そうこうしながら、二人はサン・ルイ島の件の家の近くへと辿り着いた。どことなしか上品そうな街並みに、リュミエールは、「感じのよい所ですね」と感心しながら歩いている。
優雅な曲線を描く鉄柵のバルコニーが続く建物を見上げながら、オリヴィエは番地を確かめていた。
「あ、ここだ」
アーチ型になった石が埋め込まれた壁面の下に、厳つい鉄の扉のついた建物の前で、オリヴィエは叫んだ。リュミエールはその扉を押してみた。ギィ……と軋む音がし、僅かに隙間が開いた。その向こうに彫り物のある立派な木製の扉が、また見える。
「ボンヂュール、ボンヂュ〜〜〜ル」
とオリヴィエが声をかけた。中から「はい」と声がし、メイド姿の太ったおばさんが出て来た。
「何か用?」
あまり高価とはいえないシャツ姿の二人を見て、彼女は、少しぞんざいな口の利き方をした。
「申し訳ありません、この本のことでお聞きしたいことがありまして」
リュミエールが、優雅な言葉で、にっこりと微笑むと、メイドは態度を変えた。
「本? 確か、これは私どもで画家さんに差し上げた本でございますわねえ。え? 上海? 私ではわかりません。ご主人に聞いてまいりますので、少々、お待ち下さいましな」
と言って去って行った。二人が立派な扉の彫り物を撫で回していると、メイドは、いそいそと戻って来た。リュミエールとオリヴィエを、中へと誘う。
この屋敷も、一応アパルトマンではあるが、オリヴィエたちの住んでいる部屋とは、雲泥の差だった。入ってすぐにやたらと装飾的な螺旋階段があり上へと続いている。通された応接室は、フカフカした絨毯に豪華な暖炉、窓際に棚には、確かに中国の壺が飾られていた。
「リュミエール、あの壺、景徳鎮だね」
「ええ、お色も柄もはっきりと良く描かれています。良いお品ですね」
「絵柄は古典的だけど、形から見て、そんなに古いものではないようだねえ。清朝中期から末期よりってとこかな」
二人が元・骨董屋らしい会話をしていると、この家の主がやってきた。年は、四十代半ば、育ちの良さそうなおっとりした顔立ちと、働き盛りの男の自信が混在したなかなかの風貌をしている。
「こんにちは。リュテスです。どうぞお掛け下さい」
どうやら気さくなタイプらしい。もし彼が、上海に行ったことがあるなら、良い友人になりそうかも……とオリヴィエは思う。
「わたくしは、リュミエール・セキと申します」
「兄のオリヴィエです、どうぞよろしく」
二人は、しっかりと頭を下げると、腰かけた。
“東洋に興味を持っているなら、このお辞儀の仕方で掴みはOKさ”
とオリヴィエは心の中で、ガッツポーズを作る。だが、リュテスは特にこれといった反応も示さず、 「で、その本が何か? メイドの話では、上海がどうとか?」と聞いた。
「実は、数日前に、蚤の市で、この本を手に入れまして……」と言いながらオリヴィエは、表紙を捲った。
「この署名……オリヴィエへ……と書いてありましたもので」
「ああ……同じオリヴィエさんなので気にしていらっしゃるのかな? それなら何も知りませんけど……」
「いえ、これは、ただ単に偶然なのでしょうけれど、中に上海の有名料理店の広告が挟んでありまして。ワタシたちも一年ほど前まで上海にいたんです。それで、この本の出所が気になってしまって。それを調べがてら、もしや、 上海にいらした方が持ち主でいらっしゃるのなら、お近づきに慣れれば……と」
「そう。でも残念ながら、その本は、私の持ち物ではなくてね。上海には行ったこともないし。でも、確かにその本は、ウチのものだったんだけれども」
「どういうことでしょう? お子さんの部屋の壁絵を描いた画家は、こちらで頂いたと言ってました」
「うん、確かに。少し前に、そこに置いてある壺を注文したんだよ。その荷物の中に入っていたものなんだ。梱包材として新聞やら雑誌や本をね、割れないように隙間にビッシリと詰めてあったんだ。何冊かあったけれど、どれも埃っぽいし、綺麗じゃないし。かろうじてその小さい本は、まだマシだったけど、別に読みたいものでもないし、処分しようとしていた所、あの画家が欲しいと言ったんだ」
それを聞くとオリヴィエとリュミエールは、少しガッカリした顔をした。
「それを送ってきたのは、サンジェルマンにある貿易商だよ。僕は、ホテルとレストランを幾つか経営してるんだが、そこの装飾用にと思って、その貿易商に頼んで幾つか買い入れたんだ。行ってみるかい? 彼の弟が 確か上海にいるんだよ。それで向こうで買い付けて送らせているんだよ」
ムッシュ・リュテスにそう言われて、二人は互いに顔を見合わせた。オリヴィエの方は、“もういいよ、またサンジェルマンまで歩くのはやだなぁ……”という表情をありありと見せている。リュミエールの方も、ここまで探し続ける必要性はないように思い始めていた。
「茶器や茶葉なども、取り扱っていて、巴里に住む中國人や、向こうから帰ってきた人たちも利用していると聞くよ」
茶葉……と聞いて、オリヴィエとリュミエールの目の色が変わった。オリヴィエが、巴里に来るときに持参した茶葉が残り少なくなった所で、宵闇亭のマスターであるクラヴィスに、送って貰えるように手紙を出したのは一ヶ月前だった。その間に、ついに中国茶の茶葉は 、底を尽いていた。
「メルシー、ムッシュ。さっそく行ってみます」
リュミエールは、果然乗り気で立ち上がった。