あれこれと考え込むような顔つきで二人は、無言のまま、通りを抜け、セーヌ河まで出た時、リュミエールがふいに立ち止まり、「ああ……どうしましょう! 戻らなければッ……でも、こんな後で戻り辛い……」と叫んだ。
そして、オリヴィエに助けを求めるように、「鉄観音ですよ! せっかく手に入れたと思ったのに忘れてきましたぁぁぁぁ」と自分のミスを悔やみ、涙目になりながら言った。
オリヴィエは、勝ち誇ったように、手にしていた紙包を掲げて見せた。
「オリヴィエ〜、ありがとうございます〜」
ホッとしたリュミエールに、こんな時でないと、とばかりにオリヴィエは追い打ちをかける。
「まったく。怒りに我を忘れるタイプなんだから、リュミエールってば〜」
滅多にミスらない人は、たまにミスると、やいやい言われて可愛そうである。
さて、歩き疲れてくたくたになりながら、モンマルトルのアパルトマンまで帰った二人は、その夜、オスカーに宛てて手紙を書いた。
「腐っても探偵だからね、きっとちゃんと調べてくれるよ」
「腐っても……は失礼でしょう、いくら何でも。一応、探偵ってとこでしょうか」
「とりあえず、探偵? オスカーって事件とか解決したことあるのかなあ? 浮気の素行調査とかじゃなく」
「さあ……。いつもウチの店で、油売ってウロウロしてましたけど、あれでも尾行の途中だとか、張り込みの途中だとか言ってましたね」
「どうして尾行や張り込みの途中に水夢骨董堂にいるわけさ?」
「ですよね。そんなのだから、仕事の依頼もなくて、いつも蓬莱国迎賓館の警備とか警備とか警備とか……ばっかりやってるんですよ」
「こんな本格的な仕事、はぢめてだったりして。んーー、組織ぐるみの裏取引か? 有名骨董店の名を語る極悪詐欺! 上海骨董界の闇ルートを暴く!」
オリヴィエは、大袈裟な身振りでそう言うと、顎に指先を沿わせたポーズで悦に入っている。
「今からだと調査して返事が来るのは、早くて十月頃……もっとかかるかも知れませんね。本当に何か判れば良いのですけれど」
「うん……。それにしても、オリヴィエへ……の署名に釣られて蚤の市で、手に入れた本……。不思議な巡り合わせだよね。そこから、この事に行き着いたなんて」
「本当に、その本のお陰ですね……」
二人は神妙な顔をして、本に向かって手を合わせた。巴里にいても感謝の気持ちを表す時には、つい拝んでしまう二人だった。
「さ、お茶を頂きましょう。久しぶりですね、中国茶。本当に手に入れることが出来て良かったです」
「これも、この本のお陰だね。と言うことは、この本を手に入れたワタシのお陰〜」
「と、いうことにしておきましょう。ああ、オリヴィエ、お代の5フラン、立て替ええてくださってありがとう。お茶ですから食費から出しましょう。今月、少しだけ余裕ありますし」
「……お代は、リュミエールが払ったんじゃなかったけ?」
「いいえ……。あの後、本の話になって、払うタイミングを逃して……わたくし先に事務所を出てしまったから……。オリヴィエが、帰りに払ったんじゃないんですか?」
オリヴィエは、ぶんぶんと頭を振って否定した。
「…………」
「…………」
二人は顔を見合わせると、無言のまま、小さな茶器に上品に両手を添えて、ツーツー……とお茶を飲み干した。
そして、「ふぅ……」と一息ついて、茶器を置くと、また両手を合わせ、「ご馳走さまでした」と、心から拝んだのだった。