「たまげたぜ……」
まだぼうっとしている工場主を無視してゼフェルは、ライの消えた場所に踵を返した。
「おやっさん、マシン借りるぜ」
ゼフェルはそう言うと工場の中に入り、玄関先に置いてある例の新型エアバイクの側まで行った。綺麗に飾り付けられたディスプレイの台座に上がり、パールホワイトの車体を持つそのエアバイクに触れた。そして、名前を記したプラカードを外した。
「セィシィエル・ラングローン……優雅なる……翼を持つ一角獣か」
あまり長いとは言えないこの人工惑星史の始めに出てくる船の名前である。他星からの移民船の名だが、元はと言えば神話に出てくる幻獣の名前でもあった。
「ただ走るだけではない、滑らかな加速とともに体感できる跳ぶことの頂点……キャッチコピー、クサすぎるって……」
車体に貼り付けられた大きな広告のシールを、丁寧に剥がしながらゼフェルは呟く。
「仕方ねぇなぁ……ああ言った手前。頼むから無茶すんなよ、ゼフェル」
ゼフェルを追ってきた工場主は、溜息にも似た声を出した。
「マシンかオレか、どっちが心配なんだよ?」
「そりゃお前は可愛い子どもみたいなもんだ、お前さえ良ければ、この工場、貰ってくれねぇかと思ったこともあるくらいな、だが目先の金づるも捨てがたい。なんせ、ウチはこの通りボロ工場だからな。展示品でもいいから、倍出してもいいから売ってくれって言う金持ちがいるんだ」
工場主は、わざと明るいふざけた声でそう言った。
「壊さないから安心しろって。オレの腕前知ってるだろ。そうだ……このマシン、限界高度、いくつだっけ?」
「一応、六五〇〇〇フィルパだ」
「ってことは、七五〇〇〇くらいまではなんとか持つよな」
ゼフェルはニヤリと笑った。
「お、おい、そんなに高く飛んでどうする、止めろって」
「ホンモノの空の色、見ときたいんだ……たぶんもう見れないだろ」
「感謝祭の時くらい帰って来れねぇのか?」
「おやっさんなぁ、余所の街に働きに行くんじゃねーんだから。それに時の流れが違うらしい。よくわからねーけど、ライが言ってた、ここ離れると、もう後はないんだって……」
涙が滲みそうになるのを堪え、ギュッと握り拳を作って、ゼフェルは言った。
「そうか……じゃ、ま、思う存分、飛んでこいや。お前のメット、傷だらけだろ。一番いいヤツ持ってけ」
工場主もまた鼻先がツンと痛くなるのを堪えて言った。
「おう、サンキューな、ほんじゃ、ちょっくらお借りします」
ほんの少し改まって、工場主に小さく頭を下げるとゼフェルは、壁際に並べられたヘルメットのうちのひとつを選び、被った。
そして台座のロックを外し、ふわりと浮き上がった車体を押しながら工場の外の道に出た。素早くまたがると、ゆっくりとそのエンジン音を確かめながら、高度を上げた。
「夕方までには、絶対に帰れよ、未成年!」
工場主は、大声で叫んだ。ゼフェルは、下で手を振る彼にブレーキーランプで合図を送ると、そのまま上昇した。居住区での高度規則いっぱいまで上がると、大通りに出て、ハイウェイに続く幹線に入り、しばらくそのまま飛び続ける。向こうから飛んできた誰かが、すれ違いざまに、ゼフェルのマシンを見て、ヒュゥと口笛を吹いた。それに気を良くしたゼフェルは、一気に加速し、高度飛行の許されている地区に入ったのを確かめてから、また上昇した。指定限界値近くまで上がったことを告げる警告の電子音が、悲鳴の様に鳴っていた。それを無視してゼフェルはさらに上がり続ける。操作された造り物の青い空が、途切れていく。 そして、上空にくすんだ灰色の雲が立ちこめはじめた。ゼフェルは、もっと上を見た。大気というより壁のように見える灰色の空が、拡がっていた。警戒音は相変わらず鳴り続けていたが、セーフティロックが働いて、車体はそれ以上は上がれなくなった。水平に、ゆっくりと飛びながら、ゼフェルは、今度は地上を見た。汚れた灰色と爽やかな青とが、マーブル模様のようにとけあった空の合間から、生まれ育った小さな街が、微かに見えていた。それを眺めながら飛ぶうち、ゼフェルは心が軽くなっていくのを感じた。気持ちに整理がついたわけでも、納得したわけでも、諦めたわけでもなかった。ただ、もっと違う空を、存分に飛んでみるのもいいかも知れないと、ふと思ったのだった。
おわり
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