翌日、カフェ・セ・レレガンス・ドゥ・ロム・モデルン。

 客足が途絶えた所で、オリヴィエは、アランとミレーヌに、持参していた例の本を取り出して見せた。
「ねえねえ、この本の事、覚えてる? 上海の友だちに調べて貰うって言ってただろ?」
「ああ。偽領収書に繋がってた本だね。上海から返事が来たのかい? どうなったって?」
 アランが、カップを拭く手を止めて、カウンターから身を乗り出した。ミレーヌも窓ガラスの拭き掃除を止め、オリヴィエの元に駆け寄った。
「結局ね……」
 オリヴィエは、オスカーからの便りの内容をザッと説明した。

「ハッキリして良かったわね。で、訴えるんでしょ?」
 ミレーヌは、ファイティングポーズを取りつつ言う。
「ううん。オスカーがシメてくれたし、ワタシたちが損したわけでもないし。手続きなんかを考えると今回はもういいじゃないかって、リュミエールとも相談したんだ」
「あら、そうなのぉ」
 ミレーヌは不満顔だが、アランの方は、もっともだと言うように頷いた。

「オリヴィエと同じ名前の人が上海にもいて、その人へ贈ろうとしていた本を、偶然、巴里にいた別のオリヴィエが手に入れた……、そこから偽請求書の事も判って……不思議な巡り合わせだったね。 けれど、それにしても、綺麗な字だね」
 アランは、感心しながら、オリヴィエが開いたページの例の署名を見つめた。
「うん……」
 オリヴィエは、その筆跡を指でなぞり、詩集の中から、海風飯店の広告を取り出す。

「ねえ、結局、その本は、上海から来たことは確かなんだし、もしかしたら本当に、貴方に宛てたものだったのかもよ」
 ミレーヌは、真剣にそう言った。
「ああ、そうかも知れない。その本、まだ新しいし、去年、どこかの誰かが、オリヴィエに恋していて、クリスマスにその本を手渡して、食事に誘うつもりだったんじゃないかな? だからその広告が挟んであったんじゃないかと思うんだけど?」
 
「そだねえ〜、ありうるねえ、これだけの美貌だもの」
 オリヴィエは、ツンと顔を上げポーズを取る。
「ま、確かに綺麗なのは認めるわ。けど、私がオリヴィエ宛てだと思うのは、そのチャイニーズレストランの広告が挟んであったって、とこよ。オリヴィエのツボを付いてるって言いたいわけ」
「うっ、ワタシが海風飯店の食事にだったら確実に釣られるとお見通し? でも、そういうことなら、はっきり言ってくれれば、もちろん食事くらいご一緒したよ」
「あら、誰でも? 脂ぎってお腹の出たハゲオヤジかもよ?」
 ミレーヌはクスクスと笑いながら言う。アランも頷いている。

「どうしてこの美しい筆跡が、ハゲオヤジのものなんだよ? 見てよ、優雅で繊細な女性の文字じゃないのさ。きっと、清楚で、可憐、教養深く、当然美人、そして 、もちろんお金持ち……ああ、そうか! きっと深窓のお嬢様なんだよ。身分違いの恋、お父様がきっと許して下さらない恋、だから、このワタシに手渡せなかったと! ああっ、悲恋だったんだねぇ〜」
 オリヴィエは、わざとらしく目頭を押さえながら、夢見るように言った。アランとミレーヌは、勝手におやり……とばかり手を振ってカウンターへと戻って行く。二人の態度を気にせず、オリヴィエは、海風飯店のチラシを、もう一度、物欲しげに見つめた。

「ホントの所、誰宛かはわかんないけど、さ。はー、でも、海風飯店のクリスマスフルコースディナーなら、どんな人でもOKするさ〜マジで」
 オリヴィエのお腹が、グゥゥ〜と鳴った。

「オリヴィエ、まだ十一時だよ。お昼には早いよ」
「子どもはお腹が、しょっちゅう空くのよ。オヤツが欲しいの、坊や?」
 ミレーヌとアランが笑い合う。
「なんたって若いからねっ、年寄りとは、基礎代謝が違うんだよ」
 オリヴィエが言い返すと、ミレーヌの眉がつり上がった。
「何ですってぇぇ?」
カウンターに入ろうとしてたミレーヌが、逆戻りし、オリヴィエにズィッと詰め寄った。
「えーー、ミレーヌってば、耳まで遠くなったぁ?」
 完璧とも言える形の二つの鼻が、突き合わさった。

「あー、はい、はい、二人とも店で騒がない。ほら、オリヴィエ、このパンの耳でも食べといで。ミレーヌ、君には、僕の口づけだ」
 アランは、左手にパンの切れ端を持ち、オリヴィエの口に無理矢理、放り込むと、右手でミレーヌを引き寄せた。
「ああン、アラァン〜」
「ミレーヌ……いつまでも若くて綺麗だよ」
「アラン、貴方だっていつまでもスマートで優しいわね……ん……ンン」
「モグモグ……。やってらんないよ……」

 パンの耳を頬張りながら、オリヴィエは、濃厚なキッスを交わしている二人を見ないふりして、黒いギャルソンのエプロンを締め直した。そして、ランチメニューの看板を表に出すべく 、わざと大きな音を立てながら店の扉を開けた。爽やかな風が吹き抜ける。見上げると秋の穏やかな青空が広がっていた。
 
 

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