やがて教会の鐘が午後四時を告げた。大半のものは、店じまいをし始めている。リュミエールもイーゼルを畳み、持参した絵を一枚ずつ紙で包んで仕舞いはじめた。オリヴィエの方は、少し前に来たまた例の茶器が気に入ったらしい客を相手に、何やら話し込んでいる。先ほどの恰幅のいい嫌みな紳士に比べると、些か身なりは劣るものの、なかなかスマートな初老の紳士である。客の方は、うんうんと頷きながらオリヴィエの話を聞いている。リュミエールが聞き耳を立てると、オリヴィエは、まっとうな仏蘭西語で真剣に話している。その茶器を使った烏龍茶の煎れ方を丁寧に説明しているのだった 。

「なるほど……そんな風にするんだね、どうりで上手くいかないはずだ」
「いえ、お役に立てて良かったです」
「で、いかほどなんだい? あんまり高いと手が出ないなぁ」
「50です」
「30にならないかい?」
「45以下にはできません」
「そこをなんとか40に」
「……ウィ、ムッシュー」
「ありがとう」
 紳士とオリヴィエは握手を交わす。オリヴィエは、代金を受け取ると、手早く茶器を新聞紙で包み、器用に紐を掛けると紳士に手渡した。
「いい買い物ができた、嬉しいよ」
 紳士は、オリヴィエの手にキスをすると、手を振りながら去っていった。

「……オリヴィエ……。茶器、売らないんじゃなかったんですか?」
 リュミエールは、どうしたのだろうとオリヴィエに問いかけた。
「あの人、パリ万博で、烏龍茶を飲んだことがあるんだって。何年もそれが忘れられず、たまたま上海に行く友人がいたんで、お土産に頼んだんだって。で、いざ飲もうとしたら、煎れ方が判らない。紅茶と同じように煎れてみたけど、上手く行かない。で、ずっと悩んでたんだって」
「それで教えて差し上げてたんですね」
「うん。茶器がいるだろ、それで売っちゃった。ごめんね」
「いいですよ。そういうことなら。お値段も妥当な所でしたし。まあ、最後に貴方の手にキスして行ったのは、どうかと思いますが」
「仕方ないよ、これほどの美貌だもの」
 オリヴィエは、髪を掻き上げてヌケヌケと言う。

「わたくしたちの茶器は、オスカーか宵闇亭のマスターにでもお願いして送って貰いましょう。当分は蓋椀を使って飲みましょう。さ、早く、オリヴィエも店じまいなさい……って言っても、賑やかしのアクセサリー以外は、もう何も残っていませんね。わたくしの方は、絵が結構かさばってしまって……。すみませんが、イーゼルを持って頂けますか?」
「うん、いいよ」
 オリヴィエは、アクセサリーを布袋にいれポケットにしまい込むと、簡易テーブルを畳み、イーゼルと一緒に紐で括り付けた。
「うん。売れて良かった。こんなにフトコロが暖かいのって久しぶりだよ。ねぇ、ちょっと早いけど、もう陽が落ちてきたし、ご飯食べに行こうよ。あのタルタル広場の近くのレストランに行こうよ〜」
「ですから、テルトル広場ですってば! そのレストランって、ラ・メール・カトリーヌのことですね」
 リュミエールとリュミエールは、荷物をまとめ上機嫌で歩き出す。
 
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