二人は、サン・ルイ橋から、シテ島に渡り、ノートルダム寺院を横目に見ながら、巴里左岸へと入った。そのままずっと歩き続け、ポン・ヌフ橋のたもとで立ち止まった。
「ええっと……。マザリン通り……どの辺りかちょっと尋ねてみます」
 リュミエールは、人当たりの良さそうな老婦人の元に駆け寄り、場所を聞いた。オリヴィエは、橋の側に建っている騎馬像を、“この騎士は誰だろうねぇ?” と思いつつ見上げている。
「オリヴィエ、判りましたよ。この少し先ですって。行きますよー」
 少し離れた後からリュミエールが、声を掛け手招きしている。

「ん。今、行くよー。ねー、リュミエール、これ誰?」
「アンリ4世ですよーー」
 リュミエールは、アッサリと答えた。 
「ふーん、そうぉ」
 と答えたものの、オリヴィエには、結局、それがどういう人物なのかは判らない。ブルボン王朝初代の国王よりも、オリヴィエにとっては、徳川家康の方がずっと馴染み深いのである。実の所、それは、リュミエールにとっても同じなのだが。

 再び二人は並んで歩き出し、ややあって、マザリン通りにあるその貿易商に辿り着いた。小綺麗な建物の二階にそのオフィスがある。小さくて狭いが羽振りは悪く為さそうな感じだった。出て来たのは五十歳ほどのずんぐりとした体格の男だった。浅黒い肌と 髪、大きな目をしていて、ラテン系の人物らしい。
 リュミエールはまず、ムッシュ・リュテスからの紹介であることと、茶葉を求めていることを話した後、まるでおまけのように本の事を切り出した。
 貿易商は、事務所の片隅に木箱の蓋を開け、幾つかの缶を取り出した。その中から、茶色の紙包を取り出すとリュミエールに手渡した。
「テッカァーンノフォンという茶葉なら、今すぐに譲れますよ。リュテスさんの紹介なら、5フランにしておいてあげましょう」
 その奇妙な名の茶葉が、どうやら烏龍茶の鉄観音と判り、安心したリュミエールは、包みに痛みがないか調べた後、承諾を得て、その包装を解いた。茶葉のランクとしては中くらい、そこそこに巻もしっかりしており、湿気た様子もない。 量的にもお得……と判断したリュミエールは、 「では、頂戴しますね」と答えた。貿易商は、笑顔で、包みをしっかりと元に戻し、紐で結わえ直しながら、やっと、本について答え始めた。

「去年の十一月頃、弟が、上海に渡りまして。いろいろと買い付けて送ってくるんですよ。東洋のものを欲しがるお金持ちは結構、多いんでね。ご婦人の絹地や壺なんかは特に。あ、そうそう、その本 かどうかは判りませんが、本や雑誌なんかが、壺と一緒に梱包材として入ってたのは、本当ですよ。箱を開けた時、確認しましたから。急いでたし面倒なんで、そのまますぐ蓋をして、 リュテスさんにお届けにあがったんですよ」
「実はワタシたち、上海ではアンティークショップをしていたんです。弟さんとは入れ違いになってしまいましたけど」
 オリヴィエが、そう言うと貿易商は、弟が懐かしいのかニコリと笑った。
「ヤツぁは、なかなか安くて良い品を見つけてくるのが上手いんですよ、リュテスさんの壺だって、結構な代物だったのに、店を閉める直前の骨董屋から安く仕入れることが出来たとかで」
「そうなんですか。何ていうお店なのですか?」
 リュミエールは、何気なしに尋ねた。ただ単に知っている店かも知れないと思ったのだ。
「ええっと……シュイムコットウドー」
 貿易商は、ファイルされた伝票を見ながら言った。
「え?」
 オリヴィエとリュミエールは、同時に聞き返した。
「シュイムゥ? シューイム?……コットウドウ」
 あやふやな発音に、業を煮やしたオリヴィエが、その伝票を覗き込んだ。薄っぺらい用紙に、タイプライターの文字で、壺の単価や、この場所やらが打たれてあり、取引先名は、アルファベットで書いてある。
 シュイムコットウドウと……。
 だが、その後に、手書き文字で、『水夢骨董堂』と殴り書きのサインがしてあった。

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