ではありません。けれど、貴方のように特別に美しい方なら、お気に召すこともあるかも知れませんが、そういう場合でも 、ご本人の意思を尊重し、儀礼に基づいて召されるはずです。今は、その金の髪について、貴方の生い立ちについてお聞きになりたいのだと思います」
「では、上着と髪を整えるので、少し時間を」
 ほっとしながらオリヴィエは、隣室に一旦入り、白い長衣の上に、黒い上着を着た。全体的にゆったりとしたものだが、襟首の所は、きっちりと結び紐で留められている。そして、肩先にモンメイ王家の紋章を付け、髪を黒い皮紐で 結わえようとし髪を掻き上げた。細くはっきりとした顎の輪郭が露わになる。簡素にすればするほどその美しさが引き立ってしまう事をオリヴィエはよく知っている。が、それが本来の姿なのだから、隠さずにいられるに越したことはない。その気のない相手ならばそれが可能だと、オリヴィエは安堵して、強く髪を縛った。
「あ……」
 隣室から出てきたオリヴィエを見て、とオスカーは声を上げた。
「どうかした?」
「いえ、本当にお綺麗なので……」
「ありがとう。ワタシも貴方ほど立派な凛々しい騎士を見たことがない」
 オリヴィエはそう返した。オリヴィエにそう言われてオスカーの顔が少し赤らんだ。
「いゃあ……ま、まいったな、あー、ありがとうございます」
 頭を掻きながらそう言ったオスカーに、オリヴィエは軽く笑った。 黙っていると、薄氷のように鋭い雰囲気がある。声を出して、兵達に指示する様は、堂々として、いかにも第一線に立つ騎士の風情である。だが、こんな風に笑うと……“この男は何か憎めないとこがあるね……”、オリヴィエは、オスカーの後を歩きながら、そう思っていた。

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